アリーナ・カバエワ


























































アリーナ・カバエワ Gymnastics (artistic) pictogram.svg

KabaevaOrdercropped.jpg
選手情報
フルネーム
Alina Maratovna Kabaeva
国籍
ロシアの旗 ロシア
生年月日
(1983-05-12) 1983年5月12日(35歳)
生誕地
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 ウズベク・ソビエト社会主義共和国 タシュケント
身長
167cm
体重
48kg
種目
新体操
所属
インターフィン
コーチ
イリナ・ヴィネル
引退
2008年









 
獲得メダル




















































































































新体操

オリンピック
2004 アテネ
個人総合
2000 シドニー
個人総合

世界選手権
1999 大阪
個人総合
1999 大阪 ボール
1999 大阪 リボン
1999 大阪 団体総合
2003 ブダペスト
個人総合
2003 ブダペスト ボール
2003 ブダペスト リボン
2003 ブダペスト 団体総合
2007 パトラス 団体総合
1999 大阪 ロープ
1999 大阪 フープ
2003 ブダペスト フープ
2003 ブダペスト クラブ
2007 パトラス リボン
剥奪 2001 マドリード 個人総合
剥奪 2001 マドリード ロープ
剥奪 2001 マドリード ボール
剥奪 2001 マドリード フープ
剥奪 2001 マドリード クラブ
剥奪 2001 マドリード 団体総合


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2000年シドニー五輪の表彰式の様子。左がカバエワ。


アリーナ・カバエワАлина Маратовна КабаеваAlina Maratovna Kabaeva、1983年5月12日 – )は、ロシアの元新体操選手。政治家。




目次






  • 1 初期の経歴


  • 2 新体操選手として


    • 2.1 経歴


    • 2.2 評価


    • 2.3 主な戦績




  • 3 新体操以外の活動


    • 3.1 芸能


    • 3.2 政治


    • 3.3 男性関係




  • 4 参考文献


  • 5 脚注


  • 6 外部リンク





初期の経歴


ウズベキスタンの首都タシュケントにて、サッカー選手の父親とバスケットボール選手の母親の間に生まれる。3歳から新体操を始める。11歳のときに母と共にロシアのモスクワに移住し、名門クラブ・インターフィン(後のガスプロム)でイリーナ・ビネル(現ロシアの新体操ヘッドコーチ)の指導を受ける。



新体操選手として



経歴


15歳、シニアデビューとなった1998年のヨーロッパ選手権でいきなり優勝すると、1999年の世界新体操選手権で個人総合優勝、種目別でも金メダル2つと銀メダル2つを獲得し、名実ともに世界女王となった。2000年のシドニーオリンピックでは金メダル確実と言われていたが[1]、決勝でフープを場外に出すミスを犯し銅メダルに終わる。


2001年の世界選手権で個人総合2連覇、団体・種目別合わせて計5つの金メダルを獲得するも、栄養補助食品に減量効果のある利尿剤フロセミドが含まれており、薬物使用違反。同じくロシアのイリーナ・チャシナとともに獲得メダルを全て剥奪され、1年間の出場停止処分を受ける。


2003年の世界選手権では2度目の個人総合優勝を果たし、計4つの金メダルを獲得。2004年のアテネオリンピックでは個人総合で念願の金メダルを獲得。同年、東京で開催されたイオンカップ優勝後、引退を表明。


2005年に現役に復帰。2007年、世界新体操選手権で種目別リボンで3位。同大会個人総合予選では4位となるものの、1国につき2人しか決勝進出できなかったため、カプラノワとセシナが決勝に進み、カバエワは予選敗退となった。2008年、再度の引退を表明。



評価


高い技術と柔軟性を活かしたカバエワの演技に対しては賛否両論あったが、カバエワが「新体操を変えた」ということは、広く言われている[2]


シドニー五輪以降、同じロシアのイリーナ・チャシナ、ウクライナのアンナ・ベッソノバとともに「3強」と称されていた。ロシアのオルガ・カプラノワ、ベラ・セシナは「カバエワの後継者」と称された。



主な戦績




  • 1999年


    • 世界新体操選手権(大阪)個人総合1位

    • エプソンカップ個人総合1位




  • 2000年

    • シドニーオリンピック個人総合3位(銅メダル)



  • 2001年

    • コルベールエンヌ新体操国際競技会個人総合2位


    • イオンカップ個人総合1位




  • 2002年
    • イオンカップ個人総合1位



  • 2003年

    • コルベールエンヌ新体操国際競技会個人総合3位

    • バルティク競技会個人総合1位

    • ベルリングランプリ個人総合1位

    • ワールドカップアゼルバイジャン個人総合1位

    • 世界新体操選手権(ブダペスト)個人総合1位、同大会種目別ボール1位、リボン1位

    • イオンカップ個人総合2位




  • 2004年

    • プレオリンピック個人総合2位

    • テイエ国際大会個人総合4位


    • アテネオリンピック個人総合1位(金メダル)

    • イオンカップ個人総合1位。




  • 2006年
    • イオンカップ個人総合2位



  • 2007年
    • 世界新体操選手権リボン3位




新体操以外の活動



芸能


映画

2001年、東映映画『RED SHADOW 赤影』に出演。2005年にはDVDも発売された。


CM


  • UHA味覚糖 チョコビュー(1999年)

※関西限定のCM

写真集

  • Alina Kabaeva photo book アテネオリンピック新体操金メダリスト(2005年1月、バウハウス)ISBN 4778800028

DVD


  • 新体操の妖精 アリーナ・カバエワ HOLIDAY in JAPAN(2005年3月21日、東映ビデオ)

  • 2004アテネオリンピック ゴールドメダリスト アリーナ・カバエワの新体操教室(2005年3月21日、東映ビデオ)



政治


2008年、ロシア連邦下院選挙で統一ロシアより出馬し当選したが、その後に辞職。
2016年4月現在は、政府のマスコミ対応の総責任者を務めている。



男性関係


2008年にウラジーミル・プーチンとの交際が報じられたが、否定。この件を報じたタブロイド紙は突如、資金難を理由に休刊(但し1週間も経ずに再開)。


2009年12月に男子を出産。父親が誰かは明かされていないが、プーチンとする噂がある[3]



参考文献



  • 「アリーナ・カバエワPHOTO BOOK~バウハウスMOOK」メディア・クライス (ISBN:4-7788-0002-8)(2005/01)

  • DVD「新体操の妖精 アリーナ・カバエワ HOLIDAY in JAPAN」東映ビデオ(2005/03/21)

  • DVD「2004アテネオリンピック ゴールドメダリスト アリーナ・カバエワの新体操教室」東映ビデオ(2005/03/21)



脚注




  1. ^ 【新体操】失意乗り越えたカバエワ、念願の五輪金メダル『産経スポーツ』


  2. ^ カバエワ、悲願の金!「ルールの申し子」はやはり強かった『スポーツナビ』2004年08月30日、椎名桂子


  3. ^ プーチン離婚でささやかれる「隠し子」「整形」疑惑【社会】2013年06月07日 16:52 - 日刊ゲンダイ



外部リンク







  • 公式サイト




  • アリーナ・カバエワ - 国際体操連盟のプロフィール (英語)


  • アリーナ・カバエワ - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(Sports Reference)(英語)






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