愛媛FC
愛媛FC | |
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原語表記 | 愛媛FC |
呼称 | 愛媛FC |
クラブカラー | オレンジ[1] |
創設年 | 1970年 |
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
所属ディビジョン | J2リーグ |
クラブライセンス | J1 |
ホームタウン | 松山市を中心とする愛媛県全県[1] |
ホームスタジアム | ニンジニアスタジアム[1] |
収容人数 | 20,919[1] |
運営法人 | 株式会社愛媛FC[1] |
代表者 | 村上忠 |
監督 | 川井健太 |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | 日本 〒790-0921 愛媛県松山市三町3-12-14[1][2] |
設立 | 2003年11月19日[2] |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 7500001005296 |
事業内容 | サッカークラブの運営 |
代表者 | 村上忠 |
資本金 | 3億0,900万円[2][3] |
売上高 | 7億6,900万円 (2017年12月期)[3] |
営業利益 | 7,000万円(2017年12月期)[3] |
経常利益 | 7,800万円(2017年12月期)[3] |
純利益 | 6,800万円(2017年12月期)[3] |
純資産 | 1億7,100万円(2017年12月期)[3] |
総資産 | 2億6,000万円(2017年12月期)[3] |
決算期 | 12月期 |
外部リンク | http://www.ehimefc.com |
愛媛FC(えひめエフシー、Ehime FC)は、日本の松山市を中心とする愛媛県全県をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
目次
1 概要
2 歴史
2.1 前史
2.2 2001年 - 2005年(JFL)
2.3 2006年 - (J2)
3 成績
4 タイトル
4.1 リーグ戦
4.2 その他
4.3 個人
5 スタジアム・練習場
6 ユニフォーム
6.1 チームカラー
6.2 ユニフォームスポンサー
6.3 ユニフォームサプライヤー
6.4 歴代ユニフォーム
6.5 歴代ユニフォームスポンサー年表
7 下部組織
7.1 アカデミー
7.2 タイトル
8 マスコット
9 脚注
10 関連項目
11 外部リンク
概要
1970年創設の松山サッカークラブ(まつやまサッカークラブ)が前身[1]。2006年よりJリーグへ加盟している[1]。ホームスタジアムはニンジニアスタジアム[1]、練習場は愛フィールド梅津寺など[1] である(詳細は#スタジアム・練習場を参照)。また、運営会社は株式会社愛媛FCである。[1]。
歴史
前史
1970年:愛媛県立松山東高等学校OBにより、松山サッカークラブ(松山SC)が創設。愛媛県中予リーグに参加[1][4]。
1987年:四国サッカーリーグに昇格[1]。
1995年:運営法人として株式会社愛媛フットボールクラブが設立される[1][4]。
1996年:愛媛フットボールクラブ(えひめフットボールクラブ、略称:愛媛FC)に名称を変更[1]。JFL昇格を目指して本格的に強化を開始[5]。
1997年:愛媛県立南宇和高等学校サッカー部元監督で、愛光学園高校サッカー部監督の石橋智之が教員のままで総監督に就任[4]。
- なお、第77回天皇杯全日本サッカー選手権大会愛媛県代表決定戦決勝で愛媛FCユース(高校生年代チーム)が松山大学を破り、本大会に出場(トップチームは準決勝で松山大学に敗北)。本大会の1回戦で北陸電力に勝利したが、高校生のチーム(2種)による社会人のチーム(1種)に対する初めての勝利であった[6]。
1998年
京都からコーチ兼任でDF大西貴(石橋が監督時代の高校選手権優勝時の主将)、西濃運輸からMF黒田一則が入団。また、早稲田大学在学中のFW友近聡朗が加入した。- 四国リーグで初優勝。また、全国地域サッカーリーグ決勝大会(以下「地域決勝」)に初出場し、3位の成績。
1999年:四国リーグを2年連続で優勝[5]。天皇杯に初めて出場。
2000年:四国リーグで3年連続で優勝[5]。地域決勝は予選リーグで敗退。
2001年 - 2005年(JFL)
2001年
- 1月:全国社会人サッカー連盟の推薦によりJFL昇格が決定[1][5]。
- 社会人チームを本体から切り離し、任意団体として「愛媛FC」が発足[1][5]。
- 学校教員の仕事もある総監督の石橋を補佐するため、大西が現役を引退して監督に就任。また、1998年に愛媛FCで1シーズンプレーした友近が入団した。
- JFL初年度は16チーム中12位の成績。
2003年:新たな運営法人として株式会社愛媛FCが設立[1]。- 2005年
- 大西が監督を退任し(後に愛媛FCユース監督に就任)、ジュビロ磐田元ユース監督の望月一仁が監督に就任。
- 6月28日:Jリーグ加盟の仮申請を提出。
- 9月11日:リーグ加盟の予備申請を提出。
- 9月20日:Jリーグは愛媛FCについて、ホームスタジアムである愛媛県総合運動公園陸上競技場の改修工事が2017年の国民体育大会開催に合わせ2017年完成予定であること、座席が長椅子で年間シートの販売が困難で安定した入場料収入が得られない[4] などとして、このままでは2006年度のJ2入りが困難とする見解を示した。
- 10月18日:Jリーグ理事会で、スタジアム改修時期を繰り上げた愛媛県側の新たな支援計画(知事公舎の売却益を利用)、愛媛FC側の経営基盤強化策、サポーターの署名運動(1ヵ月半で約22万人の署名)などにより、愛媛FCが今シーズンのJFLで原則2位以内ならば昇格を認めるとの方針を打ち出した。[要出典]
- リーグ戦は11月27日(後期第14節)にHonda FCを破り、JFL2位以内が確定。また、12月4日(後期第15節)にデンソーに勝利し、JFL初優勝が決定した。
12月5日:Jリーグ臨時理事会で愛媛FCのJリーグ加盟が全会一致で承認[1]。四国地方で徳島ヴォルティス(2005年加盟)に次ぐ2クラブ目のJリーグクラブとなった。
2006年 - (J2)
- 2006年
- クラブスローガン :「Speed & Aggressive」
望月体制2年目。
広島から田中俊也を完全移籍で、柏から菅沼実、広島から高萩洋次郎、森脇良太、田村祐基をレンタル移籍でそれぞれ獲得した。Jリーグ加盟後の初戦(3月4日)で横浜FCに勝利。また、元J1の柏や東京Vなどに勝利するなど、J2全チームより勝ち点を上げ、最終順位は9位。
- 2007年
- クラブスローガン :「ACTION & MOVING」
望月体制3年目。
レンタル移籍期間満了で菅沼が柏へ、高萩、田村が広島へ復帰。一方で愛媛出身の青野大介(元新潟)や大木勉(元広島)をトライアウトで獲得した。
リーグ戦は、金守智哉、森脇、田中、松下幸平、井上秀人、千島徹ら、昨季終盤に主力として活躍した選手の多くが故障。また、大木もけがによって一時ベンチを外れるなどした。
大量の故障者が出た結果、最終的には昨季より1位順位を下げ、10位の成績。
天皇杯は、4回戦でAFCチャンピオンズリーグ2007で優勝した浦和、5回戦で横浜FCとJ1勢に勝利。愛媛県のチームとして55年ぶりにベスト8に入った。
- 2008年
- クラブスローガン :「STRONG WILL 〜揺るぎない意志〜」
望月体制4年目。
C大阪から多田大介を、京都から三上卓哉を、鳥栖から宮原裕司を、浦和から横山拓也を完全移籍で獲得。さらに、大分から河原正治を、G大阪から伊藤博幹、横谷繁を、神戸からキム・テヨンを、大宮から若林学をレンタル移籍で獲得したが、順位は15チーム中14位。
また、10月22日に松山市の姉妹都市であるフライブルク(ドイツ)に本拠地を置くSCフライブルクとフレンドシップ協定を結んだ[7]。
- 2009年
- クラブスローガン :「E-Spirit 〜EHIME 〜ひとつになって闘う〜」
望月体制5年目。
キム、伊藤、若林、河原、三木良太のレンタル移籍選手が移籍期間満了に伴い退団、宮原が福岡に移籍、南祐三が長崎に移籍、多田大介がC大阪にレンタル移籍など15人の選手が退団。
一方で、C大阪から山本浩正を、大分から内村圭宏を、甲府から田森大己、ジョジマールを、浦和から大山俊輔を完全移籍で獲得。鳥栖から柴小屋雄一をレンタル移籍で獲得。3月に過去に清水や甲府に在籍していたアライールが加入した。
8月5日の熊本戦はニンスタが使用できず、初めて県外開催(高知県立春野総合運動公園陸上競技場)となる。その熊本戦は怪我人や出場停止選手が続出したためリザーブにGK2人にフィールドプレーヤーが1人の計3人であった(スタメン全員フルタイム出場となった)。このため、愛媛FCユースおよび愛媛FCしまなみの選手を急遽トップチームに登録した。
さらに広島からユース日本代表の内田健太をレンタル移籍で、ブラジル人のDFチアゴとFWドドも獲得した。また9月14日、望月が監督を解任され、クラブ初の外国人監督となるクロアチア人のイヴィッツァ・バルバリッチが監督に就任したが、最終成績は18チーム中15位。天皇杯は2回戦で敗退。
- 2010年
- クラブスローガン :「E-advance 〜愛媛進化!〜」
バルバリッチ体制2年目。
柴小屋雄一(大分に復帰)、横谷繁(G大阪に復帰)、加藤慎也(甲府に移籍)がレンタル移籍期間満了に伴い退団。内村圭宏(札幌)、田中俊也(金沢)、ドド(G大阪)が移籍、千島徹、永井俊太が引退した。
一方、イオニコスFCから福田健二(6年ぶりのJリーグ復帰)、札幌から石井謙伍、山形から小原章吾、甲府から鶴田達也を完全移籍で獲得、川崎から杉浦恭平をレンタル移籍で加入、東浩史も加入した。また、内田健太のレンタル移籍期間の延長も決まった。なお、福田健二については、前所属先のイオニコスFCとの間で問題があり開幕戦に出場できなかった[8] 。その後、暫定措置により第2節から登録、出場している[9]。また、新外国人選手としてドウグラスを獲得したものの、家庭の事情により帰国したため開幕早々の4月16日に退団した。
シーズンを通して昇格争いに絡むことは無く11位で終了。ただし、負けを大幅に減らし、J2昇格後初めて得失点差をプラスにした。天皇杯は2回戦で敗退。
- 2011年
- クラブスローガン :「GROW UP EHIME 2011」
バルバリッチ体制3年目。
小原章吾(福岡)、鶴田達也(富山)、持留新作(長崎)、山本浩正(相模原)などが移籍、江後賢一が引退した。
一方で、仙台から萩原達郎、札幌から吉弘充志、千葉から池田昇平を完全移籍で、横浜FMから齋藤学をレンタル移籍で獲得、ユース出身の前野貴徳、小笠原侑生が加入した。また、内田健太、杉浦恭平のレンタル移籍期間の延長も決まった。
7月には、甲府から金信泳を、8月には新潟から大野和成を、それぞれレンタル移籍で獲得した。
最終順位は20チーム中15位。天皇杯は3回戦で広島を撃破してベスト16に進出。なお、下部組織であった「愛媛FCしまなみ」を2012年1月を以てグループ外へ移管した(現:FC今治)[10]。
- 2012年
- クラブスローガン :「BORBA -ALL FOR EHIME-」
バルバリッチ体制4年目。
ジョジマール、吉弘充志が東京Vに、池田昇平がFC岐阜に完全移籍、レンタル移籍していた吉川健太が富山に完全移籍、杉浦恭平(川崎に復帰)、齋藤学(横浜FMに復帰)、大野和成(新潟に復帰後、湘南へレンタル移籍)、金信泳がレンタル移籍期間満了、萩原達郎、岡本剛史が退団、三上卓哉、金守智哉が引退した。
補強は、広島からトミッチ、鳥栖から浦田延尚、山形から園田拓也、名古屋から久場光、京都からアライール、横浜FMから秋元陽太を完全移籍で、神戸から有田光希、新潟から加藤大をレンタル移籍で獲得。内田健太が完全移籍に移行、村上巧が新加入した。
リーグ戦では、開幕戦で町田に2-0で勝利しその時点では千葉、東京Vと並んで首位になる。一旦10位となり第4節終了時に5位に浮上するも、前半戦は主に10位前後で推移、前半戦(第21節)終了時には9位であった。しかし、後半戦初戦の第22節アウェー福岡戦敗退から2連敗、3連敗各2回を含む13試合勝ちなし(3分10敗)と絶不調に陥り、第30節アウェー栃木戦に敗れ3連敗となった時点で18位に後退する。しかし、第35節ホーム岡山戦に勝利して連続未勝利記録を13で止めると、それから最終節までは8試合連続負けなし(4勝4分)で、16位でシーズンを終えた。天皇杯は、2回戦で湘南に敗退。なお、Jリーグクラブライセンス制度でJ2ライセンスの交付を受けた。シーズン終了後にバルバリッチが監督を退任した。
- 2013年
- クラブスローガン :「一丸 -ICHIGAN-」
クラブOBで愛媛FCユース監督の石丸清隆が監督に就任。
前野貴德が鹿島に、田森大己が京都に、内田健太が清水に、大山俊輔が富山に、小笠原侑生、高杉亮太が長崎に、越智亮介が金沢に、福田健二が香港リーグの横浜FC香港に完全移籍、久場光が琉球にレンタル移籍、伊東俊(山形へ復帰)、有田光希(神戸に復帰)がレンタル移籍期間満了、川北裕介、大木勉が引退した。
補強は、名古屋から吉村圭司、栃木から河原和寿、福岡から3年ぶりの復帰となる小原章吾を完全移籍で、FC東京から重松健太郎、湘南から三原向平、横浜FMから松本翔、鳥栖から黒木恭平、京都から伊藤優汰をレンタル移籍で獲得、加藤大のレンタル移籍期間も延長、渡辺亮太が新加入した。また、Jリーグクラブライセンス制度でJ1ライセンスが交付された。年間順位は16位、天皇杯は2回戦で水戸にPK戦で敗れた。
- 2014年
- クラブスローガン :「一心」
石丸体制2年目。
園田拓也が熊本に、東浩史が長崎に、秋元陽太が湘南に、兼田亜季重が山形に、石井謙伍が札幌に完全移籍。加藤大、伊藤優汰、重松健太郎、松本翔、黒木恭平がレンタル移籍期間満了。トミッチ、アライール、琉球にレンタル移籍中だった久場光、赤井秀一が契約満了。赤井は翌年、FC今治に入団。小原章吾が引退。
補強は、近藤貫太、江口直生、表原玄太が新加入、福岡から西田剛、キムミンジェ、甲府から林堂眞、札幌から曵地裕哉、新潟から村上佑介、広島から西岡大輝、京都から児玉剛を完全移籍で、甲府から堀米勇輝、京都から原川力、FCソウルからムン・ドンジュをレンタル移籍で獲得、三原向平のレンタル移籍延長も発表された。
また、シーズン途中から愛媛FCストライカーファンドを利用し栃木・柏・千葉でのプレー経験があるリカルド・ロボが加入した。
リーグ戦では河原和寿、西田剛がシーズン二桁得点を記録するなど奮起をしたが全体を通じて苦しいシーズンとなった。最終順位は22チーム中19位、天皇杯では3回戦で川崎に勝利したが、4回戦で大宮に敗れた。
11月13日石丸監督の今季限りでの退任が発表された。
- 2015年
- クラブスローガン :「全力前進」
前年まで神戸でコーチを務めていた木山隆之が監督就任。
1月、決算黒字化のため平成24年度および平成25年度の2年間不適切な会計処理をしていたことが判明[11] 厳しい処分も予想されたが、組織的な関与は認められなかったと判断され、けん責と制裁金300万円に留まった。[12] 今回の不祥事の責任を取り亀井文雄社長が引責辞任、3月13日付けで愛媛県出身で日本サッカー協会常務理事兼事務局長などを歴任した豊島吉博氏が社長に就任した。[13][14]
渡邊一仁が岡山に、キムミンジェがソウルイーランドFCに完全移籍、堀米勇輝、原川力、ムン・ドンジュがレンタル移籍期間満了、リカルド・ロボ、関根永悟が契約満了、関根は引退した。
補強は、近藤貴司、パク・ソンスが新入団、松本から玉林睦実を完全移籍で獲得、レンタル移籍中だった三原向平を完全移籍で獲得、C大阪から秋山大地(3月23日 - 7月12日)、清水から瀬沼優司、藤田息吹、G大阪から岡崎建哉、神戸からカン・ユングをレンタル移籍で獲得、
シーズン途中の7月には浦和から小島秀仁を完全移籍で、清水から愛媛でプレー経験のある内田健太をレンタル移籍で、8月には東京Vから安田晃大をレンタル移籍で、9月には湘南から白井康介をレンタル移籍で獲得した。一方で代健司が山口にレンタル移籍した。
リーグ戦は第6節から4連勝するなど、前半戦は9勝3分9敗の11位。後半戦は第26節からクラブ記録の5連勝を含む、第25節から9試合負けなし(6勝3分)。第41節のアウェー福岡戦で敗れたが6位以上が確定。最終順位は5位となり、J1昇格プレーオフに初めて出場した。昇格プレーオフ準決勝は4位のC大阪と引き分けて、規定により敗退となった。
- 2016年
- クラブスローガン :「全力前進 〜全てを懸けて戦う〜」
木山体制2年目。J1ライセンスの条件である、クラブハウス併設の天然芝練習場を確保するために、松山市野外活動センターにクラブハウスが建設された。
吉村圭司が引退、村上巧が熊本、村上佑介が長崎へ完全移籍、渡辺亮太が長野へレンタル移籍、岡崎建哉、カン・ユングがレンタル移籍期間満了、近藤貫太が契約満了となった。また昨シーズン途中に山口へレンタル移籍していた代健司が富山へ完全移籍となった。
補強は、松本から昨年水戸にレンタル移籍していたパク・カンイル、岐阜から深谷友基、鹿島から鈴木隆雅を完全移籍で、浦和から茂木力也、阪野豊史をレンタル移籍で獲得。レンタル移籍だった藤田息吹、内田健太、安田晃大、白井康介が完全移籍、瀬沼優司のレンタル移籍期間が延長された。
シーズン開幕後には、ゴールキーパーの曵地裕哉、パク・ソンスが相次いで負傷、そのためゴールキーパーの負傷離脱による登録ウィンドーの例外によるレンタル移籍の制度を適用して熊本から原裕太郎レンタル移籍加入した。(代わりに右膝前十字靭帯損傷のけがを負ったパク・ソンスの登録を抹消、ただし選手としての契約は継続。)
最終順位は10位。シーズン終了後に木山が監督を退任した。
- 2017年
- クラブスローガン :「速戦力」
前年まで秋田の監督を務めた間瀬秀一が監督就任。
表原玄太が湘南、内田健太が名古屋、児玉剛が山形へ完全移籍、茂木力也、阪野豊史、瀬沼優司がレンタル移籍期間満了、江口直生、曵地裕哉、パク・チャニョン(山口へ移籍)、藤直也、大西勝俉(沼津へ移籍)、パク・カンイル、長野へレンタル移籍していた渡辺亮太が契約満了となった。
補強は、京都から5シーズンぶりの復帰となる有田光希、秋田から堀田秀平、札幌から神田夢実、C大阪から小暮大器を完全移籍で、千葉から小池純輝、磐田から昨年長崎でプレーした田中裕人をレンタル移籍で獲得。また、昨年ゴールキーパーの負傷離脱による登録ウィンドーの例外によるレンタル移籍の制度を適用して獲得した原裕太郎が熊本から完全移籍で加入した。またこの制度で昨年登録を抹消されたパク・ソンスも再び登録された。
シーズン開幕後には、中国超級リーグ・広州恒大から鞠楓、札幌から阿波加俊太をレンタル移籍で獲得した。
最終順位は15位。天皇杯は3回戦で大宮に敗退した。
成績
タイトル
リーグ戦
日本フットボールリーグ:1回
- 2005
四国サッカーリーグ:3回
- 1998, 1999, 2000
その他
J2リーグ
フェアプレー賞:2015、2017
日本フットボールリーグ
- 特別賞:2002
個人
- 日本フットボールリーグ
- 最優秀選手
2005年 :濱岡和久
- ベストイレブン
2003年 : 濱岡和久、友近聡朗
2005年 : 羽田敬介、金守智哉、濱岡和久
- 敢闘賞
- 2001年:大西貴
- 2002年:西川司
- 2005年:友近聡朗
- 2001年:大西貴
- 最優秀監督
- 2005年:望月一仁
- 2005年:望月一仁
- 最優秀選手
スタジアム・練習場
ホームスタジアムはニンジニアスタジアムである。なお、JFLに所属していた2005年までは、愛媛県総合運動公園球技場(メインスタンドのみ3,000人収容、ナイター設備なし)も使用しており、2003年までは主に球技場をメインとしていた。なお、ニンスタは第72回国民体育大会(2017年)に向けて改修されているが、詳細は愛媛県総合運動公園陸上競技場を参照のこと。
練習場は愛フィールド梅津寺[1] 以外に、ニンジニアスタジアム[1]、松山市野外活動センター(レインボーハイランド)[1]、北条スポーツセンター球技場・陸上競技場[1] である[1]。
愛媛県総合運動公園球技場(砥部球技場)
愛フィールド梅津寺
ニンジニアスタジアム
ユニフォーム
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チームカラー
オレンジ[1]
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 大王製紙 | elleair エリエール | 2005年 - 2011年 2018年 | 2012年は背中上部(「エリエール」表記) 2016年 - 2017年は背中下部 |
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鎖骨 | ヒカリ | HIKARI | 2018年 - | |
背中上部 | 伊予銀行 | 伊予銀行 | 2014年 - | |
背中下部 | なし | |||
袖 | 三浦工業 | MIURA | 2006年 - | 2003年 - 2004年は胸 2005年は背中 (2003年 - 2009年途中は「ZボイラMIURA」表記) |
パンツ | フジ | FUJI | 2006年 - | (2006年 - 2017年は「Fuji」表記) |
ユニフォームサプライヤー
- 2001年 - 2002年:アンブロ
- 2003年 - 2007年:ディアドラ
- 2008年 - 現在:ミズノ
歴代ユニフォーム
FP 1st | ||||
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2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 |
2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 |
2016 | 2017 | 2018 | ||
FP 2nd | ||||
---|---|---|---|---|
2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 |
2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 |
2016 | 2017 | 2018 | ||
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
2003 | Zボイラ MIURA | 解禁前 | ネッツトヨタ愛媛 | 解禁前 | HOTTA | 愛媛銀行 | DIADORA |
2004 | ニンジニア ネットワーク | ||||||
2005 | エリエール | ZボイラMIURA | 日新製鋼 | ||||
2006 | 太陽石油 | Zボイラ MIURA | Fuji | ||||
2007 | |||||||
2008 | Mizuno | ||||||
2009 | SOLATO | ZボイラMIURA / MIURA | |||||
2010 | MIURA | ||||||
2011 | |||||||
2012 | SOLATO | エリエール | |||||
2013 | - | ||||||
2014 | 伊予銀行 | ||||||
2015 | |||||||
2016 | elleair エリエール | ||||||
2017 | |||||||
2018 | elleair エリエール | HIKARI | - | FUJI | |||
2019 |
下部組織
アカデミー
下部組織としてユース、ジュニアユースを設置している[1]。また、ユース以下の下部組織の他に、女子チームの愛媛FCレディースがある。
なお2009年に今治市を本拠地とする「愛媛しまなみFC」(当時)を愛媛FCの男子第1種のセカンドチームとして位置づけ、「愛媛FCしまなみ」と称していたが、2012年をもって提携関係を解消、現在は「FC今治」として活動している。
タイトル
U18
高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ四国:2003年、2004年、2005年、2008年、2009年、2010年
U15
四国U-15クローバーリーグ:2011年、2012年、2013年
マスコット
愛媛FCのクラブマスコットは「オ〜レくん」[1]、「たま媛ちゃん」[1]、「伊予柑太」である[1]。これらのマスコットは、愛媛県出身でサッカー漫画『ORANGE』の作者・能田達規がデザインし[2]、同作に登場する南予オレンジのマスコットである「ぼん太くん」同様、愛媛の特産物である柑橘類(オレンジ、ミカン、伊予柑)を擬人化したものである[2]。能田は、アウェイ戦毎に愛媛FCホームページに1コマ漫画を掲載しており、その際、3人のペットとして猫を飼っている設定をしている。なお、誕生当初はそれぞれ「オレンジェイ」、「マンダリーニョ」、「いよカーン」という名称だったが、商標の問題により2006年のJ2参入時に改名している。
なお、オ〜レ君はフィールドプレーヤー、伊予柑太はゴールキーパーという設定であり、ユニフォームは各々のポジションに対応した物を着用している。
誕生当初は、3人には着ぐるみがなく、頭だけが張りぼての面、首から下は生身の人間という姿であったが、2006年以降、オ〜レくんとたま媛ちゃん、2009年には伊予柑太が着ぐるみ化し、J参入4年目でようやく「本物」のマスコットが揃う形になった。
この他に非公式マスコットとして、カエルをモチーフにした「一平くん」がいる。
脚注
- ^ abcdefghijklmnopqrstuvwxyzaaabacad“クラブガイド:愛媛FC”. 日本プロサッカーリーグ. 2017年7月22日閲覧。
- ^ abcde“チームプロフィール”. 愛媛FC. 2017年7月22日閲覧。
- ^ abcdefg“2017年度(平成29年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2018年8月7日閲覧。
- ^ abcd“~目指せJ1~愛媛FC”. 四国経済連合会. 2013年8月15日閲覧。
- ^ abcde“愛媛FCヒストリー”. 愛媛FC. 2013年6月16日閲覧。
^ “【NON STOP J2】-J2のススメ- 吉村圭司(愛媛):青春時代を過ごした場所で再びキャプテンに”. J's GOAL (2013年6月3日). 2013年7月18日閲覧。
^ “SCフライブルグ”. 愛媛FC公式サイト. 2013年6月16日閲覧。
^ 福田健二選手の登録について - 愛媛FC公式、2010年3月5日
^ 福田健二選手の選手登録について - 愛媛FC公式、2010年3月12日
^ “愛媛FCしまなみ 移管についてのお知らせ” (プレスリリース), 愛媛FC, (2011年12月30日), http://www.ehimefc.com/efc/topics.php?stpId=101645 2013年7月18日閲覧。
^ J2の愛媛、決算黒字化のため2年間不適切な会計処理 サッカーキング
^ 不正会計発覚の愛媛FCはけん責と制裁金300万円…組織の直接的関与認められず サッカーキング
^ J2愛媛FC「愚直に一歩ずつ」 デイリースポーツ
^ 株式会社愛媛FC 豊島 吉博 代表取締役社長就任のお知らせ 愛媛FC公式サイト
関連項目
- 愛媛FCの選手一覧
- 愛媛FCレディース
四国ダービー / PRIDE OF 中四国
- 中四国サテライトリーグ
- 中国・四国Jクラブ情報懇談会
外部リンク
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