多久茂文
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凡例 多久茂文 | |
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多久茂文像(多久市郷土資料館蔵) | |
時代 | 江戸時代前期 - 後期 |
生誕 | 寛文9年11月26日(1670年1月17日)[1] |
死没 | 正徳元年8月29日(1711年10月11日)[1] |
別名 | 伊豆、伊予(通称) |
墓所 | 佐賀県佐賀市本庄町の慶誾寺 |
主君 | 鍋島光茂→綱茂→吉茂 |
藩 | 肥前佐賀藩 |
氏族 | 鍋島氏→後多久氏(多久鍋島家) |
父母 | 父:鍋島光茂、養父:多久茂矩 |
兄弟 | 鍋島綱茂、鍋島吉茂、茂文、鍋島宗茂、 千(土井利重正室)、伊東祐実継室、水野忠直正室、鍋島茂正室、鍋島直恒正室 など41人 養兄弟:興祥院(鍋島直称正室、小花和成武娘) |
妻 | 正室:彦市(鍋島直堯の娘) |
子 | 千重子(鍋島直英正室)、多久茂明正室 養子:茂村(鍋島元武三男)、 茂明(鍋島茂清子) |
多久 茂文(たく しげふみ)は、江戸時代前期から後期にかけての武士。肥前国佐賀藩士。多久鍋島家(後多久氏)4代当主。
略歴
寛文9年(1670年)、佐賀藩第2代藩主鍋島光茂の四男として誕生。後に3代多久邑主・多久茂矩の養子となり、貞享3年(1686年)、家督を継ぐ。
儒学者・武富咸亮、実松元林に学び、東原庠舎・多久聖廟を創建する。鍋島元武の三男を長女千重子(本良院)の婿養子とし、茂村と名乗らせる。
正徳元年(1711年)、死去。
茂村は茂文没後に5代多久邑主を継ぐが、兄で小城藩4代藩主・鍋島元延が正徳4年(1714年)に没すると5代藩主・鍋島直英となる。そのため、次女の婿である茂明[2]が6代邑主として相続した。
脚注
- ^ ab『旧多久邑人物小志』
^ 須古鍋島家6代当主・鍋島茂清の子。
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