カメルーン
- カメルーン共和国
République du Cameroun(フランス語)
Republic of Cameroon(英語)
(国旗)
(国章)
- 国の標語:Paix, Travail, Patrie
(フランス語: 平和、労働、祖国)
国歌:カメルーンの国歌
公用語
フランス語、英語[1]
首都
ヤウンデ
最大の都市
ドゥアラ
- 政府
大統領
ポール・ビヤ
首相 (PM)
ジョセフ・ディオン・ングテ
- 面積
総計
475,440km2(52位)
水面積率
1.3%
- 人口
総計(2015年)
22,179,700人(???位)
人口密度
34人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年)
10兆4,100億[2]CFAフラン
- GDP (MER)
合計(2008年)
232億[2]ドル(85位)
- GDP (PPP)
合計(2008年)
417億[2]ドル(88位)
1人あたり
2,152[2]ドル
独立
- 日付
フランスから
1960年1月1日(西南部はイギリスから1961年)
通貨
CFAフラン (XAF)
時間帯
UTC (+1)(DST:なし)
ISO 3166-1
CM / CMR
ccTLD
.cm
国際電話番号
237
カメルーン共和国(カメルーンきょうわこく)、通称カメルーンは、中部アフリカに位置する共和制国家。西にナイジェリア、北東にチャド、東に中央アフリカ共和国、南東にコンゴ共和国、南にガボン、南西に赤道ギニアに隣接し、南西部が大西洋のギニア湾に面する。首都はヤウンデ。
旧ドイツ植民地から、イギリスとフランスの植民地に分かれた経緯がある。非同盟路線を歩むが、経済、文化、軍事面でフランスとの関係が深い。1995年にイギリス連邦に加盟した。また、フランコフォニー国際機関にも加盟している。
目次
1 国名
2 歴史
2.1 独立前
2.2 独立後
3 政治
4 地理
5 地方行政区分
5.1 主要都市
6 経済
6.1 総論
6.2 産業
6.3 対外経済関係
7 交通
8 国際関係
8.1 日本との関係
9 国民
9.1 民族
9.2 言語
9.3 宗教
9.4 婚姻
9.5 教育
10 文化
10.1 文学
10.2 音楽
10.3 世界遺産
10.4 祝祭日
10.5 スポーツ
10.5.1 サッカー
10.5.2 バスケットボール
11 脚注
12 参考文献
13 関連項目
14 外部リンク
国名
正式名称は英語で、Republic of Cameroon(リパブリック・オブ・キャメルーン)。フランス語で、République du Cameroun(レピュブリク・デュ・カムルン)。
日本語の表記は、カメルーン共和国。通称、カメルーン。
国名は、1470年にカメルーンを最初に訪れたポルトガル人がエビの多いことからカマラウン(camarão,ポルトガル語で「小エビ」)と名付けたことに由来する。
1960年 - 1961年:カメルーン共和国
1961年 - 1972年:カメルーン連邦共和国
1972年 - 1984年:カメルーン連合共和国
1984年 - :カメルーン共和国
歴史
独立前
カメルーン内の遺跡からたどれる歴史は約8000年前まで遡ることができる。カメルーンの先住民はバカ・ピグミーである。バントゥー系民族はカメルーン高地に起源をもつが、他民族による侵入が行われる前に別の土地に移動している。
1470年12月にポルトガル人がカメルーンに到達したが、拠点を築くことはなかった。
1806年にイスラム系諸王国の支配下におかれた。1870年代になると、ヨーロッパ列強に数え上げられるようになったドイツ帝国が、アフリカ分割を背景に沿岸部の都市ドゥアラを中心に入植を開始した。1884年にはドイツ保護領カメルーンが成立した(ドイツ植民地帝国)。1911年、ドイツは第二次モロッコ事件の代償としてフランスから国境付近を中心とした新カメルーンの譲渡を受け、カメルーンの領土は拡大したものの、第一次世界大戦後には新カメルーンは再び隣接するフランスの各植民地の領域へと戻った。
第一次世界大戦でドイツが敗れた後、1918年のヴェルサイユ条約の規定により、1922年に北西部がイギリスの「イギリス領カメルーン」(西カメルーンとも。現北西州と南西州及びナイジェリア領アダマワ州とタラバ州からなる)、東南部がフランスのフランス領カメルーン(東カメルーン)として委任統治領となる。第二次世界大戦中には、ドゴールの自由フランスの拠点の一つとなった。二次大戦後、1946年には信託統治領となり、1957年にフランス領カメルーンには自治が認められた。
独立後
アフリカの年と呼ばれる1960年、フランス領カメルーンが独立した。大統領は北部出身のイスラーム教徒アマドゥ・アヒジョである。イギリス領カメルーンは北部と南部で別々に住民投票を実施した結果、1961年には北部がナイジェリアと合併、南部はカメルーンとの連邦制となり、アヒジョが大統領、イギリス領カメルーン首相のジョン・フォンチャが副大統領に就任した。しかし徐々に圧倒的に規模の大きな旧フランス領の勢力が増大していき、フォンチャが副大統領を辞任したのち連邦制の是非を問う国民投票が行われ、この連邦制は1972年に廃止されて、アヒジョ大統領は国号をカメルーン連合共和国に変更した[3]。アヒジョ大統領は1965年・1970年・1975年・1980年の大統領選挙で再選されたが、1982年には南部出身のポール・ビヤを後継に指名して大統領を辞任した。
アヒジョからビヤへの政権交代そのものは平和的なものであり、またアヒジョも与党党首の座にはとどまるなど一定の権力は保持しつづけたが、やがてビヤが権力基盤を固めるとともに両者の関係は険悪化し、1983年にはアヒジョがクーデターを計画したとしてフランスに追放され、1984年には国外のアヒジョに死刑判決が下される(アヒジョは国外にいたため実行はされていない)など、ビヤは独裁権力を樹立していった[4]。また同年、国号を現在のカメルーン共和国に変更した。その後ビヤ政権とカメルーン人民民主連合(CPDM)の一党支配が嫌われ、1990年には政党の結成を合法化した[5]。民主化後もビヤは選挙に勝利し続け、長期政権を維持しているが選挙自体の公正さに疑問もある。
政治
- カメルーン憲法は1972年に制定された。1996年の憲法改正によってカメルーン大統領は、カメルーン政府内で行政執行権を行使できるようになった。大統領は広範囲な権力を与えられており、一院制の議会に図ることなく行使できる。議会の議席は180人。年3回開催される。議会の目的は法案を通過させることである。実際、議会が法案を変更すること、成立を阻むことはめったにない。
司法部は行政部門である法務省の下に置かれている。最高裁判所は、大統領が要求した場合に限り、違憲立法審査に着手できる。- 主要政党は、与党カメルーン人民民主連合(CPDM)のほか、カメルーン民主連合、社会民主戦線、民主化と進歩のための全国連合、進歩運動など。他に民主主義開発同盟、カメルーン人民連合、カメルーン民主党がある。
- 1998年最西端に位置するバカシ半島の帰属をめぐって、隣国のナイジェリアとの間でバカシ半島領有権問題が発生した。現在、この地域では二つの反政府武装組織ニジェールデルタ防衛治安評議会(ニジェール・デルタ解放運動)とバカシ自由闘士(en:Bakassi Movement for Self-Determination)が広範な自治を求めて活動している。
南カメルーン国民会議(SCNC)は1999年に、もとイギリス委任統治領だった、英語話者が多い北西州と南西州の2州で南カメルーン連邦共和国(アンバゾニア共和国)の名で分離独立を求めている。南カメルーンの分離独立運動の背景にはフランス語話者の方が政治などを中心的に支配して有利にある事や経済格差への不満がある(南カメルーン政府のサイト)。2017年10月1日にもアンバゾニアの国名で独立派が独立宣言し、治安部隊と衝突した[6]。
地理
5つの地理区分に分けられる。海岸平野はギニア湾から15km-150kmまで広がり、森林で覆われ、平均標高は90m、非常に暑く、世界で最も湿度が高い所がある。南部カメルーン高地は熱帯降雨林で覆われるが、乾季と雨季が海岸平野より区別されるため湿度はやや低い。平均標高は650m。カメルーン火山列は最高峰のカメルーン山のある海岸から北部で国を東西に横断する形で連なる。気候は、とくに西部高地(フランス語: Grassland)は温暖で雨が多く、土地は肥沃である。
サバナ地帯である中部のアダマワ高地を境に、ステップが広がる北部と熱帯林に覆われた南部とに分かれる。平均標高は1100mで、気温22-25度C、雨が多い。アダマワ高地は分水嶺でもあり、主要河川は北部のベヌエ川、ロゴーヌ川と南部のサナガ川。サナガ川は国土中央部のムバカウ湖(フランス語: Lac Mbakaou)を水源としてドゥアラ市の南方でギニア湾に注ぐ全長890kmの最大河川である。ケッペンの気候区分ではほぼ全域が熱帯 (A) に属す。北部 (ステップ気候、BS、サバナ気候、Aw)から南部(熱帯雨林気候、Af)に移動するに従い、気候が湿潤となる。このような気候分布をアフリカ大陸の縮図ととらえ、「ミニアフリカ」と呼ぶことがある。北部低地の標高は300-350mで、気温は高いが、雨が少ない。
北部の乾季は7月と8月だが、南部はこの時期に雨季となる。アフリカ大陸で7番目に高いギニア湾岸のカメルーン山(4,095m)の南西斜面は多雨で有名であり、年降水量10,680mmに達する。
気温の年較差は全国で5度-10度。首都ヤウンデ(北緯3度50分、標高730m)の年平均気温は23.2度。年降水量は1,560mm。
なお、北西州にあるオク火山の火口湖の一つであるニオス湖では1986年に、最大規模の火山ガス災害が起こった。湖底に溶け込んでいた二酸化炭素の噴出により、1,700人以上が死亡した。
北部のチャド湖に近いマンダラ山地のルムスィキは高くそびえる奇岩で知られる観光地である。これはマグマが噴出した時に溶岩が火山の中で固まった岩頸と呼ばれるもので、最も高いピークは1224mである。
地方行政区分
カメルーンは10州(現:Région、旧:Province)、58県(フランス語: Départements)に分けられる。ナイジェリアと接する北西州と南西州の2州は、もとイギリスの委任統治領であり、その他の8州はフランス領だった。
アダマワ州(フランス語: Région de l'Adamaoua)- ンガウンデレ
中央州(フランス語: Région du Centre)- 首都:ヤウンデ
東部州(フランス語: Région de l'Est)- ベルトゥア
極北州(フランス語: Région de l'Extrême-Nord)- マルア (Maroua)
リトラル州(フランス語: Région du Littoral[7])- ドゥアラ: ドゥアラは主要道路、鉄道、空路で全国と結ばれており、カメルーン最大の港湾を備える。
北部州(フランス語: Région du Nord)- ガルア (Garoua)
北西州(フランス語: Région du Nord-Ouest)- バメンダ (Bamenda) : 南カメルーン連邦共和国の最大都市。
西部州(フランス語: Région de l'Ouest)- バフーサム
南部州(フランス語: Région du Sud)- エボロワ (Ebolowa) 、クリビ(チャドのドバ油田とパイプラインで結ばれている石油積み出し港)
南西州(フランス語: Région du Sud-Ouest) - ブエア : 南カメルーン連邦共和国の政府所在地。
主要都市
カメルーン最大の都市は南部にあるドゥアラであり、人口は約190万人(2005年)を数える[8]。ドゥアラはカメルーン最大の港湾を擁し、鉄道で内陸部と結ばれて商品の集散地ともなっており、カメルーン経済の中心となっている。これに次ぐのが国土中央にある首都のヤウンデであり、人口は約181万人(2005年)である[9]。ヤウンデは産業的にはドゥアラほど大きくなく、政府部門が経済の大きな部分を担っている。カメルーンはこの2都市が他に比べて飛びぬけて大きく、他に30万人を超える都市は存在しない[10]。
経済
総論
カメルーンの2013年のGDPは約279億ドルであり[11]、日本の佐賀県とほぼ同じ経済規模である[12]。
独立後四半世紀はカカオ、コーヒー、バナナなどの農産物、ついで1970年代後半採掘が始まった原油など第一次産品の輸出によって、アフリカ諸国のなかでも最も経済的に成功していた。その後、1980年代後半から石油と農産物の価格が同時に下がり始め、経済運営にも成功しなかった。このため、10年間の長期不況に陥り、一人当たりのGDPが1986年から1994年までに60%以上低下した。しかしながら、電力をほぼ水力でまかなえるようになったこと、石油増産に成功したこと、農地として適した地勢などの条件が重なり、2000年時点ではサハラ以南としては経済的に成功している。
産業
主な輸出用の農産物は北部の綿花、南西部のコーヒーとカカオである。主食となるバナナ、イモ、メイズ、モロコシなどはほぼ自給できている。イモ、特にキャッサバの収穫量が多い。大部分の農業は簡単な道具による自給自足レベルで、余剰生産物が都市部の重要な食料となっている。農業人口は1990年時点の74%から2000年時点の42%まで減少し、第一次産品の加工を中心とする工業やサービス部門が成長している。
家畜放牧は全土で見られる。漁業には5,000人ほどが従事し、年間2万トンの漁獲量がある。国土の37%を占める南部熱帯雨林は木材の供給源だが、大部分の土地は入るのが困難である。木材伐採は外国企業により行われ、政府に毎年6,000万ドルの収入をもたらす。安全で持続可能な伐採を義務付けているが林業への規制は最も緩い。
石油以外の鉱業資源には恵まれておらず、わずかな量の石炭、金、スズが見られるだけである。エネルギーの大部分は水力発電により、残りは石油である。国土の大部分で電力不足である。産業活動はドゥアラに集中している。主要ラジオ・テレビ局は国営で、電信電話局もほとんど政府の管理下にあるが、最近インターネットが普及し、規制を受けないプロバイダーが増えている。
対外経済関係
カメルーンを含む旧フランス領中央アフリカ諸国で用いられている通貨CFAフランは、フランス・フランとの交換レートが固定されており、安定した経済運営の下地となった。一方、フランの為替レートに引きずられる弊害もあった。経済圏としては、フランス経済ブロックに組み込まれていたと言える。
カメルーンは、西アフリカ諸国経済共同体と南部アフリカ開発共同体にはさまれた位置にあるが、いずれにも加盟していない。二国間経済援助ではフランスの出資が最も多い。一人あたりの援助受け取り額は30米ドル(1998年)であり、アフリカ諸国としては平均的である。
貿易相手国はフランス、ドイツ、日本の順である。対日貿易ではコーヒーの輸出が際立つ。ついで木材と綿花である。輸入ではトラック、乗用車、ついで機械である。
交通
道路は1割のみが舗装されており、悪天候も重なり、国内輸送を困難にしている。また、各地で警官等による旅行者への賄賂要求や強盗が発生し問題である。カムレール社の運営する鉄道がドゥアラ港を起点に北のクンバや西のヤウンデ、ンガウンデレを結んでいる。国際空港はドゥアラとヤウンデ、ガルアにあり、ドゥアラの規模が最も大きい。最も大きな港はドゥアラ港で、鉄道の通じる内陸部への物資の集散地となっている。このほか、海港としてはリンベやクリビも重要である。旧イギリス領カメルーンの港であったリンベは周囲に油田が存在し、石油産業の重要拠点となっている。ドゥアラから南へ約150kmのクリビ港はかつて木材の輸出港だったが、チャドのドバ油田からの原油パイプラインが伸びており、原油積出基地がある。また、ベヌエ川に面する北部のガルア港も重要な河港であるが、利用は増水期に限られている[13]。
国際関係
日本との関係
- 在留日本人数 - 92人(2016年10月現在)[14]
- 在日カメルーン人数 - 521人(2016年)[15]
国民
民族
住民は、南部と西部はバンツー系のファン族、バミレケ族、バカ・ピグミー、北部はスーダン系のドゥル族、フラニ族(サヘルに居住)などに分かれる。民族集団は275以上に分かれている。
言語
公用語はフランス語と英語であるが、両言語のバイリンガルの住民は極めて少なく、最大都市ドゥアラや首都ヤウンデなどを含む国民の大半が居住する旧フランス領地域で使用されるフランス語を公用語として使用するものが圧倒的に多く、この地域では英語の通用度は低い。一方、英語は旧イギリス領カメルーンの領域であった北西州と南西州のみで使われ、この地域でのフランス語の通用度は低く、独立運動も起っている。旧ドイツ植民地であったことからドイツ語の学習者も多く、アフリカで最もドイツ語話者が多い国とされる。
他に土着言語としてファン語、フラニ語、イエンバ語、バサ語、カヌリ語、バムン語、ドゥアラ語、アゲム語等が話されている。
宗教
カメルーンの宗教は、キリスト教が人口の約40%、イスラム教が約30%、アフリカの伝統宗教(アニミズム)が約30%である[16]。
40,000人のバハーイー教徒が国内にいる。
その他、カメルーンやガボンや赤道ギニア沿岸部のバントゥー系民族グループのいくつかでは、呪物崇拝のen:Okuyiが信仰されている。
en:Okuyiの宗教チャントがBenga languageで歌われている。
20世紀末、沿岸部のンドウェ人(en:Kombe people)がンビニ(Mbini。リオ・ムニ)に儀式を広めた。
宗教の儀式のために殺人や体の一部を切除する事件が発生しており、社会問題となっている[17]。
婚姻
婚姻時、婚前の姓をそのまま用いること(夫婦別姓)も、夫の姓に変更する(夫婦同姓)ことも可能である[18]。
教育
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- カメルーンの大学一覧
文化
文学
カメルーン出身の著名な文学者として、小説『下僕の生活』(1956年)で知られるフェルディナン・オヨノや反植民地主義作家として知られるモンゴ・ベティ、音楽家でありながらも小説『アガト・ムディオの息子』(1967年)を残したフランシス・ベベイ、劇作家のエンドゥンベ3世らの名が挙げられる[19][20]。
音楽
アフロビートのマヌ・ディバンゴがカメルーン出身のサックス奏者として著名であり、彼は1973年に「ソウル・マコッサ」の世界的ヒットを残した。
また、アメリカで活動している女性シンガーソングライター、アンディ・アローもカメルーン出身である。
世界遺産
カメルーン国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された自然遺産が2件存在する(うち1件は中央アフリカ共和国、コンゴ共和国と共有)。
祝祭日
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | New Year's Day | |
2月11日 | 青年の日 | National Youth Day | |
5月1日 | メーデー | Labor Day | |
5月20日 | 建国記念日 | National Day | |
8月15日 | 聖母の被昇天 | Assumption | |
12月25日 | クリスマス | Christmas |
スポーツ
サッカー
ドイツ保護領時代の1880年代に伝わって以来、サッカーが盛んである。アフリカネイションズカップでは1984年、1988年、2000年、2002年と通算4回優勝している。他に4回以上優勝した国は、エジプトとガーナだけである。FIFAワールドカップの本大会常連国としても知られ、1982年のスペイン大会で初出場以降、2010年・南アフリカ大会まで6度の本大会出場を経験しており、中でも1990年・イタリア大会では開幕戦で前回優勝国アルゼンチンを降す金星を挙げ、最終的にはアフリカ勢初のベスト8にまで勝ち進んだ。2014年・ブラジル大会が7度目の出場となる。
中津江村(現在は大分県日田市の一部)では2002 FIFAワールドカップ日本開催の際、サッカーカメルーン代表がキャンプ地にして以来、交流が続いている。
2019年にはアフリカネイションズカップの開催国となる予定である。
バスケットボール
バスケットボールカメルーン代表はアフリカ選手権4位となったことがあるものの、長らく低迷が続いていた。しかし、2007年に15年ぶりのアフリカ選手権出場を果たすと、準優勝となり北京五輪世界最終予選まで進んだ。
脚注
^ 外務省ホームページ
- ^ abcdIMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1])
^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p126、朝倉書店 ISBN 4254166621
^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p126、朝倉書店 ISBN 4254166621
^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p126、朝倉書店 ISBN 4254166621
^ “カメルーン英語圏が「独立宣言」 治安部隊との衝突で7人死亡”. AFPBB News (フランス通信社). (2017年10月2日). http://www.afpbb.com/articles/-/3145161 2017年10月3日閲覧。
^ フランス語: "Littoral"は「沿海」の意味。
^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p264 二宮書店 平成28年1月10日発行
^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p264 二宮書店 平成28年1月10日発行
^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p264 二宮書店 平成28年1月10日発行
^ IMF
^ 内閣府による県民経済計算 (PDF)
^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p125、朝倉書店 ISBN 4254166621
^ 外務省 ガボン基礎データ
^ 外務省 ガボン基礎データ
^ カメルーン便り 在カメルーン日本国大使館 [2]
^ 「眼球など体の一部切除する連続殺人、2週間で18人犠牲 カメルーン」, CNN.co.jp [3]
^ Hansel Ndumbe Eyoh, Albert Azeyeh, Nalova Lyonga. "Critical Perspectives on Cameroon Writing", 2013.
^ A.ノルトマン=ザイラー 『新しいアフリカの文学』 松田忠徳訳、白水社〈文庫クセジュ622〉、東京、1978年9月10日、初版、90-91頁、96頁。
^ 片岡幸彦 「アフリカ――フランス語」『激動の文学――アジア・アフリカ・ラテンアメリカの世界』 信濃毎日新聞社、信濃毎日新聞社、長野市、1995年3月15日、初版、213-214頁。
参考文献
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関連項目
カメルーン関係記事の一覧 (List of Cameroon-related topics)
- ナイジェリア
- セネガル
- マリ
ドバ油田 - カメルーン南部を横断するパイプライン輸送路が存在する。
ジャー動物保護区 - 2007年現在ではカメルーンの唯一の世界遺産
バカシ半島 - 隣国ナイジェリアと油田がらみからの領有権問題を抱えている。- カメルーン海軍艦艇一覧
セネガンビア - カメルーンと同じく、フランス語圏国家セネガルと英語圏国家ガンビアが一緒になった連合国家。1982年発足、1989年解消。
外部リンク
- 政府
カメルーン共和国大統領府 (英語)(フランス語)
カメルーン共和国首相府 (英語)
- 日本政府
日本外務省 - カメルーン (日本語)
- 観光
カメルーン政府観光局 (フランス語)
- 研究
Cameroon Field Station (日本語)
カメルーンのピグミー (英語)(イタリア語)
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