ウズベク・ソビエト社会主義共和国





ウズベク・ソビエト社会主義共和国


Ўзбекистон Совет Социалистик Республикаси
Узбекская Советская Социалистическая Республика







ブハラ社会主義ソビエト共和国
ホラズム人民ソビエト共和国
トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国

1924年 - 1991年

ウズベキスタン











ウズベクSSRの国旗

ウズベクSSRの国章
(国旗)
(国章)



ウズベクSSRの位置
ウズベクSSRの位置

















公用語

ウズベク語、ロシア語

首都

サマルカンド
(1924–1930)
タシュケント
(1930–1991)

元首等





xxxx年 - xxxx年
不明


面積





447,400km²


人口























1950年[1]
6,314,000人
1960年 8,559,000人
1970年 11,973,000人
1980年 15,952,000人
1990年 20,515,000人


変遷











設置

1940年10月27日
独立宣言
1991年9月1日


通貨
ソビエト連邦ルーブル



ウズベク・ソビエト社会主義共和国(ウズベク・ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこく)は、ソビエト社会主義共和国連邦の構成共和国の1つ。1991年9月1日、ウズベキスタン共和国として独立した。




目次






  • 1 建国


  • 2 ウズベキスタン共産党


    • 2.1 歴代第一書記




  • 3 消滅


  • 4 基礎情報


  • 5 脚注





建国


ロシア革命後、1917年11月から1918年3月にソビエト権力が樹立され、その領土の大部分は、トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国の構成下に入った。その後ブハラ人民ソビエト共和国・ホラズム人民ソビエト共和国が樹立されるが、民族境界画定工作の結果として、1924年10月27日に新たな領域を設定されて、ウズベク・ソビエト社会主義共和国が誕生した。



ウズベキスタン共産党


1924年10月、ウズベキスタン共産党中央委員会組織局が創設された。1925年2月、ウズベキスタン共産党第1回設立会議が行われ、中央委員会が設置された。


1925年、ウズベキスタン人民委員会議議長に、ブハラ族の代表ファイズッラ・ホジャエフが任命された。彼はモスクワの特別な信任を得ていたが、部族間の勢力均衡のために、1929年、タシケント族を代表するアクマリ・イクラモフが中央委員会第一書記に、フェルガナ出身のウスモン・ユスポフが中央委員会書記に任命された。


ソビエト時代、連邦当局は、人事政策によりウズベキスタンの部族集団のバランスを維持した。この際、共和国の党指導者の交代は、一定の氏族に有利な人事異動を伴った。タシケント族とサマルカンド族に支えられていたシャラフ・ラシドフ第一書記の死後、ウズベキスタンにおける指導的立場は、フェルガナ族のイナムジョン・ウスマンホジャエフ、後にラフィク・ニシャノフが占めた。この際、両者は、マフィア及び汚職対策において、ラシドフが任命した者達の迫害に遭った。


1989年6月、失脚したニシャノフと交代で、イスラム・カリモフが第一書記となった。



歴代第一書記




  • ウラジーミル・イワノフ(1925年 - 1927年) - ロシア人。銃殺。


  • クプリアン・キルキシュ(1927年 - 1929年) - ベラルーシ人。事故死。


  • ニコライ・ギカロ(1929年) - 銃殺。


  • イサーク・ゼレンスキー(1929年) - ユダヤ人。銃殺。


  • アクマリ・イクラモフ(1929年 - 1937年) - タシケント出身。銃殺。


  • ウスマン・ユスポフ(1937年 - 1950年) - フェルガナ出身。


  • アミン・ニヤゾフ(1950年 - 1955年) - フェルガナ出身。


  • ヌリトディン・ムヒトディノフ(1955年 - 1957年) - タシケント出身。


  • サビル・カマロフ(1957年 - 1959年) - タシケント出身。


  • シャラフ・ラシドフ(1959年 - 1983年) - ジザク出身。


  • イナムジョン・ウスマンホジャエフ(1983年 - 1988年) - フェルガナ出身。


  • ラフィク・ニシャノフ(1988年 - 1989年) - タシケント出身。


  • イスラム・カリモフ(1989年 - 1991年) - サマルカンド出身。



消滅


1990年6月20日、ウズベキスタン最高会議は、ウズベク・ソビエト社会主義共和国の国家主権宣言を採択した。最高会議は、大統領職を制定し、イスラム・カリモフを大統領に選出した。


1991年9月1日、ウズベキスタン共和国の独立が宣言され、ソ連から離脱し独立国家となった。



基礎情報















































人口 詳しくはウズベキスタンの人口統計などを参照。
1983年時点では1704万人と、ソビエト連邦の6.28%を占める。
面積 447,400km²
ソビエト連邦の2.00%。
生産国民所得 175億500万ルーブル (1982年)
一人当たりでは1,028ルーブル
行政区画 1自治共和国12州158地区、113市 (1980年代)
人口増加率 27.6% (1982年、出生率は35.0%、死亡率は7.4%)
都市人口 42% (1983年)
工業部門雇用比率 65.22% (1979年)
農業総生産 69億5500万ルーブル (1982年)
うち、農産物が49億1900万ルーブル、畜産が20億3600万ルーブル
発電量 390億kWh (1982年)
鉄道延長 3,480km (1982年)
自動車道路延長 69,500km (1982年)
(うち、58,200kmは舗装済み)


脚注




  1. ^ UNPD「World Population Prospeds」







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