磐井郡
磐井郡(いわいぐん)は、岩手県(陸奥国・陸中国)にあった郡。
目次
1 郡域
2 歴史
3 行政
4 脚注
5 参考文献
6 外部リンク
7 関連項目
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の一関市・西磐井郡平泉町および奥州市の一部(前沢区生母)にあたる。
歴史
- 所属町村の変遷は東磐井郡#郡発足までの沿革、西磐井郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照
天正19年(1591年)に伊達政宗の所領となり、江戸時代を通じて仙台藩およびその支藩である一関藩の所領であった。磐井郡は86か村を擁する大郡であったため、これを東山・西岩井・流の三区に分割した。「旧高旧領取調帳」によると、幕末時点では陸奥国に所属し、49村が仙台藩領、37村が一関藩領であった。
- 後の東磐井郡域(46村) - 仙台藩、一関藩
- 後の西磐井郡域(40村) - 仙台藩、一関藩
- 後の東磐井郡域(46村) - 仙台藩、一関藩
明治元年
9月24日(1868年11月8日) - 仙台藩主伊達慶邦が薩長軍に降伏。全領土62万石を没収される。
12月7日(1869年1月19日) - 陸奥国が分割され、本郡は陸中国の所属となる。
12月23日(1869年2月4日) - 仙台藩領49か村および一関藩領のうち東山・流26か村が上野沼田藩取締地となる。
- 明治2年
2月30日(1869年4月11日) - 沼田藩取締地が上野前橋藩取締地となり(ただし、旧・一関藩領26か村は前橋藩の取締から除かれる)、伊沢県を称する[1]。- 3月 - 磐城平藩主安藤信勇が平から千厩に転封され、東山のうち36か村を領す。
3月14日(1869年4月25日) - 旧・一関藩領東山のうち7か村(上奥玉・中奥玉・下奥玉・北小梨・南小梨・摺沢・寺沢)が伊沢県の管轄となる。
8月3日(1869年9月8日) - 安藤信勇が旧領への復帰を許され、東山のうち36村は伊沢県の管轄下に戻される。
8月18日(1869年9月23日) - 胆沢県が発足し、伊沢県域を管轄。
- 明治4年
7月14日(1871年8月19日) - 廃藩置県により、藩領が一関県(第1次)となる。
11月2日(1871年12月13日) - 第1次府県統合により、全域が一関県(第2次)の管轄となる。
12月13日(1872年1月22日) - 一関県(第2次)が水沢県に改称。
- 明治8年(1875年)11月22日 - 水沢県が磐井県に改称。
- 明治9年(1876年)4月18日 - 第2次府県統合により岩手県の管轄となる。
- 明治11年(1878年)11月26日 - 郡区町村編制法の岩手県での施行により、行政区画としての磐井郡が発足。
- 明治12年(1879年)1月4日 - 分割され、東山34村の区域をもって東磐井郡が、西岩井・流26村の区域をもって西磐井郡がそれぞれ発足。同日磐井郡廃止。
行政
- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治11年(1878年)11月26日 | 明治12年(1879年)1月4日 | 分割により磐井郡廃止 |
脚注
^ 明治元年12月23日(1869年2月4日)の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」(法令全書通番明治元年太政官布告第1129)に従って設置された県だが、明治政府が権知県事を任命したわけではなく、そのため明治政府の公文書には全く記録が残っておらず、正式な県とは認められていない。
参考文献
この節で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。ご存知の方は加筆をお願いします。(2019年4月) |
- 『岩手県史』第7巻〔近代編2〕(岩手県、1962年)
- 『千厩町史』第四巻(岩手県東磐井郡千厩町、2000年)
- 『角川日本地名大辞典』3 岩手県(角川書店、1985年)
外部リンク
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
- 消滅した郡の一覧
両磐 - 現代における旧磐井郡域の総称
先代: ----- | 行政区の変遷 - 1879年 | 次代: 西磐井郡・東磐井郡 |
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