タンガニーカ






タンガニーカ (1961-62)
タンガニーカ共和国 (1962-64)

Tanganyika (1961-62)
Republic of Tanganyika (1962-64)







イギリス領タンガニーカ
1961年 - 1964年

タンザニア











タンガニーカの国旗

タンガニーカの国章
(国旗)
(国章)



国歌: 神よ、アフリカに祝福を

タンガニーカの位置





















公用語

スワヒリ語、英語

首都

ダルエスサラーム

大統領






1962年12月9日 - 1964年4月26日

ジュリウス・ニエレレ


変遷



















イギリスより独立

1961年12月9日
共和制施行
1962年12月9日

ザンジバルと連合成立

1964年4月26日
タンガニーカ共和国廃止 同上


通貨
東アフリカシリング(英語版)
時間帯
UTC (+3)(DST: なし)



タンガニーカ(Tanganyika)は、インド洋に面するアフリカ南東部にかつて存在した国家、および現在はタンザニア連合共和国の大陸部を指す地域名である。




目次






  • 1 概要


  • 2 歴史


    • 2.1 独立




  • 3 政治


  • 4 関連項目


  • 5 外部リンク





概要


タンザニアはタンガニーカとザンジバルが合併し成立した連邦国家だが、タンガニーカはそのうちの大陸部を、ザンジバルは島嶼部を指す。タンガニーカにはタンガニーカ湖やビクトリア湖があり、海岸部は平野、内陸部は高原、北東部及び南西部は高山地帯となっており、北東部にはキリマンジャロ山がそびえる。タンガニーカ地域内最大の都市はダルエスサラーム。



歴史





現在使われていない歴史的な旗?イギリス植民地時代および英連邦王国タンガニーカの国旗


ヨーロッパ人の侵略以前、この地域には伝統的な狩猟・農耕に基く部族社会が広がっており、小規模な王国がいくつも存在していた。沿岸部では、ザンジバルを支配していたアラブ人との交易も行われていた。しかし、19世紀後半に白人の支配を受けるようになり、ドイツ領東アフリカの一部となった。




独立


第一次世界大戦の後、ドイツ帝国の敗戦に伴ってイギリス委任統治領となる。その後、第二次世界大戦後の民族自決主義の高まりを受け、1961年にイギリス国王を元首に戴く英連邦王国の一国タンガニーカ(Dominion of Tanganyika)として独立した。


しかし、翌1962年に共和制へ移行し、タンガニーカ共和国となる。1964年にザンジバル人民共和国と合併、タンガニーカ・ザンジバル連合共和国が成立。その後国名を改め、タンザニア連合共和国となった。



政治


連合共和国の成立後もザンジバルには独自政府(ザンジバル革命政府)が維持され、内政自治権を行使しているのに対し、連合共和国の首都を抱えるタンガニーカでは独自政府は廃止された。現在、タンガニーカは連合共和国政府の直接統治下にある。



関連項目



  • 英連邦王国

  • 自治領



外部リンク




  • 第二次大戦直前のタンガニーカ British Pathe制作、1938年


  • イギリス人の保養地としてのタンガニーカ紹介British Pathe制作、1961年













Popular posts from this blog

Nidaros erkebispedøme

Birsay

Was Woodrow Wilson really a Liberal?Was World War I a war of liberals against authoritarians?Founding Fathers...