カラジ










































































カラジ


{{{size}}}
画像をアップロード

品種
サラブレッド
性別

毛色
鹿毛
生誕
1995年2月20日

カヤージ

カラミタ
母の父
シャンタン
生国
アイルランドの旗 アイルランド
生産
アーガー・ハーン4世
馬主
アーガー・ハーン4世
→R.ジェラルドほか
→P.モーガンほか
調教師
マイケル・スタウト(イギリス)
→デビッド・ホール(オーストラリア)
→エリック・マスグローヴ(オーストラリア)[1]
調教助手
ベリンダ・シンプソン[2]
厩務員
スコット・シンプソン[2]
競走成績
生涯成績
97戦16勝[1]
獲得賞金
3億5207万8000円
(日本円換算)
テンプレートを表示

カラジ(英語表記:Karasi)はオーストラリアの競走馬である。日本への遠征を重ね、中山グランドジャンプ3連覇を達成した。障害競走での主戦騎手はブレット・スコット[1]で、腕をぐるぐる振り回してムチを入れるいわゆる風車ムチで有名。長距離が得意であるためマイル戦などではほとんどのレースで惨敗しているが、長距離では平地競走でも上位の成績を収めている。




目次






  • 1 戦績


    • 1.1 2004年以前


    • 1.2 2005年以降




  • 2 馬主


  • 3 血統表


  • 4 脚注


  • 5 外部リンク





戦績



2004年以前


当初はイギリスで競走を行っていた。のちにオーストラリアに移籍するとGIアデレードカップで2着、メルボルンカップで4着に入るなど長距離レースで活躍した。


2003年8月に障害競走に転じると2戦目で初勝利を挙げ、その後も平地競走をはさみながら2004年にはヤランバクラシックハードル、オーストラリアンハードルなどの重賞競走に優勝した。なお、オーストラリアのチェイスの最大の競走の一つであるヒスケンススティープルチェイスでも3着と好走している。2004年7月31日のオーストラリアでの障害競走出走以降、引退までペガサスジャンプステークスと中山グランドジャンプ以外の障害競走には出走していない。



2005年以降


日本での初戦は2005年のペガサスジャンプステークス。バローネフォンテンの3着となかなかの好走を見せ、続く中山グランドジャンプではそのバローネフォンテンや阪神スプリングジャンプを勝ったナムラリュージュが出走しなかったなどの理由で最終的に単勝1番人気に推された。レースではペガサスジャンプステークス2着で3番人気のフォンテラ(ニュージーランド調教馬)が大竹柵障害で落馬競走中止。空馬となって2番人気のロードプリヴェイルに何度も絡んでいったこともあり、カラジは人気に応えてJ・GI初勝利を挙げる[3]。帰国後はしばらく休養し、翌年平地競走ではあるが自身の名を冠したカラジ“中山GJウィナー”ハンデに出走するも5頭立ての最下位に敗れる。その後も平地競走のみに出走するが全敗、スコット騎手が騎乗した3000メートルのレースでの2着がもっともよい結果であった。


そしてふたたび訪日し、ペガサスジャンプステークスに出走するとテレジェニックの2着に入り、連覇を狙い中山グランドジャンプへ出走。前年のJ・GI中山大障害優勝馬である4歳のテイエムドラゴンが単勝オッズ2.3倍の1番人気となり、そのテイエムドラゴンの父のアドマイヤベガより年上の11歳のカラジとの2強体勢のなかスタートが切られる。レースはバルトフォンテンが先頭を切るが大竹柵障害手前で競走中止。フォンテラからメジロオーモンドと先頭が変わる。テイエムドラゴンは先行。カラジはやや後方を追走し中盤で一気に4番手に上がると最後の直線手前で先頭に立ち、追ってくるテイエムドラゴンとの争いとなったがスコットの怒涛の風車ムチに応えたカラジがクビ差で制した[4]。レース終了後、カラジの進路のとり方について審議が行われたが着順に変更はなく確定し、ゴーカイと並ぶ史上2頭目の中山グランドジャンプ連覇となった。


これらの活躍により2004/05シーズン、2005/06シーズンと連続でオーストラリアの最優秀障害馬に選ばれている。なお、この間オーストラリアの障害競走には一度も出走していない。


そして中山グランドジャンプ3連覇を目指し、2007年も訪日。まずはペガサスジャンプステークスに出走し3着に入る。迎えた中山グランドジャンプでは中団からレースを進め、徐々に進出を開始。最後の直線でメルシーエイタイムを捕らえて先頭に立ち、最後の障害を飛越したあと、この年もスコットの風車ムチによりリワードプレザンの追い込みを凌ぎ、史上初の中山グランドジャンプ3連覇という金字塔を打ち立てた(自身が前年に記録したJRA史上最高齢勝利記録を更新する12歳での優勝[1][5]。帰国後は休養に入り、12月30日の平地競走で復帰した。


2008年はオーストラリアの平地競走を5戦(全敗)したあと、過去3年と同様にペガサスジャンプステークスに出走し、中山グランドジャンプを最後に引退する予定であったが、競馬学校での検疫を終え中山競馬場でペガサスジャンプステークスに向けて調教中の3月27日に右前浅屈腱炎を発症したため、両競走への出走を取りやめ、そのまま引退することになった[6]。4連覇を目前にして無念の引退となったことから、日本中央競馬会は3月29日から4月5日までファンからのメッセージを募集し、4月6日に中山競馬場で関係者にメッセージの贈呈式を行った[2]。引退後もエリック・マスグローヴ厩舎で繋養される。



馬主


当初はアーガー・ハーン4世の持ち馬であった[1]。後年カラジの馬主となったピアース・モーガン(Pearse Morgan、1958年8月24日[1] - )はオーストラリアの公認会計士およびモエ・レーシングクラブの取締役[1]で、カラジのほかにはフジファンタジー(VRCオークス4着)を所有[1]。勝負服の柄は朱色、白ダイヤモンド、黒袖を使用している。



血統表









































































カラジの血統
(血統表の出典)[§ 1]
父系
ニジンスキー系

[§ 2]



Kahyasi
1985 鹿毛

父の父
*イルドブルボン
Ile de Bourbon
1975 黒鹿毛

Nijinsky II

Northern Dancer

Flaming Page
Roseliere
Misti
Peace Rose

父の母
Kadissya
1979 鹿毛

Blushing Groom

Red God
Runaway Bride
Kalkeen
Sheshoon
Gioia



Karamita
1977 鹿毛

母の父
Shantung
1956 鹿毛

Sicambre

Prince Bio
Sif
Barley Corn

Hyperion
Schiaparelli

母の母
Shahinaaz
1965 鹿毛
*ヴェンチア
Venture
Relic
Rose O'Lynn
Cherry

Prince Bio
Baghichen

母系(F-No.)

16号族(FN:16-d)
[§ 3]
5代内の近親交配
Prince Bio 4×4=12.50%、Nasrullah 5×5=6.25%
[§ 4]
出典


  1. ^ JBISサーチ カラジ(IRE) 5代血統表2017年9月11日閲覧。


  2. ^ netkeiba.com カラジ(IRE) 5代血統表2017年9月11日閲覧。


  3. ^ JBISサーチ カラジ(IRE) 5代血統表2017年9月11日閲覧。


  4. ^ netkeiba.com カラジ(IRE) 5代血統表2017年9月11日閲覧。





脚注




  1. ^ abcdefgh“中山グランドジャンプ・ペガサスジャンプステークス出走予定 外国馬プロフィール カラジ号” (日本語). 外国馬情報. 日本中央競馬会 (2008年). 2012年1月9日閲覧。

  2. ^ abc“カラジへのメッセージを贈呈” (日本語). netkeiba.com (2008年4月6日). 2012年1月9日閲覧。


  3. ^ “第7回 中山グランドジャンプ” (日本語). 過去GI成績. 日本中央競馬会 (2005年). 2012年1月9日閲覧。


  4. ^ “第8回 中山グランドJ” (日本語). 過去GI成績. 日本中央競馬会 (2006年). 2012年1月9日閲覧。


  5. ^ “第9回 中山グランドジャンプ” (日本語). 過去GI成績. 日本中央競馬会 (2007年). 2012年1月9日閲覧。


  6. ^ “カラジ、屈腱炎で引退へ” (日本語). netkeiba.com (2008年3月27日). 2012年1月9日閲覧。




外部リンク




  • Karasi - エリック・マスグローヴ厩舎 (英語)


  • 中山グランドジャンプ・ペガサスジャンプステークス出走予定 外国馬プロフィール カラジ号 - 日本中央競馬会(2008年)



  • 競走馬成績と情報 netkeiba、Yahoo!スポーツ競馬、JBISサーチ、Racing Post





Popular posts from this blog

Nidaros erkebispedøme

Birsay

Was Woodrow Wilson really a Liberal?Was World War I a war of liberals against authoritarians?Founding Fathers...