マスター・コントローラー
マスター・コントローラー(Master controller,「マスコン」と略される)は、鉄道車両の出力・速度を遠隔制御するスイッチ装置であり、一般に鉄道車両の運転台に設置される。日本語では「主幹制御器」と翻訳される。
本項目では便宜上、(遠隔操作ではない)直接制御器についても説明するが、本来「マスター・コントローラー」「マスコン」あるいは「主幹制御器」という用語には直接制御器は含まれない[1]。鉄道の運転・整備の現場における用語法でも「マスター・コントローラー」や「マスコン」は間接制御における主幹制御器のみを指し、直接制御器を指す場合や、双方を含めて言う場合は「コントローラー」などの語が用いられる[2]。
目次
1 概要
2 電気車両の制御機構
2.1 直接式
2.2 間接式
2.2.1 電車用間接式制御器の発展
2.2.1.1 GE社
2.2.1.2 WH社
2.2.1.3 EE社
2.2.1.4 東芝
3 操作系の形態の種類
3.1 横軸マスコン
3.2 ワンハンドルマスコン
3.2.1 両手ワンハンドルマスコン
3.2.2 片手ワンハンドルマスコン
3.2.3 1軸ツーハンドルマスコン
3.3 縦横軸併用ツインレバー型マスコン
3.4 横軸ツインレバー型マスコン
3.5 直通運転とマスコン形状の統一
3.6 無接点化
4 脚注
4.1 注釈
5 関連項目
概要
鉄道車両の動力源の出力自体を制御する機器は動力車に備えられ、電気車の場合は「主制御器」と称される。複数の車両による連結運転の必要上、あるいは制御機器の複雑・大型化で運転台とは別に設置されるようになった場合などには、これらの機器は運転台から遠隔操作されることとなる。そのために運転台に設置し、運転者が操作するものが「主幹制御器」「マスター・コントローラー」である[3]。運転台からの遠隔操作を行わず、運転台で直接主回路切換えやギヤチェンジなどを行う場合の操作機器には、このような呼称は用いない[3][注釈 1]。
制御器などのハンドルを「自動車のアクセルペダルに当たるもの」とする説明が見られるのは、制御器ハンドルが担う操作が主に力行(加速)だからであるが、それが常にあてはまるとは限らない。力行ハンドルとブレーキハンドルが別体のものを「ツーハンドルマスコン」や「ツインレバー型マスコン」と総称するがこれにはブレーキも含まれ、一体化させたワンハンドルなら、ブレーキもマスコンと同じハンドル(レバー)ひとつで操作するわけで、この場合でもマスコン=アクセルとはいえなくなってくる。
なお、ブレーキを制御する装置は制動弁(ブレーキ弁やマンス弁ともいう)やブレーキ設定器と呼ばれ、制御されるものは制動弁(設定器のハンドルに直結している弁本体)を直接、またはブレーキ演算装置を間接的に制御する。本項では主にブレーキ設定器の形態に触れるに留め、詳細は鉄道のブレーキに譲る。
現代の電車・電気機関車・気動車・ディーゼル機関車には通常、以下の方式のいずれかが搭載されている。鉄道車両以外では天井クレーンで設置されているものもある。
電気車両の制御機構
直接式
モーターの電源となる、架線電流そのものを運転台に引き込み、運転者の力でカム軸を操作し、直接、断続や抵抗器の切り替えを行うものである[1][4]。この方式では、運転台の制御器で主回路の切り替えが直接行われ、他に遠隔操作される制御器が存在しないため、運転台の制御器は「主幹制御器」ではなく、「直接制御器」(Direct Controller、ダイレクトコントローラー)と呼ばれる[1][4][5]。
安易に執筆された文章では、直接制御器を「直接制御のマスコン」「直接制御式の主幹制御器」などと表現しているものが見られることがあるが、いずれも用語の意味を理解していないことによる誤用であり、意味が成り立たない[注釈 2][注釈 3]。
直接制御器の歴史は、1870年代にドイツのシーメンスによって発明された最初の電気機関車にまで遡ることができる。
電動機による電動カム軸式などに比べ、構造が単純で反応が素早い利点があり、力行中断・再力行を繰り返す路面電車などではその利点が活用されることも多い[4][5][6]。ただ、操作力は大きく体力を要する[7]。また、コントローラー内のスイッチ接点に架線電圧が直接かかるため、特に外装部の絶縁処理に注意を要し、さらに運転台に置かれるため、コントローラー本体の体積(ケースの容積)や接点の寸法などには物理的な限界があり、高電圧・大電流への対応や一定以上の多段化が困難である。
後述の間接非自動制御とも共通するが、ノッチ進段を運転者の判断・感覚で手動で行うため、進段が早すぎた場合や誤ってノッチを飛ばしてしまった場合、主回路に過大な電流が流れ、保護機構が作動して力行が中断してしまうことがある[8]。
架線電流を引き込む構造上、集電装置を持たない非電動車からの遠隔制御や、2両以上の総括制御には不適であり[注釈 4]、連結総括制御を行わない用途の車両に用いられる。比較的小型の電気機関車や、路面電車のうち、もっぱら単行運転を行う車両などに多い。車体更新を受けている路面電車車両でも、制御器は従来の直接制御器が引き続き使用されているケースもある(土佐電気鉄道2000形電車、熊本市交通局8500形電車、鹿児島市交通局9500形電車など)。
間接式
低圧電源で小電流の主回路切替用制御信号線のみを運転台に引き込み、この信号線の接続切り替えによって、離れた位置にある制御装置を遠隔操作する方式である。この遠隔操作のために運転台に設置されるものが「主幹制御器」「マスター・コントローラー」である。
電車の2両編成以上での運転には遠隔制御を用いるのが望ましいことから、1898年にアメリカのフランク・スプレイグの手により、マルチプル・ユニット・システムと呼ばれる総括制御システムの一環として考案された。最初に開発されたスプレーグ・タイプDは既に自動進段機構を備えており、制御電源は低圧(直流12V)のバッテリーに頼っていたが、これはやがて電動発電機によるより安定した電源を使用するようになった。その後1910年代に入り、低コスト化への要求から補助電源無しで架線電圧による直接駆動可能、しかも構造が極めて単純な手動進段式制御器が、ゼネラル・エレクトリック社(GE社)やウェスティングハウス・エレクトリック社(WH社)の手で相次いで開発された。これらはその廉価さから支線区や中小私鉄を中心に普及した。
運転台に搭載されるコントローラーの内蔵スイッチは、取り扱う電流量が微少であるため直接式より小型にでき、また操作時の運転士の負担は少ない。複数の車両の制御装置を同時に遠隔操作できるのが最大の長所である。電車・電気機関車に限らず、気動車・ディーゼル機関車にも応用できる。
進段について、運転者の手動操作によって行うものを間接非自動制御、自動的に行うものを間接自動制御と称する。
現在の鉄道車両で通常用いられているのは、この間接制御器である。
電車用間接式制御器の発展
電車用間接式制御器は、その発祥の地であるアメリカにおいて、GE社とWH社の2大電機メーカーの競争によって発展した。このため、現在もなお、これら2社の製品に由来するシステムが世界中で使用されている。
ここではそれら2社が製造した主な製品と、それらとは別に発展した、イギリスのイングリッシュ・エレクトリック社(EE社)による「デッカー・システム」について概要を説明する。
GE社
間接式制御器の生みの親であるスプレーグ自身が、元々エジソンのスタッフの一人であったという経緯から、エジソンが創設したGE社は早期よりこの画期的なシステムの製品化に取り組んできた。その成果は早くも1901年に現れており、電磁式単位スイッチ機構がこの年完成した[注釈 5]。後にMコントロールの名で知られるようになったこの合理的なシステムは、直流600 Vの架線電圧を直接その動作に使用する[注釈 6]点に特徴があった。前述の通り1910年代には回路構成を大幅に簡略化した手動進段式のMKが派生し、さらに自動進段式のMA (M Automatic) 系は1910年代中盤以降単位スイッチ機構をカムスイッチに置き換えたPC(Pneumatic Cam)へ移行[注釈 7]し、1920年代には多段化や発電制動に対応したPCM(Pneumatic Cam Magnetic)が誕生、さらには1940年代に複数カム軸使用とカム軸のパイロットモーターによる電動化を施したMCM(Multiple Cam Magnetic)へと発展、これをコンパクトにまとめたパッケージ式制御器が誕生して技術的な絶頂を迎えた。その後アメリカにおける電気鉄道の衰退期に入ってMCMを整理・簡素化したSCM(Simplified Cam Magnetic)が1960年代に実用化され、これは電力用半導体素子の利用による電子制御実用化まで普及した。
当然ながら、自動進段式のMA系と、手動進段式のMK系とでは、その制御段数の相違からコントローラーの仕様が異なっており、相互の併結は不能であった。
日本においては、総括制御導入初期に事実上の市場独占を実現しており、特に新性能車の導入まで省線電車・国鉄電車の標準マスコンとして長く採用され続けたMC1形主幹制御器は、GE社のC36形マスター・コントローラーを改良したものであった。さらに、MCMは戦後国鉄が開発したいわゆる新性能電車用制御器の基本となったCS12形のプロトタイプとなり、パッケージ制御器の技術はGE社の日本におけるライセンス提携先である東芝の手により、冷房搭載に伴い艤装の小形化が特に強く求められた名古屋鉄道5500系電車や7000系電車などにMC-11系制御器として導入されている。
WH社
GE社のライバルであったWH社も、少し遅れて電気鉄道向け機器の開発に乗り出し、電空単位スイッチを1904年に実用化した。これは総括制御に必要なもう一つの技術である空気ブレーキの開発で知られるウェスティングハウスならではのアイデアで、ブレーキに用いる空気圧制御を制御器に応用したものであった。
ブレーキと制御器で極力機構を共通・統合化しよう、というこのWH社の設計コンセプトは、やがてブレーキの電空同期を実現するSMEE/HSC-D発電制動連動型電磁直通ブレーキの開発を経て、ワンハンドルマスコンの嚆矢となったシネストン・コントローラー(後述)の完成で絶頂を迎えた。
WH社(およびそのライセンスを受けて製品を製造した三菱電機)の場合、その型番体系は非常に合理的、かつシステマティックに整理されており、以下の各種の記号を組み合わせたモデルが存在した。
- H
- Hand acceleration : 手動進段
- A
- Automatic acceleration : 自動進段
- L
- Line voltage : 架線電圧動作
- B
- Battery voltage : 低電圧動作[注釈 8]
- M
- M compatible : GE社Mコントロール互換。日本ではMultiple notch : 多段進段
- F
- Field tupper : 弱め界磁機能
- S
- Spotting : スポッティング付き
例えば、手動進段・架線電圧動作の場合はHL、自動進段・低電圧動作・弱め界磁機能・Mコントロール互換(多段進段)の場合はABFM、自動進段・低電圧動作・スポッティング付きの場合はABSとなる。
EE社
直接式制御器のベストセラーとなったDBI-Kxシリーズ[注釈 9]で知られたイギリス・デッカー社 (Dick Kerr Works,Preston, Lancs.) も、1910年代には総括制御器をラインナップに含める必要に迫られた。このため、1920年代以降「デッカー・システム (Dick Kerr System)」として知られることになる、画期的な間接自動制御器シリーズを開発した。
これは前述の2社とは異なり、当初よりモーターで駆動される精緻なカムスイッチ機構を備えていた点に特徴があった。電動カムスイッチは、当初はその保守コストは大きかったが、大電流を取り扱うモデルでもコンパクトにまとめられ、機構上、自動進段機構が容易に構成できるというメリットがあった。このため、いずれの製品も自動進段機構を標準搭載して、スムーズな加速に欠かせない多段制御を実現しており、これに合わせてマスコンも自動進段を前提として、実際の制御段数の割にノッチ刻みが少ない、コンパクトかつシンプルな構成となっているのが特徴であった。
デッカー社は、このシステムの開発直後にEE社に吸収合併されたため、その大半はEE社製品として販売された。販路は主として英連邦各国であったが、日本およびその影響下にあった各国においては、日本におけるEE社の提携先である東洋電機製造によるライセンス生産品が多数販売され、使用された。
東芝
1954年にカルダン高性能車用制御器PE-11を開発した。これは上記EE社の電動カムスイッチ式を祖とするものだが、ブレーキ系統も連動し、制動ノッチ時は発電ブレーキのみでブレーキ力が不足する際はブレーキハンドルの操作によらず自動で空気制動がかかるなど運転士の負担を大きく低減する機構が盛り込まれた。この制御器は東急5000系電車(初代)に採用されて良好な成績を示し、後に国鉄CS12形を嚆矢とする新性能電車用制御器の雛形になった。
以降、日本の電動カム軸式制御器は独自の発展を遂げ、CS12形の上位互換でノッチ戻し機能を持つCS15形、CS43形が開発され、更には大電流ゆえ不可能と言われていた電気機関車用にも碓氷峠を超える関係から軽量化な超多段制御器が求められた国鉄EF62形電気機関車から本格的に採用された。
また、日本では進段シーケンス(とブレーキ指令方式)さえ合っていれば異形態の主制御器を持つ車両同士(例えば、電動カム軸制御車と単位スイッチ制御車、抵抗制御車とVVVFインバータ車、など)でも併結できる利点が生かされ、広く行われている。
操作系の形態の種類
横軸マスコン
マスコンとブレーキレバーは別々であるものの、従来型と違い、マスコンレバーの見た目が自動車のATセレクターの様な横軸(水平)型レバー式となっている。
かつてマスコンの操作レバーは伝統的にレバーを横方向に旋回させて操作する縦軸(垂直)方式であった。下部にあるカバー内には、ハンドルと結合されたカム軸と隣に接点部と呼ばれるスイッチを平行に複数設置した構成としており、カム軸で複数のスイッチ接点をオン/オフさせる。熟練者であればブレーキの操作と合わせることで細かい制御が可能で、特に起動時における衝撃を抑制することが可能な反面、一定の技能がないといわゆる“ドン突き”衝動を発生させやすかった。直接制御器時代では架線電源の電気を直接取り入れてコントロールしていたため、マスコン自体は大型であった。
自動進段式の間接式制御器が主流になると、電動発電機(MG)または静止型インバータ(SIV)からの低圧電源(直流100V)を使用してコントロールするようになったため、マスコン本体は小型化された。そのため、必ずしも縦軸である必然性はなくなっていた。そこで非熟練者でも操作の容易な形態として横軸マスコンが考案された。国鉄では新幹線の試作車である1000形で試用され、その量産車である新幹線0系で実用化された。また在来線では電車に先んじてキハ181系気動車で初採用された。
視覚的に進段・ノッチオフを意識しやすいよう、国鉄型の横軸マスコンは、“押して力行、引いてノッチオフ(ノッチ戻し・抑速ブレーキ)”であり、後述の民鉄発祥のワンハンドルマスコンとは逆の配置になっている[注釈 10]。
国鉄では長らくブレーキ互換性と動作の確実性から、ブレーキについては自動空気ブレーキを採用し、SELD電磁直通ブレーキを採用する電車についてもこれを併設として、自動ブレーキ弁は運転台のブレーキレバーで直接操作するという形態をとった。この為横軸マスコン車でもブレーキは縦軸配置を採った。これはブレーキが電気指令式のみとなった国鉄最末期の量産車である211系電車や205系電車でも乗員の慣習の問題から踏襲され、ブレーキ弁直結とならなくなり、運転台コンソールと一体化して小型化はしたものの、ブレーキレバーそのものは縦軸のままであった。
この節の加筆が望まれています。 |
ワンハンドルマスコン
本来別々に設置されているマスコンとブレーキレバーを一体構造としたものである。運転操作を極力簡易にするための発想で、既に1930年代にはシネストン・コントローラー (Cineston Controller)と呼ばれる、SMEE/HSC電磁直通ブレーキ用ブレーキ制御弁にマスコンの電気接点を組み込んだ制御器システムがアメリカのWH社の手で開発され、遅くとも1940年代後半までにはニューヨーク、シカゴ、ボストン市などの地下鉄および高架鉄道で営業運転に供されている[注釈 11]。
ワンハンドルマスコンの実現には、主幹制御器側で操作される発電・回生ブレーキと、ブレーキ弁で操作される空気ブレーキ系が電気的・機械的に確実に同期動作する必要がある。このため、当時の技術では、WH社が開発したセルフラップ式ブレーキ弁と、同じくWH社開発の締切電磁弁 (Lock Out Valve:LOV)や射込弁(Inshot Valve:連動込め弁とも)の併用が事実上必須であった。
日本では1952年の高松琴平電気鉄道10000形電車が電空一体型ワンハンドルマスコンの最初の採用例(制御装置は日立製作所笠戸工場製)であるが、この時点ではセルフラップ弁を持たない、通常の直通ブレーキ上にシステムが構築されており、その操作は極めて特殊であった。しかも、LOV相当の機構も欠落していたことから発電ブレーキと直通ブレーキの同期に難があり、この日立製ワンハンドルマスコンシステムは普及しなかった。
日本においてワンハンドルマスコンが本格的に採用されたのは、1960年代後半であり、従来の空気ブレーキがブレーキ弁の操作により指令を行う空気指令方式から、マスコンと同じく、カム軸の操作により複数のスイッチ接点をオン/オフさせて低圧の電気で指令を行う電気指令式が採用されたことによるものであり、ブレーキ弁を持たないことからブレーキ制御器と呼ばれている。これにより、マスコンとブレーキ制御器を一体化して、一本のハンドルで操作できることが可能となった。
両手ワンハンドルマスコン
本格的な採用としては1969年の東急8000系電車が最初と言える。また日本ではワンハンドルマスコン採用車両の大半が電気指令式ブレーキとなっている。
東急8000系を開発する際に、ワンハンドルマスコンの操作法について、“押して制動・引いて力行”と、馬を御するやり方に基づいたそれと逆とする案の両方が出され、最終的には前者に決まった[9]。前者については、人間の体が慣性に逆らわずに運動する、また、万一失神時には前に倒れ込むであろう、といった点が“人間工学に基づいたシステム”としての観点から言われている。導入に際しては当時の運輸省から「どちらでも良いが、どちらかに決めたらその方式は以後変えてはならない」という指導があり[10]、以後このタイプのコントローラ(横軸ワンハンドル型マスコン)の操作系については、JR・私鉄等を問わず全ての車両が東急8000系方式を踏襲している。
両手式を多く採用している会社として、関東では東急を筆頭に、小田急電鉄を除く大手私鉄すべてで両手ワンハンドルの採用例がある。関西では阪急電鉄の2200系および6300系以降の車両と阪急の系列会社である北大阪急行電鉄9000形、阪急に乗り入れるOsaka Metro66系、25系(更新車)、30000系(2018年度増備車)、阪急6300系と同様の運行形態を想定していた京阪電気鉄道の8000系が挙げられる。なお、阪急では自社車両への両手ワンハンドルマスコンの導入に当たって東急の協力を得ている。西日本と四国を除くJRグループでは片手式の採用が主流となり、両手式は2017年現在まで採用例が一切ない[注釈 12]。
片手ワンハンドルマスコン
ハンドルが片手側しかないため、ハンドルをL字形にして軸の付け根を運転台デスクの端に寄せることができ、デスクの中央が開いて、各種スイッチやダイヤグラム表などを配置しやすいという長所がある。両手ワンハンドルならどちらか片手で握っていればよいが、片手式は走行中つねにハンドル側の手で握っていなければならないのが欠点となる。片手ワンハンドルの反対側には手摺りが設けられ、もう片方の手が遊んでしまうという運転士の心理的負担を和らげている。
日本での本格的採用はまず右手式で、京浜急行電鉄の800形から採用された。続いて2000形でも採用したが、次世代の1500形からは両手式に戻っている(理由は後述)。伊豆箱根鉄道3000系と5000系で採用しているハンドルは、運転台のデスク自体が京急のそれに準じたものを使っている[注釈 13]。二階式運転台の特急車(小田急ロマンスカー)を持つ小田急電鉄では7000形と10000形で、江ノ島電鉄では1000形から、いずれも「運転台が狭いため、コンパクトに収まる」という理由で右手ワンハンドルを採用している。なお二階式運転台ではない20000形や30000形も右手ワンハンドルだが、これは小田急ロマンスカー全体での部品共通化を目指したものである[注釈 14]。JRグループでは小田急乗り入れを前提に設計されたJR東海の371系が唯一の右手式採用事例となった。
左手式の採用は、JR北海道の721系からであるが、その後はJR東日本の209系から本格的に採用が始まった。基本的には上記の左右逆であるが、片手操作のハンドルがI字形と呼べるほど小型化され、ワンレバー式とも言えるサイズである。2003年の肥薩おれんじ鉄道HSOR-100形気動車は軽快気動車で初めてワンハンドルマスコンが採用された。右手ワンハンドルと比べ、近年は西日本と四国を除いたJRグループや大手私鉄での採用例が増えている。
ヨーロッパにおいては、特にトラム等で早くからワンハンドル制御が行われていた[注釈 15]。操作方向は日本とは逆に、押して力行、引いて制動とし、右側通行の大陸ヨーロッパでは左手操作とするのが一般的である。ドイツから導入された広島電鉄5000形[11]では、日本仕様とするため、操作方向を引いて力行、押して制動、右手操作に設計変更している。
1軸ツーハンドルマスコン
ワンハンドルマスコン同様片手操作可能ではあるが、右側/左側両方にマスコンハンドルがある。左右の軸が繋がっており、右手で右のレバーを操作すれば左のレバーも連動して動く仕組みになっている。この方式は路面電車の一部(京福電気鉄道モボ2001形電車、阪堺電気軌道701形電車、広島電鉄3800形電車、鹿児島市交通局2100形電車など)に採用されている。
縦横軸併用ツインレバー型マスコン
左手のマスコンを横軸式にする一方で、右手のブレーキハンドルは在来車と連結する必要や、安価な既存技術を採用するという方針から、従来と同じ縦軸ブレーキハンドルとしたもの。国鉄では201系で採用された後、205系などいくつかの系列で採用された。私鉄では神戸電鉄3000系、西鉄5000形、阪神ジェットカー(5550系・5700系)に採用されている。
横軸マスコンが全盛を極めている現在では採用例が少なく、JRグループの在来線車両では2014年登場のJR四国8600系が現時点で最後の採用例である。気動車では関東鉄道の車両(キハ2300形・キハ2400形・キハ5000形)が一貫して縦横軸併用マスコンを採用している。
新幹線車両については、現在もこのタイプのマスコンが主流となっており、分割民営化以降の新造車両ではJR西日本500系を除き、すべてこのタイプである。また、新幹線運転時にはブレーキ操作よりマスコン操作の方が重要視されるため、大多数の運転士の利き手である右側にマスコンが来るよう、ブレーキとマスコンの位置が在来線車両と左右逆転している。
鉄道運転シミュレーションゲーム「電車でGO!」シリーズのアーケード用筐体は、205系をモデルにした縦横軸マスコンを採用している[注釈 16]。
横軸ツインレバー型マスコン
マスコン・ブレーキともに横軸としつつも、それぞれ独立して操作する形式である。
電車に先んじて国鉄キハ181系気動車が嚆矢となった。キハ181系ではブレーキがダイヤフラム式のCLE電磁自動空気ブレーキとなったことに加え、他系列との併結を考えない形式であったため運転台用のブレーキ弁をコンパクトにできたことで実現した。しかし、キハ181系自体が国鉄形式としては少数に終わった他、同じ系統のブレーキ弁を装備する201系電車[注釈 17]では101系・103系との混用の為、習熟の問題もありすぐには普及しなかった。
国鉄分割民営化の後、運転台に自動ブレーキ弁を設置する電車がほぼ皆無になり、さらに気動車までもが電気指令式ブレーキを採用するようになったため、ブレーキについても縦軸配置の意味が薄れた。一方でワンハンドルマスコンでは細やかな制御がしづらいことを嫌う事業者に普及することになった。
レバーの形状はデスクの横から伸びるL字形か、デスクの上下に伸びるT字形で、拳を横にして握る方式がほとんどである。変わった例としては、ハンドル形状が三度も変わった京阪電気鉄道の3000系で、2番目(ブレーキが全電気指令ブレーキに変わってから、8000系登場後ワンハンドルに更新されるまで)に採用されていた形状では、左のマスコンがT字形で手のひらにより上から押し込み、右のブレーキがI字形で手の甲を右側に向けて握った。
関西圏の各社線では、ブレーキ弁とマスコンを同時に操作して出発時の衝動を軽減するスキルが常用される例が多いことからこのマスコンを採用することが比較的多く、JR西日本の221系電車以降の電車各形式や、私鉄では1990年代以降の新造車両(阪急電鉄・阪神ジェットカーを除く)、地下鉄ではOsaka Metro(堺筋線用の66系・千日前線用25系更新車・30000系2018年度増備車を除く)や京都市、神戸市(海岸線の5000系を除く)、関西以外ではJR四国(JR西日本223系5000番台と共通設計である5000系電車および2000系・1500形・2600系などの各気動車)や第3セクター鉄道の気動車、名古屋市営地下鉄の初期のVVVF制御車[注釈 18]で採用例がある。関東の鉄道車両では新京成8800形電車、箱根登山鉄道1000形電車以降の新造車両[注釈 19]がツインレバー型を採用している。かつては営団01系・02系[注釈 20]や横浜市営地下鉄1000形電車・2000形電車、3000形(1次車のみ、ワンマン装置取り付け前)がツインレバー型を採用していた。新幹線ではJR西日本が開発した500系が唯一この形態を採っている。
近鉄26000系電車は横軸ツインレバー型マスコンであるが、他の横軸ツインレバー型マスコンはブレーキ装置が電気指令式ブレーキであるのに対し、この系列のみ電磁直通ブレーキになっている。
また更に後年に入ると、自動ブレーキを必須とする機関車においてもブレーキ弁の冶金技術高度化による更なる小型化や制御システムの統合電子制御化による間接化で、横軸ブレーキレバーの採用が可能となった。EF200形・EF500形を皮切りとしたJR貨物のVVVFインバータ制御の機関車はこの形態を採っている。
直通運転とマスコン形状の統一
他の鉄道会社と直通運転と行う場合、異なる鉄道会社の境界駅で、もう一方の鉄道会社に運転士が交代する運転方法が多く採用されているため、運転士の熟知の問題から、運転室のスイッチの位置や色に規格統一が求められるケースが多く存在する。マスコンの形状も例外ではなく、直通する全形式で1種類、多くても2種類に統一されているケースが目立つ[注釈 21]。
特徴的な例を挙げる。前述の201系と205系で縦横併用式を採用していた国鉄が、東京メトロ千代田線(当時は帝都高速度交通営団)直通用に製造した203系では縦軸マスコンを採用した。一方東京メトロ東西線では05系の初期型は直通先の中央・総武緩行線に103系が多かったことや、自社の5000系も一気に置き換えず[注釈 22]、当面は界磁添加励磁制御化改造を行って運用を続ける予定だったことなどから、それらに合わせる形で縦軸ツーハンドルを採用し[注釈 23]、後期型の05N系や近年の05系B修繕車では中央・総武緩行線のE231系投入に合わせて左手ワンハンドルマスコンに変更、有楽町線から転属した07系も縦軸ツーハンドルマスコンから左手ワンハンドルマスコンに変更する改造を施した。その他、京浜急行電鉄では右手→両手、西武鉄道では両手→左手→両手と変化した。
反対に1社のみ異なるケースとしては、これまで全車両が横軸マスコンを採用した東京メトロ日比谷線において、ワンハンドルの元祖である東急のみが1000系でワンハンドルを採用していた例がある。
無接点化
マスコン形状が横軸式となっても、1980年代後期頃までは、内部の機構は縦軸式と同様なカムスイッチであり、制御器ハンドルでカムスイッチを動かして接点を断・接する機構であった。制御段数の増加への対応や操作性の改善のため、1980年代末頃から無接点化したコントローラーが開発・採用されるようになった。無接点化したものでは、カムスイッチを廃し、制御器ハンドルの角度をロータリーエンコーダなどにより検出して制御伝送装置に送り、加減速信号として主制御器等に伝える方式となり、操作性・整備性とも改善されている。
脚注
- ^ abc『鉄道ファン』1983年9月号(No.269) pp.110-112
^ 吉谷和典 『第二すかたん列車』(日本経済評論社、1987年。著者は元大阪市電乗務員) p.203,p.206,pp.209-215 などを参照。
- ^ ab飯島巌、白井良和、井上広和 『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 保育社、1985年、pp.148-149,p.158 及び 飯島巌、青野邦明、荒川好夫 『復刻版 私鉄の車両3 広島電鉄』 ネコ・パブリッシング、2002年、pp.126-128などを参照。
- ^ abc小川裕夫 『路面電車で広がる鉄の世界 - チンチン電車と都市計画がわかる本』 秀和システム、2012年、p.76
- ^ ab『鉄道ピクトリアル』1994年7月臨時増刊号(No.593) p.74
^ 吉谷和典 『第二すかたん列車』(日本経済評論社、1987年) p.203,pp.213-214,p.264
^ 『鉄道ピクトリアル』1994年7月臨時増刊号(No.593) p.82
^ 吉谷和典 『第二すかたん列車』(日本経済評論社、1987年) p.165
^ 『鉄道ファン』 1992年9月号 p.108
^ 『鉄道ファン』 1992年9月号 p.108
^ 広島電鉄(株)電車カンパニー車両課「広島電鉄5000形」、『鉄道ファン』第460号、交友社、1999年8月。
注釈
^ 電気車で、主回路切換えを運転者が直接行うものは「直接制御器」(後述)である。内燃車で、エンジンや変速機の操作をワイヤーやリンク機構で運転者が直接行うものについても、運転者が操作するものは「スロットル(又は燃料制御ハンドル)」「変速レバー(又は変速ハンドル)」などとなる。
^ 用語の意味を理解して執筆・編集された文献ではこのような誤りはない。例えば、1980年代に保育社が発行した『私鉄の車両』シリーズ(2005年にネコ・パブリッシングから復刻版発行)は、上掲の広島電鉄編・名古屋鉄道編を含めいずれも「直接制御器」「主幹制御器」「マスター・コントローラー」等の用語を明確に区分して使用しており、上記のような誤用はない。直接制御器・主幹制御器を含めて運転台の制御器全般を指す場合は、単に「制御器」「制御器ハンドル」「コントローラー」などと表現している。吉谷和典 『第二すかたん列車』(日本経済評論社、1987年)における用語法も同様である。
^ 直接制御器を解説する際、誤って「この主幹制御器(あるいはマスコン)はXXXX形直接制御器である」と記述してしまうと意味の成り立たない誤文となってしまう。正しい表現は、「この制御器(あるいはコントローラー)はXXXX形直接制御器である」となる。
^ 車両間に架線電圧を扱うジャンパ線を引き通せば、物理的には一応可能であり、過去には蒲原鉄道などで直接式制御器搭載の小型電車に制御車を連結するために用いられた例があった。また、広島電鉄70形電車がそうであるように、電装品の絶縁処理やスイッチ機構の小型化に自信があったヨーロッパ、特にドイツのメーカーでは、2/3車体連接式の路面電車に超多段式の直接式制御器を搭載するケースが少なからず存在した(広島電鉄70形電車の例について、飯島巌、青野邦明、荒川好夫 『復刻版 私鉄の車両3 広島電鉄』 ネコ・パブリッシング、2002年、p.128 を参照)。
^ この機構についてはFrank E Caseを発明者として“Pneumatic system of motor control.”(US 795024 A)として1905年に、John B Linnを発明者として“Pneumatic train-control system.”(US 809707 A)の名で1906年に、それぞれ合衆国特許が成立しており、同時期にはそのほかにも様々な特許がGE社を出願者として取得されている
^ 厳密には抵抗器を挿入して降圧の上で使用する。また、直流1,500 V電化線区では電動発電機を用いて給電した。
^ この技術はFrank E Caseを発明者として“Pneumatically-operated cam-controller.”の名で1917年に合衆国特許(US 1221676 A)を取得している。
^ 当初12/24Vバッテリーからの給電に依存していたため、このように命名された。アメリカではブレーキの電磁弁を駆動するのに用いられるのと共通の、32V動作のモデルが一般的に用いられていた。日本でも当初は南海鉄道電2形などでバッテリーが制御器の電源として使用されたが、電解液の補充や電極のメンテナンスなど煩雑な保守に手を焼き、早い時期に出力電圧選定の自由度の大きな電動発電機が多用されるようになった。そのため、長大編成化の際に電圧降下による誤動作が起こりにくい100V動作の高電圧モデルが広く普及した。
^ DBI-K4など。日本の路面電車で現在も標準的に使用されている三菱電機KR-8形制御器などの原型となったモデル。
^ 201系電車や205系電車、211系電車は民鉄と同様に、引いて力行、押してノッチオフである。
^ これらはいずれも日本と異なる縦軸式である。
^ なお、伊東線には伊豆急行から8000系が乗り入れており、これはJRの路線上で両手式ワンハンドルマスコン搭載車が走る唯一の事例である。
^ これは、京急800形と伊豆箱根3000系がほぼ同時期に東急車輛で開発されていた為であるが、伊豆箱根3000系の動作表示灯の表示方式は親会社の西武鉄道の様式を採用している。
^ ただし50000形以降のロマンスカーは、左手式を採用している。
^ ヨーロッパの路面電車車両では、ブレーキとして電磁駆動式のブレーキ(安全のため、ブレーキ力はバネを使用する)が使われることが多かったことも背景にある
^ 路面電車をメインとした「がんばれ運転士!!」を除く。なお、2017年11月に稼動開始した新シリーズは左手ワンハンドル式となっている。
^ 201系は基礎ブレーキ装置はSELD電磁直通ブレーキだが、保安ブレーキとしてCL自動空気ブレーキを搭載している
^ 2000形・3050形・5050形・6000形。なお、5050形や6000形はATOによる運転がなされているため、通常はマスコンを使用しない。
^ ツインレバーながら電気制動はマスコンと共用されている。もう片方(右側)は空気制動である。
^ 方南町支線用は製造当初から、丸ノ内線用はワンマン装置とATO装置が取り付けられると同時にワンハンドルマスコンに変更されている。
^ ただし名古屋市営地下鉄鶴舞線、および直通先の名鉄豊田線・犬山線のように、縦軸ツーハンドル(3000形、名鉄100系)・横軸ツーハンドル(3050形)・右手ワンハンドル(N3000形)というふうにバラバラになっている例もある。特に名鉄に在籍する電車に横軸ツーハンドルの車両は存在しないため、3050形が唯一名鉄に乗り入れる横軸ツーハンドルマスコンの車両となる。
^ 銀座線や丸ノ内線では在来車の電子式ATS化改造を避けるため、また日比谷線では全電動車方式でランニングコストが高く付くほか、初期のステンレス車体の老朽化が著しかったことに加え、3路線とも車両冷房が装備されていなかったこともあり短期間で置き換えた。これに対し5000系は国鉄103系に範を取った経済車であり、車両冷房の取り付け改造も実施されている。
^ ごく短い期間東西線で運用されていた8000系も、東西線で運用されていた間は縦軸ツーハンドルであった。本来の運用線区である半蔵門線に移動する時にワンハンドル化された。
関連項目
- 鉄道のブレーキ
- 電気車の速度制御
- デッドマン装置