メジロアサマ









































































メジロアサマ


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欧字表記
Mejiro Asama
品種
サラブレッド
性別

毛色
芦毛
生誕
1966年2月23日
死没
1986年1月15日
  (20歳没・旧21歳)

パーソロン

スヰート
母の父
First Fiddle
生国
日本の旗 日本(北海道新冠町)
生産
日高シンボリ牧場
馬主
北野豊吉
調教師
尾形藤吉→保田隆芳(東京)
競走成績
生涯成績
48戦17勝
獲得賞金
1億8736万8000円
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メジロアサマ(1966年2月23日 - 1986年1月15日)は日本の競走馬。名種牡馬パーソロン初期の代表産駒で、初の芦毛の天皇賞馬。オーナーはメジロ牧場を興した日本屈指のオーナーブリーダー北野豊吉。


なお、当項目内での馬齢表示は当時の表記(数え年)とする。




目次






  • 1 略歴


    • 1.1 異能の血統


    • 1.2 現役時代


    • 1.3 種牡馬時代




  • 2 メジロアサマ全産駒


  • 3 血統表


  • 4 脚注


  • 5 外部リンク





略歴



異能の血統


トウルビヨン系種牡馬である父・パーソロンは現役時代の戦績こそ二流に過ぎなかったが、北野豊吉がシンボリ牧場の和田共弘と共同で購入し日本に導入された。後に、三冠馬シンボリルドルフ、日本ダービー馬サクラショウリなどを輩出する距離万能の名種牡馬となったが、初期には早熟な短距離向きの産駒が多く成長力や長距離適性は疑問視されていた。2世代目の産駒であるメジロアサマも、当時3200メートルの天皇賞(秋)出走時に距離適性を疑われたが勝利。その後7歳まで走り息の長い活躍を続けたことで、同父の産駒に対する先入観を覆した。もっとも、メジロアサマの活躍程度ではこの評価は簡単には覆らず、サクラショウリがダービーを制するまでは『牝馬限定種牡馬』呼ばわりする向きも少なくなかった[1]



現役時代


1968年7月にデビューし2戦目から3連勝を飾るも重賞では勝ち星を挙げられず、翌1969年の4歳時に三冠レースで唯一出走した日本ダービーはダイシンボルガードの16着に惨敗。その後暫くはローカルのレースを転戦する。当時は名門尾形藤吉厩舎に入厩しており、尾形厩舎の同期である皐月賞馬ワイルドモアや朝日杯3歳ステークス勝ち馬ミノル、日本ダービー3着のハクエイホウとともに「尾形厩舎四天王」と称されるもその4頭の中では最も評価が低かった[2]


1970年、尾形厩舎の主戦騎手だった保田隆芳が調教師に転身した際にメジロアサマは新規開業した保田厩舎に転厩となった。同時に主戦騎手も池上昌弘となった。


この転厩が功を奏し安田記念で重賞初勝利、続いて函館記念を制するなど実力を発揮し始め、秋には距離適性が疑問視されていた天皇賞(秋)を尾形厩舎所属・フイニイの追撃を退け勝利。一流馬の仲間入りを果たす[3]


1971年、6歳になって迎えた春の目黒記念は一世代下の僚友メジロムサシと共にワンツー(アサマが2着)を決め、これは“メジロ記念”とも言われた。その後メジロムサシとは同年の宝塚記念・ハリウッドターフクラブカップ賞でもワンツーを決めている。さらにアルゼンチンジョッキークラブカップも制した。だが、暮れの有馬記念は流感(馬インフルエンザ)騒動に巻き込まれ出走取消となった(優勝したのはトウメイ)。


1972年、現役最後の7歳時でもアメリカジョッキークラブカップをレコードで勝つなど安定した力を発揮。優勝すれば史上初の獲得賞金2億円を期して有馬記念に出走したが、TTG出現まで最強世代と謳われた1972年の菊花賞馬イシノヒカルの後塵を拝し2着となり達成出来なかった。



種牡馬時代


パーソロンの後継種牡馬として種牡馬生活に入ったメジロアサマであったが、現役時代にかかった流感の治療に抗生物質を使用した事による後遺症か、種牡馬初年度は種付けして受胎した牝馬が0頭という状況であった。そのため、折角作ったシンジケートも解散された。しかし馬主であった北野豊吉はそれでもメジロアサマの産駒で天皇賞を獲ることを目指し、メジロアサマを引き取った上で様々な治療や良血の繁殖牝馬に種付けを試みるなどした。


そしてメジロアサマは生涯で19頭しかいない産駒から天皇賞優勝馬メジロティターン、京都大賞典に勝利しクラシックでも桜花賞2着・優駿牝馬4着と健闘したメジロカーラ、故障続きで本来の能力を発揮出来なかった希代の快速短距離馬メジロエスパーダ[4]らを輩出した。さらに、メジロティターン産駒のメジロマックイーンも天皇賞を制し父子三代天皇賞制覇を成し遂げた。



メジロアサマ全産駒






































































































































































生年 馬名 毛色 母(母の父) 戦績
1975年 オークアサマ(アア) 芦毛 アア ワイオミング(サラ クリペロ) 地方54戦9勝
1976年 メジロエスパーダ 芦毛 ヤマノボリ(*ホワイトファイア) 6戦4勝(種牡馬)
1977年 メジロレオーネ 鹿毛 15戦2勝
ノボリヒメ 芦毛 不出走(繁殖牝馬)
メジロセリカ 芦毛 *サルバネッサ (Salvo) 4戦0勝
1978年 メジロティターン 芦毛 *シェリル(*スノッブ) 27戦7勝(種牡馬)
メジロジュノー 鹿毛 メジロフクシマ(メジロサンマン) 30戦2勝
コンコーディア 芦毛 *レスカリーン(*リボッコ) 中央37戦4勝
地方19戦3勝(繁殖牝馬)
(メジロドーヤ1978) 栗毛 メジロドーヤ(*ダイハード) -
1979年 メジロカーラ 芦毛 メジロドーヤ(*ダイハード) 28戦5勝(繁殖牝馬)
メジロトレミー 芦毛 メジロムーン(*ラヴァンダン) 2戦0勝
1980年 メジロローラント 芦毛 メジロパンサー(*ネヴァービート) 30戦3勝(繁殖牝馬)
メジロルーベンス 栗毛 メジロナガサキ(*ネヴァービート) 41戦6勝(繁殖牝馬)
ハナウイ 鹿毛 バドリナ(*ライジングフレーム) 2戦0勝(繁殖牝馬)
1981年 メジロロウザー 芦毛 アサマリマンド(*リマンド) 23戦2勝(繁殖牝馬)
メジロテンプル 鹿毛 メジロサロマ(*テスコボーイ) 5戦1勝
1983年 マルタカアサマ 鹿毛 ニットウナルビー(*スカイマスター) 3戦0勝
エイシンハリケーン 芦毛 ナナヨー(*シプリアニ) 48戦3勝(種牡馬)
ストリームロング 鹿毛 トウフクマコト(*イースタンフリート) 地方 (上山) 1戦0勝
1984年 メジロピジョン 芦毛 メジロポルシェ(メジロサンマン) 3戦0勝(繁殖牝馬)
1985年 (メジロクインシー1985) 鹿毛 メジロクインシー(*フィディオン)

※メジロレオーネとノボリヒメは双子。


父としては異能とも言える能力を持った種牡馬だったが、母の父としては全く不振で、メジロアサマの牝駒の牝系子孫は現在は全くといって良いほど残っていない。



血統表






















































メジロアサマの血統(トウルビヨン系 / Tourbillon5×5=6.25%)
(血統表の出典)



*パーソロン
Partholon 1960
鹿毛 アイルランド

父の父
Milesian 1953
鹿毛 イギリス

My Babu

Djebel
Perfume
Oatflake
Coup de Lyon
Avena

父の母
Paleo 1953
鹿毛 フランス

Pharis

Pharos
Carissima
Colonice
Abjer
Colonis



*スヰート
Sweet Sixteen 1951
芦毛 アメリカ

母の父
First Fiddle 1939
芦毛 アメリカ
Royal Minstrel

Tetratema
Harpsichord
Rueful
St. Germans

Regret

母の母
Blue Eyed Momo 1944
栗毛 アメリカ

War Admiral

Man o'War
Brushup
Big Event

Blue Larkspur

La Troienne F-No.1-s (1-x)




脚注





  1. ^ 1971年から1974年にかけて、パーソロン産駒がオークスを4連覇したことなどによる。


  2. ^ 阿部珠樹「メジロアサマ - 天下御免の一発主義」、『競馬名馬読本2』、宝島社、1994年3月8日、 234頁。


  3. ^ この時騎乗した池上も当時の天皇賞(秋)史上最年少騎手による制覇となった(23歳1ヶ月)。


  4. ^ 種牡馬として京都大障害(春)を勝ったメジロアニタを輩出している。




外部リンク





  • 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ


  • メジロアサマ - 競走馬のふるさと案内所









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