亘理郡







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宮城県亘理郡の範囲(1.亘理町 2.山元町)


亘理郡(わたりぐん)は、宮城県(陸奥国・磐城国)の郡。


人口45,049人、面積138.18km²、人口密度326人/km²。(2018年10月1日、推計人口)


以下の2町を含む。




  • 亘理町(わたりちょう)


  • 山元町(やまもとちょう)




目次






  • 1 郡域


  • 2 人口


  • 3 歴史


    • 3.1 近世以降の沿革


    • 3.2 町村制以降の沿革


    • 3.3 変遷表




  • 4 行政


  • 5 脚注


  • 6 参考文献





郡域


1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町のほか岩沼市の一部(吹上・吹上西・阿武隈・大昭和など)を加えた区域にあたる。



人口


現市町村界での国勢調査人口の推移(単位:人)を以下に示す[1][2]









  亘理郡


  Flag of Watari, Miyagi.svg 亘理町


  Flag of Yamamoto, Miyagi.svg 山元町





歴史


古代は曰理郡と表記された。



近世以降の沿革



  • 幕末の時点では陸奥国に所属し、全域が南方郡奉行亘理代官所(小堤村)管轄の仙台藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り。若干の混交はあるが、本藩領1村(小山)、大條氏知行地2村余(坂元・真庭および高瀬のうち笠野浜・新浜)を除く23村の大部分が亘理伊達氏の知行地であった。

坂元本郷、小堤村、吉田村、長瀞村、八手庭村、大平村、小平村、鷲足村、山寺村、浅生原村[3]、高瀬村、真庭村、高須賀村、鹿島村、高屋村、鷺屋村、蕨村、榎袋村、神宮寺村、上郡村、下郡村、田沢村、十文字村、牛袋村、中泉村、小山村



  • 明治元年


    • 9月24日(1868年11月8日) - 仙台藩主伊達慶邦が薩長軍に降伏。全領土62万石を没収される。


    • 12月7日(1869年1月19日) - 陸奥国が分割され、本郡は磐城国の所属となる。


    • 12月24日(1869年2月5日) - 刈田郡白石城に転封された白石藩主南部氏(旧盛岡藩主)の所領となる。



  • 明治2年


    • 8月7日(1869年9月12日) - 南部氏の盛岡復帰により、旧白石藩領を以て白石県を設置。


    • 11月27日(1869年12月29日) - 白石県が角田県に改称。



  • 明治4年11月2日(1871年12月13日) - 第1次府県統合により仙台県の管轄となる。

  • 明治5年


    • 1月8日(1872年2月16日) - 仙台県が宮城県に改称。


    • 4月9日(1872年6月10日) - 大区小区制の施行により、宇多郡と共に宮城県第19大区となる。



































  • 明治7年(1874年)4月 - 区の再編により、伊具郡・宇多郡と共に宮城県第10大区となる。





























  • 明治9年(1876年)4月22日 - 磐前県の管轄となる。

  • 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により宮城県に復帰する。

  • 明治9年(1876年)11月 - 区の再編により、刈田郡・柴田郡・伊具郡と共に宮城県第1大区となる。

















  • 明治11年(1878年)10月21日 - 郡区町村編制法の宮城県での施行により、行政区画としての亘理郡が発足。「伊具亘理郡役所」が伊具郡角田本郷に設置され、同郡とともに管轄。同日大区小区制を廃止。


町村制以降の沿革



41.亘理町 42.坂元村 43.山下村 44.吉田村 45.逢隈村 46.荒浜村 (橙:亘理町 黄:山元町 緑:岩沼市。1 - 11は刈田郡 21 - 35は伊具郡)


  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足[4]。(1町5村)


    • 亘理町(小堤村が単独町制。現存


    • 坂元村 ← 坂元本郷、真庭村(現・山元町)


    • 山下村 ← 八手庭村、大平村、小平村、鷲足村、山寺村、浅生原村、高瀬村(現・山元町)


    • 吉田村 ← 吉田村、長瀞村(現・亘理町)


    • 逢隈村 ← 牛袋村、榎袋村、鹿島村、高屋村、上郡村、下郡村、小山村、鷺屋村、十文字村、神宮寺村[5]、田沢村、中泉村、蕨村(現・亘理町)


    • 荒浜村(高須賀村が改称の上、単独村制。現・亘理町)




  • 明治27年(1894年)4月1日 - 郡制を施行。単独の亘理郡役所が亘理町に設置。


  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。

  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。


  • 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は138.26平方km、人口は34,039人(男16,776人・女17,263人)[6]

  • 昭和18年(1943年)4月29日 - 荒浜村が町制施行して荒浜町となる。(2町4村)

  • 昭和22年(1947年)1月11日 - 逢隈村のうち阿武隈川北岸の部分(吹上地区[7]、2.44平方km)が名取郡岩沼町に編入。

  • 昭和30年(1955年)2月1日 (2町)

    • 亘理町・荒浜町・吉田村・逢隈村が合併し、改めて亘理町が発足。

    • 山下村・坂元村が合併して山元町が発足。







変遷表




行政


  • 歴代郡長

(伊具・亘理郡長は伊具郡の項を参照)



















































































































氏名 就任 退任 備考
1 山内信実 明治27年(1894年)4月1日 伊具・亘理郡長より転任
2 高岡松郎
3 高橋為清
4 半田卯内 明治34年(1901年)12月27日 明治41年(1908年)3月9日[8]

5 小倉信光 明治41年(1908年)3月9日[8]

6 伊地知靖臣
7 宮崎公男
8 卯埜正路
9 畑山四男美
10 古川為二
11 吉村十七夜月
12 佐藤新平
13 八谷サトシ[9]

14 小山喜寿
15 松山左助


脚注





  1. ^ 平成17年国勢調査1次結果(宮城県)


  2. ^ 平成27年国勢調査人口等基本集計結果(確定値)(宮城県)


  3. ^ 江戸時代を通じて「浅生原」「麻生原」表記が併存


  4. ^ 町村の統合自体は前日の3月31日付で実施されている。(明治22年(1889年)2月9日付、宮城県令第8号)


  5. ^ 亘理町逢隈神宮寺


  6. ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。


  7. ^ 逢隈村中泉のうち、法京・鯖土手・藤波西・丹後北・丹後南・根方道北・岩沼上下の各字

  8. ^ ab『官報』第7408号、明治41年3月10日


  9. ^ 「サトシ」はりっしんべんに鬲




参考文献




  • 角川日本地名大辞典 4 宮城県

  • 旧高旧領取調帳データベース

  • 『山元町誌』(宮城県亘理郡山元町、1971年)

  • 『亘理町史』下巻(宮城県亘理郡亘理町、1977年)







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