タンザン鉄道







タンザニアの鉄道網
(交流版)
1000mm軌道, 1067mm軌道 (TAZARA)





タンザン鉄道の車両





イファカラの駅




タンザニアの鉄橋とトンネル


タンザン鉄道(タンザニア・ザンビア鉄道、英: TAZARA (Tanzania-Zambia Railway)、中: 坦赞铁路)は、タンザニアのダルエスサラームと、ザンビアのカピリムポシを結ぶ鉄道である。




目次






  • 1 概要


  • 2 経由


  • 3 脚註


  • 4 参考文献


  • 5 関連項目





概要


イギリスの植民地北ローデシアはカッパーベルトを擁する銅鉱石の産地であり、植民地時代の1925年に北ローデシア領内で銅が発見されてから、北ローデシアの銅鉱石は当時イギリス領だった南ローデシア(現在のジンバブエ)の鉄道を経由して南アフリカの港湾から輸出されていた。1964年10月24日に北ローデシアは「ザンビア」としてケネス・カウンダ首相の下でイギリスから独立を達成したが、1965年に南ローデシアがイアン・スミス自治政府首相によって一方的に独立を宣言、当時の南アフリカ共和国と同様のアパルトヘイト政策を実行すると国際連合は経済封鎖を実行。南ローデシアとの通商を閉ざしてしまうが、これによってザンビアはローデシア共和国(独立に際し南ローデシアから改称)を経由した銅鉱石の輸出が殆ど不可能になり、経済的に苦境に陥った。このためローデシアを経由せずタンザニアのダルエスサラームから輸出することを目的とした鉄道建設が目指された。


1965年に中華人民共和国を訪問したタンザニアのジュリウス・ニエレレ大統領は中華人民共和国当局から鉄道建設を提案され、1967年のタンザニアとザンビア両政府首脳の訪中後、1970年7月に中華人民共和国、タンザニア、ザンビアの三国間でタンザン鉄道の建設が最終調印された[1][2]。中華人民共和国はタンザニア、ザンビア両国に無利子で計4億320万ドルの借款を与え[3]、約2万人の中国人労働者と3万人以上の現地労働者の尽力の末、1976年7月14日に中華人民共和国当局は完成したタンザン鉄道をタンザニア、ザンビア両政府に引き渡し、ザンビアは白人支配国ローデシアやアンゴラ内戦によって破壊されたベンゲラ鉄道などを経由しない銅輸出路を確保したのであった[4]。全長は1859km、軌間は1067mmであった。また、アパルトヘイト終結後は南アフリカと旧南ローデシアのジンバブエからダルエスサラームまで渡る世界最高級の豪華列車[5]と謳うロボスレイルの国際列車「プライド・オブ・アフリカ(英語版)」(2年に1度は船舶なども利用してエジプトのカイロまで運行している[6])が運行されるなど東アフリカと南部アフリカの鉄道網は初めて一つに結ばれることになった。



経由




ザンビア乗務員 (2012年)


ザンビア



  • カピリ・ムポシ - ザンビア鉄道(英語版)と接続


  • セレンジェ(Serenje)

  • ムピカ

  • カサマ


タンザニア



  • トゥンドゥマ(Tunduma)

  • ムベヤ

  • (Mlimba)

  • イファカラ


  • キダツ(Kidatu)

  • ダルエスサラーム



脚註


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  1. ^ 星昭、林晃史『アフリカ現代史I──総説・南部アフリカ』山川出版社〈世界現代史13〉、東京、1988年8月20日、初版第三刷、234頁。


  2. ^ 吉田昌夫『アフリカ現代史II──東アフリカ』山川出版社〈世界現代史14〉、東京、1990年2月10日、2版1刷発行、250頁。


  3. ^ 星昭、林晃史『アフリカ現代史I──総説・南部アフリカ』山川出版社〈世界現代史13〉、東京、1988年8月20日、初版第三刷、234頁。


  4. ^ 吉田昌夫『アフリカ現代史II──東アフリカ』山川出版社〈世界現代史14〉、東京、1990年2月10日、2版1刷発行、250頁。


  5. ^ “Steam safari: African animal-spotting on world's 'most luxurious train'”. CNN (2014年11月12日). 2018年6月23日閲覧。


  6. ^ “https://www.huffingtonpost.com/afktravel/11-memorable-train-journeys_b_8373936.html”. ハフポスト (2015年10月27日). 2018年6月23日閲覧。




参考文献



  • 星昭、林晃史 『アフリカ現代史I──総説・南部アフリカ』 山川出版社〈世界現代史13〉、東京、1988年8月20日、初版第三刷。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
    ISBN 4-634-42270-0。

  • 吉田昌夫 『アフリカ現代史II──東アフリカ』 山川出版社〈世界現代史14〉、東京、1990年2月10日、2版1刷発行。
    ISBN 4-634-42140-2。



関連項目







  • ケープ・カイロ鉄道

  • タンザニアの鉄道

  • カッパーベルト

  • ベンゲラ鉄道




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