久保千代志
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| 個人情報 | |||||||||
| 本名 | 久保 千代志 くぼ ちよし | ||||||||
| 愛称 | (競輪界の)草刈正雄 | ||||||||
| 生年月日 | (1952-07-27) 1952年7月27日(66歳) | ||||||||
| 国籍 | |||||||||
| チーム情報 | |||||||||
| 期別 | 29期 | ||||||||
| 分野 | 競輪 & トラックレース | ||||||||
| 特徴 | 追込、捲り | ||||||||
| プロ所属チーム | |||||||||
1972-1997 | 日本競輪選手会愛知支部 日本競輪選手会北海道支部 | ||||||||
| グランツール最高成績 | |||||||||
| 主要レース勝利 | |||||||||
高松宮杯 1981 | |||||||||
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| 最終更新日 2012年12月23日 | |||||||||
久保 千代志(くぼ ちよし 1952年7月27日 - )は元競輪選手、現在は競輪評論家。北海道出身。日本競輪学校第29期生。現役時の日本競輪選手会支部登録地は愛知→北海道→愛知。師匠は黒須修典で、高橋健二(30期)は同門にあたる。
目次
1 戦績
2 主な獲得タイトル
3 エピソード
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
戦績
北海高等学校を中退後、集団就職で愛知県に居を構えてトヨタ自動車工業に入社。高校時代よりスケート競技を行ない社会人になっても続けていたが、そこで会社の同僚から競輪を紹介され、トヨタを退社して俗に「黒須道場」と称するグループの主宰者である黒須修典に弟子入り。1971年に日本競輪学校に合格し第29期生として入学。同期には阿部良二、加藤善行、天野康博らがおり、『花の29期生』と呼ばれた。翌1972年にデビューし、初戦はホームバンクである名古屋競輪場で迎えて1着となる。
全盛期には中野浩一と公私の面で繋がりが深くなり、自ら「中野浩一の教育係」と称し、高橋健二とともに中野の相談相手となっていただけでなく、度々中野とラインを組んで戦ったことも少なくなかった。また中野が新人の頃、久留米に帰っても孤立状態になっていたとき、久保がしばし中野の参謀役的な形で暗躍する。後には久保が「アニィ」 と前々から慕ってやまなかった藤巻昇も味方に取り入れ、フラワーラインに対抗する「中野シンパライン」を結成する立役者となった。
1981年の高松宮杯決勝戦では、菅田順和の逃げに乗り直線で一気に突き抜けて優勝するが、これは菅田順和とも世界選手権出場を契機とする関係が深く、この時はあえて中野を敵に回して菅田マークから勝ち取ったもので、久保にとっては唯一のGIタイトルとなった。また同年の世界自転車選手権、プロ・ケイリン(チェコスロバキア・ブルノ)では3位に入り、日本人選手として同種目初のメダルを獲得している。
その後は藤巻昇を慕って郷里の北海道へ戻る形で移動し、長らく第一線で活躍を続ける。現役末期には北海道から再び愛知に登録を移動し、1997年に引退した。引退後は解説者として競輪中継の専門解説を中心に活動している。
主な獲得タイトル
1981年 - 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
エピソード
- 現役時は彫りの深い顔立ち、つまり「男前」の風貌であったことから『競輪界の草刈正雄』とも称された。実際のところ久保のマスクにほれ込んだ、とある芸能プロダクションから「競輪をやめてうちに来ないか」という誘いを受けたことがあったそうである[1]。現在もその風貌は健在で、解説者として出演する競輪の番組などで往年のエピソードに触れることもある。
- 自身の談によると、競輪選手として競輪学校で合宿練習をやるようになったのは、久保と中野が最初とのこと。
脚注
^ 月刊競輪のスタートドキュメント(発行時期不詳)の記事より。
関連項目
- 競輪選手一覧
- 黒須修典
- 中野浩一
- 高橋健二
- 藤巻昇
- 菅田順和
渡邉大吾 - 現役末期の頃の弟子- フラワーライン
外部リンク
- 月刊競輪コラム「今だからいえること」(2004年5月号)
- 月刊競輪コラム「今だからいえること」(2004年12月号)
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