PCCカー




PCCカーとは、アメリカ合衆国の「Electric Railway Presidents’ Conference Committee(ERPCC:電気鉄道社長会議委員会)」によって開発された路面電車車両、またそれに準じた構造を持つ路面電車車両である。最初のPCCカーは1930年代に開発され、第二次世界大戦後に世界の多くの路線に導入された。




目次






  • 1 概要


  • 2 日本のPCCカー


    • 2.1 日本のPCCカーの例




  • 3 脚注


    • 3.1 注釈


    • 3.2 出典




  • 4 参考文献


  • 5 関連項目


  • 6 外部リンク





概要









初期のスタイルに近いPCCカー。
バス窓ではなく1枚窓が側面に使用され、正面のスタイルも直線的である。(エルパソで撮影)





TCRT PCC streetcar





サンフランシスコ市営鉄道(MUNI)のFマーケット・ワーフライン(Fライン)で運行中の、パシフィック電鉄の塗色を再現した1061号。 (1946年製)




MuniのFラインで運行中の、元フィラデルフィア・SEPTA車両の車内





ミシガン湖のほとりを行くケノーシャのPCCカー(ピッツバーグ鉄道(Pittsburgh Railways)塗装、1951年製)




運転方式が足踏みペダル式なのが特徴(東京都電5500形)



PCCカーはアメリカ合衆国にあった「The Electric Railway Presidents' Conference Committee(ERPCC)」によって開発された。この委員会は、各地の路面電車運営会社が集まって1929年に結成され、当時台頭しつつあったバスや自家用車に対抗できる新しいタイプの路面電車を開発することが使命だった。PCCの名前もこの委員会にちなむ。


PCCカーは、独特な流線形の車体とスムーズな加速性能を持ち、各地の鉄道会社に採用された。これらのPCCカーはそれぞれの会社の事情に合わせてアレンジが行われたが、それでも多くの車両は、いかにもPCCカーらしい形を保っていた。


PCCカーは1936年に最初の100両が作られた。その後も北アメリカでは、1950年代の初期まで製造が続けられた。北アメリカでは4,978両が作られ、ヨーロッパでも、オランダ、ベルギーなどにほぼ純正のPCCカーが存在したほか、旧西ドイツのデュワグカーや、チェコ製の旧東欧共産圏標準形タトラカーなど、PCCカーを叩き台にした高性能車は本国アメリカをも凌ぐ量産がなされた[1]。これらはいずれの事業体でも引退期にあり、多くは超低床LRV等に置き換えられているが、なおも多数が欧州各地で使用されている。


PCCカーは丈夫で長持ちしたが、現在では大部分の車両が廃車となり、一部は各地の博物館や保存鉄道で保存されている。わずかな両数ではあるが、現在でも走っているものがある。代表的なものとして、サンフランシスコの中心街・マーケットストリートから港湾地区を通り、観光地フィッシャーマンズワーフまで走る「F-Line」がある。もともとこの区間を走る路面電車が存在し、一旦地下に全面移転になったものの、線路や架線(トロリーバスを運行しているために継続利用されていた)は残されていた。これを利用したフェスティバルなどでの特別運行が時折実施されていたが、フィラデルフィア市SEPTA(セプタ)から中古PCCカーを大量に導入し(その後ニュージャージー・トランジットからも追加導入している)、アメリカ各地の廃止になった路面電車のカラーリングに装って、通常運行が復活した[2]。同様にイタリア・ミラノ市電の中古車も導入され、共に主力車として使用されている。このほか、ウィスコンシン州ケノーシャでもダウンタウンの環状線で旧トロント市電のPCCカーを使った路線運行がなされている。規模や車両数はサンフランシスコのF-Lineにおよばないものの、こちらも各車がさまざまな都市の路面電車のカラーリングを纏っている。これらは路面電車版の保存鉄道と言えるもので、観光の一つの目的にもなっている。


第二次世界大戦前に作られた初期のPCCカーは「エア・カー」と呼ばれ[3]
、ドアの開閉やブレーキに使われる圧縮空気を作るための電動空気圧縮機を持っていた。これに対し、1945年以降に製造された後期の車両はすべてが電動化されていたのが特徴である。これは騒音が大きい空気圧縮機とエアブレーキをなくすためで、エアブレーキは、モーター軸に取り付けられた電気駆動方式のドラムブレーキに変更されていた。また初期、後期とも、停車するときには主として発電ブレーキを用い、エアブレーキまたは電気駆動ブレーキは、車体が完全に停止する直前まで[注 1]使われなかった。運転方式は加減速共に自動車同様の足踏みペダル式で、手は運転台コンソールにあるつかみ棒を握っているだけである[4]





シカゴ・Lの6000系。バス窓や折戸など路面電車用PCCカーのスタイルを踏襲している


PCCカーのシステムは路面電車のみならず、ラピッド・トランジット(都市型高速電車)にも応用例がある。シカゴ“L”の試作連接車である5000系(→51系:1947年製)、大量増備された量産ボギー車の6000系(1950 - 1959年製)、そして単行運転可能で併用軌道区間での運用も行われた両運転台車の1系(1959・1960年製)がそれである。内側台枠方式で小直径の弾性車輪を使用する台車、直角カルダンによる駆動系、超多段制御の主制御器等、路面電車用PCCカーのシステムをそのまま応用している。もっとも、これらの運転台はPCCカーの開発にも参加したウェスティングハウス・エレクトリック社およびウェスティングハウス・エア・ブレーキ社が開発したシネストン・コントローラと呼ばれるブレーキ弁と主幹制御器を同軸化したワンハンドルマスコンを使用しており(このためブレーキは電空同期を前提とするSMEE電磁直通ブレーキが採用されている)、その点では足踏みペダルによる操作を基本としたPCCカーとは異なっていた[5]



日本のPCCカー






東京都電5500形





大阪市電3000形(旧形式3001時代の写真)





名古屋市電2000形



日本では第二次世界大戦後の1950年代に路面電車の高性能化への取り組みが行われる中で、PCCカーが注目された。しかし、日米の車両規格の違いや法規上の問題から、PCCカーそのものの輸入は実現せず、PCCのライセンスを受けて製造された車両として、1954年(昭和29年)に都電5500形(5501)が1両試作された[6][7]


同じ頃、PCCの設計思想に触発され、日本国内でもPCCカー同様の直角カルダン駆動方式を採用するなどの高性能化を行った日本メーカー独自の高性能車が開発され、全国の路面電車各事業者で採用された。これらの高性能車もPCCカーと呼ばれることが多い(準PCCカー、和製PCCカーと呼ばれることもある)。


これらの高性能車は騒音や振動が少なく、高い加減速性能を持っていたが、足の遅い従来車両との混用では速度向上効果は得られず、また多くの事業者では導入数が少なく、構造も従来車と大幅に異なるため、従来車に慣れた乗務員や検修係員(整備士)に敬遠されたり、保守点検に時間を要すなどの理由から、後に従来車と同じ吊り掛け駆動方式に改造[注 2][8]されたり、短期間で廃車されたりする車両[注 3][9]が多数出ることとなった。その一方で高性能車の使用・整備ノウハウを慎重に積み重ねた上で大量増備を行った大阪市交通局では全廃の日まで高性能車を使い続けた。名古屋市交通局でも1800形でPCCカーに類似した方式のブレーキを採用するなどしたのを皮切りに多数の高性能車を導入し、全廃までは維持されなかったものの大阪市電と並ぶ成功例とされている[10]。また、仙台市交通局はPCCカー準拠の電車を導入した後(200形)、更に直角カルダン方式の独自仕様車(400形の一部)を導入しており、こちらも両形式とも軌道線全廃の日まで使用された。



日本のPCCカーの例




  • 東京都電5500形・6500形・7000形(7020のみ)


  • 東京急行電鉄デハ200形


  • 名古屋市電1900形・2000形


  • 大阪市電3000形・3001形


  • 南海電気鉄道モ501形


  • 神戸市電1150形(改造前)


  • 土佐電気鉄道500形(改造前)


  • 西日本鉄道福岡市内線1000・1100形



脚注


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注釈





  1. ^ 松田(1954)によれば、東京都電5501の場合約3 km/h。


  2. ^ 神戸市交通局1150形、土佐電気鉄道500形。共に下記一覧参照。


  3. ^ 東京都交通局5500・6500形および7000形7020など。




出典





  1. ^ 「PCC: The Car That Fought Back」


  2. ^ 「鉄道ピクトリアル No.688」pp.65-66


  3. ^ 『路面電車発達史』P63,65


  4. ^ 「新路面電車読本」pp. 137 - 153


  5. ^ 「PCC: The Car That Fought Back」Chapter 6 PCC RIDES THE RAPID pp. 163 - 170


  6. ^ 「わが街わが都電」 p. 176


  7. ^ 「路面電車の技術と歩み」pp. 179 - 180


  8. ^ 「世界の鉄道'73」pp. 83・86


  9. ^ 「鉄道ピクトリアル No.593」p.81、「鉄道ピクトリアル No.614」pp.56-59


  10. ^ 『路面電車発達史』P114




参考文献



  • 宮本政幸 『新路面電車読本(電気車研究シリーズ6)』、電気車研究会、1953年

  • 松田新市 「東京都交通局納入P.C.C.カー」、『三菱電機』 Vol. 28 No. 12 1954年12月

  • 『世界の鉄道'73』、朝日新聞社、1972年

  • Carlson, S.P.; Schneider, F.W. 「PCC: The Car That Fought Back」 Interurban Press 1980年 ISBN 0-916374-41-6

  • 東京都交通局編 『わが街わが都電』、東京都交通局、1991年

  • 三田研慈 「都電7000形ものがたり」、『鉄道ピクトリアル No.593 1994年7月臨時増刊号』、電気車研究会、1994年

  • 江本廣一 「東京市電~都電 車両大全集」、『鉄道ピクトリアル No.614 1995年12月号』、電気車研究会、1995年

  • 青木栄一 「カリフォルニア州のライトレール事情」、『鉄道ピクトリアル No.688 2000年7月臨時増刊号』、電気車研究会、2000年

  • 吉川文夫 『路面電車の技術と歩み』、グランプリ出版、2003年9月

  • 大賀寿郎 『戎光祥レイルウェイリブレット1 路面電車発達史 ―世界を制覇したPCCカーとタトラカー』戎光祥出版、2016年3月、ISBN 978-4-86403-196-7



関連項目




  • セントルイス・カー・カンパニー - 製造を行った車両メーカー


  • プルマン (企業) - 同上

  • モノコック

  • バス窓



外部リンク







  • Washington University Libraries "St. Louis Car Company Records": PCCカーの製造メーカーであった St. Louis Car Company の記録(英文)

    • "St. Louis Car Company Photographs": St. Louis Car Company の公式写真。PCCカーなど。

    • "PCC sales brochure": St. Louis Car Company のPCCカーブックレット(英文)

    • "Specifications for PCC construction, 1941": TRCのPCCカーの仕様書・図面集(1941年版)

    • "Specifications for PCC construction, 1947": TRCのPCCカーの仕様書・図面集(1947年版)




  • PCCカーの運転操作、車内設備の解説動画(英語) - オレンジエンパイア鉄道博物館(英語版)公式チャンネル







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