第一号型哨戒艇
第一号型哨戒艇 | |
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基本情報 | |
艦種 | 哨戒艇 |
前級 | なし |
次級 | 第三十一号型哨戒艇 |
要目 | |
排水量 | 基準:1,270トン 公試:1,700トン |
全長 | 水線長99.8m |
最大幅 | 8.9m |
吃水 | 2.9m |
機関方式 | ロ号艦本式缶×2基 艦本式オールギヤードタービン×2基 スクリュープロペラ×2軸推進 |
出力 | 19,250馬力 |
速力 | 20.0ノット |
乗員 | 定員139名(1940年4月1日)[1] 定員142名(1941年7月10日)[2] 定員140名(1943年2月15日)[3] 個艦乗員のほか陸戦隊約250名収容可能 |
兵装 | (1940年4月)[4] ・45口径三年式12cm砲3門 ・53cm連装魚雷発射管1基 (開戦直前)[4] ・45口径三年式12cm砲2門 ・大発×2隻 |
第一号型哨戒艇(だいいちごうがたしょうかいてい)は、かつて大日本帝国海軍に在籍した哨戒艇。同型艇2隻。
目次
1 概要
2 同型艇
3 参考文献
4 脚注
5 関連項目
概要
1939年に軍令部が要望した老齢の駆逐艦10隻の哨戒艇改造計画に基づき、戦備促進の一環として実施されたもの。原計画では峯風型駆逐艦4隻、二等駆逐艦6隻だったが、峯風型からの改造は2隻に縮小され、代替として二等駆逐艦からの改造を10隻に増加した[5]。峯風型2隻の改造の内容はボイラーの半数、2番主砲、1番および3番連管の撤去である[4]。
1940年(昭和15年)4月、特務艇類別等級を改正して同別表に哨戒艇の部と第一号型の項を新設し、同項中に第1号哨戒艇(旧島風)と第2号哨戒艇(旧灘風)を登載した[6]。
開戦直前になって旧2番連管と旧4番主砲を撤去[4]し、旧1番連管跡などの甲板上に兵員室を設けて陸戦隊約250人の居住区とし、後部甲板に大発を2隻搭載して艦尾には発進用のスロープを設け、上陸作戦をスムーズに行えるよう改造された。これは後の一等輸送艦と同じ発想だった[7]。
2隻は緒戦より各地の攻略作戦に従事した。1943年(昭和18年)以降は主に船団護衛に従事し2隻とも船団護衛中に戦没した。
第1号哨戒艇は1943年2月10日、特務艇のまま除籍された[8]が、第2号哨戒艇は、2月15日付で特務艇の哨戒艇から艦艇の哨戒艇(艇型名なし)となった[9]。
同型艇
哨戒艇への編入は全て1940年(昭和15年)4月1日。
- 第1号
- 旧島風。1943年(昭和18年)1月12日米潜「ガードフィッシュ」の雷撃により戦没(カビエン西方)
- 第2号
- 旧灘風。1945年(昭和20年)7月25日英潜「スタボーン」(HMS Stubborn)の雷撃により戦没(ジャワ海)
参考文献
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0463-6
世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』(海人社、1996年) ISBN 4-905551-55-2
脚注
^ 昭和15年4月1日付 内令第210号別表。
^ 『昭和16年7月10日付 内令第786号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070157500
^ 『昭和18年2月12日付 内令第229号』 アジア歴史資料センター Ref.C12070175200
- ^ abcd『日本海軍護衛艦艇史』、p. 98。
^ 世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』、pp. 98-99。
^ 昭和15年4月1日付 内令第197号。
^ 『日本の軍艦 第13巻』p168。
^ 昭和18年2月10日付 内令第217号、内令第219号。
^ 昭和18年2月15日付 内令第238号、内令第239号。
関連項目
- 峯風型駆逐艦
- 大日本帝国海軍艦艇一覧
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