コンチネンタル・タンゴ
コンチネンタル・タンゴとはドイツ、フランス、イタリアといったヨーロッパで作曲、もしくは演奏されるタンゴのスタイル[1][注 1]。ヨーロッパ・タンゴと呼ばれることもある[1][2]。
目次
1 概要
2 歴史
3 特徴
4 日本の受容
5 著名な楽団
5.1 海外
5.2 日本
6 演奏形態
6.1 レパートリー
6.2 代表的な楽曲
7 参考文献
8 脚注
8.1 注釈
8.2 出典
概要
ヨーロッパで起こっていたタンゴとラプラタ川流域のタンゴの音盤を選り分けるために、この名称が用いられている。[注 2][3][4][5][6][7]コンチネンタル・タンゴはジャーマン・タンゴ、ロシアン・タンゴ、フィニッシュ・タンゴ、フレンチ・タンゴ、チロリアン・タンゴ、ダッチ・タンゴ、デニッシュ・タンゴなど多くの各国の支流を内包しており(アメリカン・タンゴを含めることもある[注 3])、マランド楽団はダッチ・タンゴ、アルフレッド・ハウゼ楽団はジャーマン・タンゴで、タニ・スカラ楽団はフレンチ・タンゴである。ルロイ・アンダーソンのビルボードチャート一位に輝いたブルー・タンゴはアメリカン・タンゴのヒット作であったし、アルフレッド・ハウゼ楽団もこれを録音した。
ヨーロッパで広く演奏される楽器編成に合わせるために、バンドネオンの利用が強制ではなく、アコーディオンや弦五部[8]などに代用されている場合がある。「8分音符3つに、16分音符2つ」といった有名なリズムパターン[注 4]も、実はコンチネンタル・タンゴ発祥のものであり、アルゼンチン・タンゴでこのようなパターンは採用されていない。楽器編成はアコーディオンのみならず、クラリネット、ドラムス、フルート、サックス、木琴[注 5]も用いられるため、一種のムード音楽[9]としての用途と捉えられる。
タニ・スカラ楽団のように、フレンチ・タンゴとアルゼンチン・タンゴの両刀使い[注 6]のような趣の楽団もあった。フアン・ジョサス楽団は、ジャーマン・タンゴにアルゼンチン・タンゴを掛け合わせた異色の楽団であったが、ジョサスはスペイン生まれである。ジョサスは、タンゴがもともと18世紀に誕生したイベリア半島生まれの舞曲であることをキャッチコピーとして利用したうえで、ヨーロッパ大陸で広く活躍していた。
歴史
ブエノスアイレス、モンテビデオ近辺のラ・プラタ川流域で1880年ごろに生まれたとされるアルゼンチン・タンゴが、1910年代にヨーロッパ大陸とアメリカ大陸に輸入された。1910年代にフィンランド[10][11]、ロシアへ伝わり、1920年代にはポーランド、ドイツ[12]、チロルへ伝わった。フランスでは1910年代から流行したことが確認されている[13]。ドイツの流行は1930年代だったことがフアン・ジョサス[注 7]の活動からわかる。デンマークでは、[14]1925年にヤコブ・ゲーゼ作曲「ジェラシー」がヒットしたことにより、1920年代から北欧タンゴの伝統が始まった。
コンチネンタル・タンゴとアルゼンチン・タンゴの区分は第二次世界大戦前は余り明白ではなかったが、第二次世界大戦後にアルゼンチン・タンゴ専門の楽団が日本でも1950年代に出現するようになると、差別化しファンが住み分けていったようである。バルナバス・フォン・ゲッツィやアダルベルト・ルッター、フアン・ジョサスのような戦前派タンゴはドイツを中心に広く聞かれたが、第二次世界大戦終了後にほとんど姿を消し、ジョサスが急死してしまったことでアルフレッド・ハウゼ楽団は1960年代にトップに上り詰めた。
1980年代以降はアルフレッド・ハウゼ楽団レヴェルの著名度がないと活動がひどく困難になった。1965年以降[注 8]日本を拠点にしていたアルフレッド・ハウゼ楽団も1989年に日本ポリドールレコードとの活動を終了し世代交代した。[注 9]2010年代現在も活躍している楽団は世代交代で延命したマランドのようにあるが、解散あるいは活動休止した楽団も多い。コンチネンタル・タンゴ楽団としてのポリシーで活動する楽団は非常に少なくなってしまっており、コンチネンタル・タンゴをレパートリーに加えた楽団という形で生き延びた楽団が多い。
特徴
コンチネンタル・タンゴの特徴へ「これ」という明確な証拠を与えた書物は存在せず、どの文献でも明快な定義はされていない。
- コード進行は1940年代以降のアルゼンチン・タンゴよりも、単純化及び規格化されている。古典タンゴ[注 10]の進行のまま凍ったと言える。名人芸も用いられない。
バンドネオンのバリアシオンは好まれない[注 11][15]。アクセント付けには代わりにマリンバやタンブリン[16]などの打楽器が利用され、大編成で演奏されることが多い。- 後継楽団はほとんどいない[注 12]代わりに、ハウゼやマランドのように同一楽団のメンバーチェンジが好まれる。マエストロすら変更される場合がある。
音楽評論家の岡田寛はアルゼンチン・タンゴとコンチネンタル・タンゴの差異を「せいぜい4分の2拍子が8分の4拍子になっただけのこと」と述べている[17]。
日本の受容
日本ではアルゼンチン・タンゴよりも後発であるコンチネンタル・タンゴが早く伝わっている[17]。1920年代前半から1930年代にかけて親しまれた[1][注 13]。通常「タンゴのリズム」を思い浮かべる場合には、8分の4拍子(8分音符3つと16分音符2つ)が多く、これはコンチネンタル・タンゴのリズムの刻み方である[17]。カタカナ語で「コンチネンタル・タンゴ」と呼ばれているものは1910年代から1920年代にアルゼンチン・タンゴがパリに紹介され、パリの音楽家たちが、そのリズムをまねて作った楽曲である[13][注 14]。
日本タンゴアカデミーを含むかつての多くの硬派のオールド・ファンは言及するのも嫌、といった具合であった。しかし、一般大衆からの需要は高く、アルフレッド・ハウゼ楽団[18]やマランド楽団[19]は来日を果たして、LPも日本で販売できた。日本は戦前からタンゴが知られており、一世を風靡したキユーピー・バックグラウンド・ミュージックも開始のBGMにアルフレッド・ハウゼ楽団の「ミリタリー・タンゴ」[20]を長期間用いていたこともあって、多くの日本人ならコンチネンタル・タンゴを連想する土壌はすでに生まれていた。かつての昭和時代のレコード屋の棚は「アルゼンチン・タンゴ」と「コンチネンタル・タンゴ」の二つしかなかった。
著名な楽団
海外
Tanzorchesterとして活動した楽団、またはコンチネンタル・タンゴの使い手としてレコード会社がプロモーションを行った楽団も含む。
ハインツ・フッペルツ楽団 Heinz Huppertz mit seinem Orchester
バルナバス・フォン・ゲッツィ楽団 Barnabas von Geczy mit seinem Orchester
ペーター・クロイダー楽団 Peter Kreuder Tanz-Orchester
アダルベルト・ルッター楽団 Tanzorchester Adalbert Lutter
マランド楽団 Malando Orchestra
アルフレッド・ハウゼ・タンゴ・オーケストラ楽団 - 「世界中にコンチネンタル・タンゴの魅力を伝えた」とも称されている[21]。[注 15]
タニ・スカラ楽団[注 16]
ゲルハルト・ベーレン楽団
フアン・ジョサス楽団[注 17] Original Spanisch-Argentinische Tangokapelle Juan Llossas
リカルド・サントス楽団
マレク・ウェバー楽団 Marek Weber
スタンリー・ブラック・オーケストラ Stanley Black and his Orchestra- オルケストル・ド・ダンス・アレクサンドル
日本
コンチネンタル・タンゴをレパートリーにしただけの楽団を含む。山本直純のようにクラシック音楽のオーケストラを指揮しただけの人物は含まない。
原孝太郎と東京六重奏団[13]
北村維章と東京シンフォニック・タンゴ・オーケストラ[13]
- 原信夫とシャープスアンドフラッツ
- 𠮷田正記念オーケストラ
- ニュー・コンチネンタル・タンゴ・オーケストラ
- 船村徹とおるけすた・てぃぴか・日本
演奏形態
レパートリー
コンチネンタル・タンゴ楽団のレパートリーは非常に広い。クラシックの編曲、アルゼンチン・タンゴの編曲、ビルボードチャートに登場した作品の編曲から果ては日本の歌謡曲や民謡まで用いられる。
代表的な楽曲
世界大百科事典で中村とうようは以下の3曲を挙げている[1]。
- 『ジェラシー』(ヤコブ・ゲーゼ作曲・デンマーク)[22]
- 『碧空(あおぞら)独: Blauer Himmel』(ヨゼフ・リクスナー作曲・ドイツ)[23]
- 『イタリーの庭 A GARDEN IN ITALY』(作詞 A.Valentine、ラルフ・アーリン作曲[注 18][24]・ドイツ)
リカルド・サントス楽団のヒットナンバーには以下の作品がある。
- 『真珠採りのタンゴ』(フランス)
ゲルハルト・ベーレン楽団のヒットナンバーには以下の作品がある。
- 『黒い瞳』(ロシア)
アルフレッド・ハウゼ楽団のヒットナンバーには以下の作品がある。
- 『アルベニスのタンゴ』(1890年、スペイン)
参考文献
Nelson, Tom (2009) (英語). Tango and Related Dances. AuthorHouse. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
ISBN 9781449006013.
Cooper, Artemis (1995) (英語). Tango!: The Dance, the Song, the Story. Thames & Hudson.
ISBN 9780500016718.
- 大岩祥浩、島崎長次郎、中島栄司 『タンゴ入門』 音楽之友社、1965年。
タンゴの歴史 edinburgh tango societyホームページから。- Kate Molleson's“Mr McFall’s Polish tango
脚注
注釈
^ 世界大百科事典第2版の表記は、なぜかコンティネンタル・タンゴとティ表記を採用しているが、ポリドールはアルフレッド・ハウゼ楽団のアナログ盤発売当初からコンチネンタル・タンゴ表記のまま契約終了まで一切崩しておらず、多くのタンゴ関連文献にもティ表記はほとんど見られない。
^ ’’コンチネンタル・タンゴのすべて アルフレッド・ハウゼ楽団 ポリドール 発売元:日本グラモフォン発売会社 通常版MP-9001(1~2) , 特別来日記念版SMP-9001(1~2)’’は2枚組LPで、これまでのヒットナンバー28曲を1965年の初来日記念のために販売されていた。(録音年月日は不詳。)これが「コンチネンタル・タンゴ」の名が商品ジャケットに用いられ、日本に普及した最も有名な例である。これ以前にも、ハウゼは「Alfred Hause Japanese Songs (1964) ポリドール MP 9449/50」、「Tango in Tokyo (1963) ポリドール 237 610」などを含むリリースを行ったが、「コンチネンタル」の名はジャケットにはない。
^ Nelson 2009, pp.6.151では、アメリカン・タンゴとコンチネンタル・タンゴを区別している。
^ このパターンはアメリカン・タンゴでも踏襲されており、ルロイ・アンダーソンのブルー・タンゴでも採用された。
^ バスクラリネットやバリトンサックスまで使用する原信夫とシャープスアンドフラッツはその典型例。
^ クラシックからの引用を多く含む点はオスマル・マデルナ楽団と似る。
^ Original Spanisch-Argentinische Tangokapelle Juan Llossasは1929年結成、1940年活動終了。
^ 来日以前にドイツ・ポリドールに1952年から籍を置いており、Als Großvater Die Großmutter Nahm (Polydor 20 006 EPH)は1953年販売である。
^ 2015年には6年ぶりに来日したが、マスターと楽団員の多くは当然入れ替わった。
^ 1960年代以後も古典タンゴのコード進行にこだわったアルフレド・デ・アンジェリスのような人物もいるが、原則的には1940年代からは豊麗な和声と楽団ごとのアタックでタンゴが変わったと認識されている。
^ ただし、バンドネオンが完全になくなったわけではないので、アコーディオンとバンドネオンが並置されているのがアルフレッド・ハウゼ楽団である。
^ マランドは、メンバーチェンジで楽団を延命させている。これがアルゼンチン・タンゴだと、コロール・タンゴ(プグリエーセ後継)、ラ・ファン・ダリエンソ(ダリエンソ後継)、オルケスタ・ティピカ・パンパ(ダリエンソ後継)、オルケスタ・ティピカ・ヘンテ・デ・タンゴ(ディ・サルリ後継)、リシャール・ガリアーノ六重奏団(ピアソラ後継指名)などたくさんの後継楽団が見つかる。
^ これ以後も黒ネコのタンゴ、だんご三兄弟、だんご大家族などコンチネンタル・タンゴ発祥の楽曲はあるので、1920-30年代の流行のみとは言えない。
^ 一方ドイツではTanzorchesterの名前でタンゴを多く演奏していた。Barnabas von Geczy mit seinem Orchesterのような楽団はハウゼが慣例的に使う「8分音符3つ16分音符2つといったタンゴのリズム」も少ない。
^ デビュー当初はTanzorchesterとしての活動で、コンチネンタル・タンゴ専門ではなかった。
^ アルゼンチン・タンゴとの折衷楽団
^ アルゼンチン・タンゴとの折衷楽団
^ 原題はFrühlingstraum
出典
- ^ abcd中村とうよう (1998年10月). 世界大百科事典 第2版 コンティネンタル・タンゴ. https://kotobank.jp/word/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB%EF%BD%A5%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%B4-1167813#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88 2017年2月8日閲覧。.
^ 外部リンク、www.jomo-news.co.jpからのアーカイブ、2017年2月8日 13:40:58 UTC閲覧。
^ 外部リンク、images-na.ssl-images-amazon.comからのアーカイブ、2017年2月9日 16:46:15 UTC閲覧。
^ 外部リンク、webcache.googleusercontent.comからのアーカイブ、2017年2月10日 02:17 JST閲覧。
^ 外部リンク、auctions.c.yimg.jpからのアーカイブ、2017年2月10日 01:52 JST閲覧。
^ 外部リンク、auctions.c.yimg.jpからのアーカイブ、2017年2月10日 01:55 JST閲覧。
^ 外部リンク、img.cdandlp.comからのアーカイブ、11 Feb 2017 23:30:11 UTC閲覧。
^ 外部リンク、webcache.googleusercontent.comからのアーカイブ、10 Feb 2017 07:40:32 UTC閲覧。
^ 𠮷田正記念オーケストラは日本唯一のムードオーケストラと公式に名乗っている。2017年3月11日の掛川市文化会館シオーネ大ホール公演コンサートチラシ裏面より。
^ 外部リンク、webcache.googleusercontent.comからのアーカイブ、11 Feb 2017 00:05:33 UTC閲覧。
^ 外部リンク(webcache.googleusercontent.comからのアーカイブ, pp.272, 10 Feb 2017 20:28:53 UTC閲覧)には、A Finnish version of tango developed soon after, championed by the composer Unto Mononen and Olavi Virta, the Finnish king of tango とあることから、第二次世界大戦前にはすでにフィンランドでタンゴのマエストロがいたことが確認できる。
^ 外部リンク webcache.googleusercontent.comからのアーカイブ、2017年2月10日 20:49:52 UTC閲覧。
- ^ abcd由比邦子 (1998年10月). 世界大百科事典 第2版 タンゴ. https://kotobank.jp/word/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%B4-94990#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 2017年2月8日閲覧。.
^ 外部リンク、www.tangojalousie.dkからのアーカイブ、2015年1月6日 17:56:17 UTC閲覧。
^ 外部リンクの音源でも明らかなように、バリアシオンは全くなく終止へ向かう。
^ ゲルハルト・ベーレン楽団の「黒い瞳」
- ^ abc岡田寛. “タンゴの話 68 <続・コンチネンタルタンゴをどうぞ!>”. 西日本放送ラジオ. 2017年2月8日閲覧。
^ 外部リンク auctions.c.yimg.jpからのアーカイブ、2017年2月10日 01:55 JST閲覧。
^ 外部リンク www.hyogo-wel.or.jpからのアーカイブ、10 Feb 2017 19:39:05 UTC閲覧。
^ 最終回の放送 - Youtube
^ 音楽CD検定公式ガイドブック(下). 音楽出版. (2007). p. 172.
ISBN 9784861710308.
^ ジェラシー JALOUSIE アルフレッド・ハウゼ楽団 UPG‐0140 - YouTube
^ 碧 空 BLAUER HIMMEL アルフレッド・ハウゼ楽団 UPG‐0141 - YouTube
^ イタリーの庭 (アルフレッド・ハウゼ) - YouTube