梓みちよ
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梓 みちよ | |
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出生名 | 林 美千代[1] |
生誕 | (1943-06-04) 1943年6月4日(75歳)[1] |
出身地 | 日本・福岡県福岡市博多区[2] |
学歴 | 宝塚音楽学校中退 |
ジャンル | 歌謡曲 |
活動期間 | 1962年 - |
レーベル | キングレコード(1962年 - 1979年) CBS・ソニー(1979年 - ) |
事務所 | アラベスク |
梓 みちよ(あずさ みちよ、1943年6月4日[1] - )は、日本の歌手、女優。本名、林 美千代(はやし みちよ)[1]。
福岡県福岡市博多区出身[2]。福岡女学院中学校・高等学校1年修了。宝塚音楽学校中退[3]。血液型はO型[2]。株式会社アラベスク所属で株式会社プロダクション尾木と業務提携。1960年代から1970年代を中心に数曲のヒットを飛ばした。アメリカンポップスから歌謡曲まで幅広いレパートリーを持つ。
目次
1 略歴
2 人物
3 ディスコグラフィ
3.1 シングル
3.2 アルバム
3.3 映像作品
4 出演
4.1 映画
4.2 テレビドラマ
4.3 バラエティ
4.4 吹き替え
4.5 CM
4.6 ラジオ
4.7 NHK紅白歌合戦出場歴
5 脚注
略歴
1960年、福岡女学院高校1年修了で宝塚音楽学校に入学。同校在学中に渡辺プロダクションのオーディションに応募し合格し、上京し契約する[2](同校は中退[3])。約1年間のレッスンを経て、1962年に“ボサノバ娘”のキャッチフレーズでキングレコードより「ボッサ・ノバでキッス」でデビューし[2]、歌手として本格的に活動を始める。
『夢であいましょう』の今月の歌として発表された[2]「こんにちは赤ちゃん」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)が大ヒットとなり、同年12月の第5回日本レコード大賞の大賞を受賞[1]。また『第14回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たし、人気歌手としての地位を得た。また同曲は翌1964年3月の第36回選抜高校野球大会の開会式入場行進曲に採用された。さらには1964年5月、東京・文京区の椿山荘で開かれた学習院初等科同窓会に招待され、昭和天皇の御前でこの歌を披露した。明治時代以降において日本芸能界初の天覧歌謡曲となる[4]。
しかしその後は歌手として人気が一時低迷、1969年の『第20回NHK紅白歌合戦』まで7年連続出場していた紅白歌合戦も翌1970年に落選、1973年まで4年間出演出来なかった。1971年に俳優の和田浩治と結婚したが、翌1972年に離婚している[5]。
1974年には床に座り込んで歌う「二人でお酒を」(作詞・山上路夫、作曲・平尾昌晃)が久々に大ヒット。同曲で第5回日本歌謡大賞・放送音楽賞、同年末の第16回日本レコード大賞・大衆賞をそれぞれ受賞し、また『第25回NHK紅白歌合戦』にも5年ぶり8回目の復帰出場を果たし、イメージ・チェンジを成功させた。一方、1971年7月から1978年2月まで『新婚さんいらっしゃい!』(司会・桂三枝)の2代目アシスタントを務めていた。
1975年末の『第26回NHK紅白歌合戦』は、第二次世界大戦中に流行したドイツの歌謡曲「リリー・マルレーン」を日本語詞で歌唱。1976年は「メランコリー」(作詞・喜多条忠、作曲・吉田拓郎)が翌1977年にかけてロングヒット。同曲で1976年末に第18回日本レコード大賞・編曲賞(編曲・萩田光雄)を受賞し、『第27回NHK紅白歌合戦』に3年連続で出演した。1979年、レコード会社をCBS・ソニーに移籍。同年日本専売公社「パートナー」のCMソングに採用された「よろしかったら」(作詞・阿木燿子、作曲・筒美京平)がスマッシュヒット。1982年、前年の1981年5月に37歳の若さで急逝したシンガーソングライター・大塚博堂の「トマトジュースで追いかえすのかい」(作詞・阿久悠、作曲・大塚博堂)をカバーした。
1992年には『第43回NHK紅白歌合戦』に16年ぶり11回目の紅白カムバック出場を果たし、同1992年6月に亡くなった作曲家・中村八大を偲んで「こんにちは赤ちゃん」を歌唱した。
人物
『さんまのまんま』第69回(1986年10月6日)に出演した時、明石家さんまの失礼な言動に対し怒り、グラスのシャンパンをさんまに対してかけた[3]。
2016年7月11日、「こんにちは赤ちゃん」の作詞家・永六輔が同年7月7日に83歳で逝去の報道を受け、梓は「突然の訃報にただ驚いております。最後にお会いしたのは2年前『夢であいましょう』のイベントで、その時は『こんにちは赤ちゃんのアンサーソングを作ろうよ』の話で盛り上がり、お元気な印象でした。私がデビュー間もない頃に永さん作詞、中村八大さん作曲の『こんにちは赤ちゃん』の曲を頂いた時『ママでもないのにどう歌えばいいんですか?』と泣きそうになりながら聞いた処『いいかい、女性はみんな母性本能があるんだ。胸に玉のようなかわいい赤ちゃんを抱いていると思って歌えばいいんだよ』とアドバイスを頂きました。その言葉が昨日のように思い出されます。永さんなしでは『梓みちよ』という歌手は誕生しませんでした。感謝の気持ちしかありません。有難う御座いました。ご冥福をお祈り申し上げます」と追悼のコメントを発表した[6]。
ディスコグラフィ
シングル
- ボッサ・ノバでキッス/恋のゆきどまり(1962年11月)
- スカイリング・デイト/グッドバイ・ジョー(1963年2月)
- 恋はボッサ・ノバ/すてきなメモリー(1963年3月)
- 渚のデイト/ラスト・ダンスを私と(1963年5月)
- ヘイ・ポーラ/黒い瞳に青い空(1963年6月)田辺靖雄とのデュエット
- けんかでデイト/バイバイ・ハイスクール(1963年6月)田辺靖雄とのデュエット
こんにちは赤ちゃん/いつもの小道で(1963年11月)
NHK『夢であいましょう』1963年7月の歌[2]。番組内で募集した譜面の応募総数が1万通を超える大反響となる。同年11月に発売されたレコードは100万枚を超える大ヒット[2]。同年、第5回日本レコード大賞受賞曲となり、翌1964年選抜高校野球の開会式行進曲にもなった[2]。
きよしこの夜/別れのワルツ(1963年11月)田辺靖雄とのデュエット- ダンケ・シェーン/月光価千金(1964年1月)
- 素敵な新学期/さよならデイト(1964年3月)田辺靖雄とのデュエット
ラスト・ダンスを私と/二人で夢を(1964年3月)- ひとりだけの歌/パララン・パン(1964年4月)田辺靖雄とのデュエット
- おかあさん/12と13(1964年4月)
- 夢みる想い/ウィッシング・ウェル(1964年6月)
- アウフ・ヴィーダーゼーン/二人はステディ(1964年7月)田辺靖雄とのデュエット
- リンデンバウムの歌/夕陽が似合う(1964年)
- 白い想いで/幸福を祈ろう(1964年)
忘れな草をあなたに/虹を掴もうよ(1965年4月)- 言えばよかった/ごめんなさい(1965年)
- 忘れたはずなのに/笑顔をみせて(1965年11月)
- ねむの木の子守唄/おめめがさめれば かあさん(1966年3月)
- ポカン・ポカン/憶えているかしら(1966年4月)
- 赤いつるばら/白い浜(1966年9月)
- キッスして/お嫁さん(1967年2月)
- 渚のセニョリーナ/二人の夏(1967年6月)
- 恋のギターラ/恋してる(1967年10月)
- あなたの時計/ふたりのこころ(1968年2月)
- 月夜と舟と恋/夜はバラ色(1968年6月)
- 愛せないの/めぐりあうために(1968年11月)
- だけど愛してる/夜のせいなの(1969年2月)
- 渚のSha La La/熱い愛(1969年6月)
- 麗人の唄/愛の新世界(1969年10月)
- 朝とブラック・タイ/一年前の街角で(1970年4月)
- 売れ残ってます/ナルシズム(1970年9月)
- 愛されてます/悲しい旅(1971年1月)
- 陽のあたる窓辺/もう来ない明日(1971年6月)
- ここに幸あり/約束(1972年1月)
- 愛はルフラン/眼が覚めて(1972年7月)
- 番組で特段のクレジットはされなかったが、長期間に渡り『新婚さんいらっしゃい!』のオープニングテーマとして歌唱した。
二人でお酒を/両手で愛して(1974年3月)
- 同曲の大ヒットにより同年末の『NHK紅白歌合戦』に5年ぶりにカムバック出場
- 淋しがりや/別ればなし(1974年9月)
- あかいサルビア/リリー・マルレーン(1975年3月)
- よこがお/九月の渚(1975年9月)
- 二日酔い/独りあるき(1976年2月)
メランコリー/雪どけ(1976年9月)
- 翌1977年に作曲・吉田拓郎が『ぷらいべえと』でセルフカバー
- 翌1977年に作曲・吉田拓郎が『ぷらいべえと』でセルフカバー
- 女達のキイワード/UP AND DOWN(1977年3月)
- ノクターン/ひとり暮らし(1977年9月)
- 銀河系まで飛んで行け!/ミストレス(1978年1月)
- 元は当時の渡辺プロ所属の後輩であるキャンディーズのLP5枚組BOX『CANDIES 1676 DAYS〜キャンディーズ1676日〜』の収録曲
- 熱帯夜/フィニッシュ(1978年6月)
- 信天翁/ミッドナイト・ブルー(1978年11月)
よろしかったら/ビロードの爪(1979年9月)CBSソニーへ移籍
日本専売公社「パートナー」CMソング
- 淋しい兎を追いかけないで/コーランの恋人(1980年3月)
- 小心者/純情馬鹿(1980年8月)
- 行きずり-日本の美女たちへ-/思うままの女(1981年5月)
- いま、親友/アムール アムール(1981年10月)
トマトジュースで追いかえすのかい/裏面(1982年4月)
- 1981年に亡くなった大塚博堂のアルバム『感傷』(大塚の没後にシングル・カット発売)からのカバーソング
- 恋はウー・ラ・ラ・ラ/愛を散らかしていた(1982年9月)
- もっと人生を下さい/女の幻想曲(1983年)
- いらっしゃい/サファイア色の午後(1985年)
- ぬすんでもいいわ-暗闇にぬすむ接吻-/危険な関係(1986年)
- 横恋慕/シャンペンでこんや破産(1988年11月)アポロン
- FOREVER FRIENDS/TOKYOシンドローム(1992年12月)東芝EMI
- 愛の落書き/紫のバラ(1997年4月)バンダイ・ミュージック
- Rain愛しくて/まだまだ世の中捨てたものじゃない(2002年)
アルバム
- Michiyo Azusa/梓みちよ第一集(1963年7月)
- たのしい、たのしいクリスマス(1963年11月)オムニバス盤 ⇒CD(1991年11月・キングKICX-144)
- こんにちは赤ちゃん/梓みちよ第二集(1964年1月) ⇒CD(1989年5月・キング194A-16)
- マイ・カップル(1964年1月)田辺靖雄・梓みちよ ⇒CD(1989年6月・キング194A-25)
- おかあさん/みちよのヒットパレードVol.3(1964年8月) ⇒CD(1989年5月・キング194A-16)
- 二人はステディー/マイ・カップルVol.2(1964年9月)田辺靖雄・梓みちよ ⇒CD(1989年6月・キング194A-25)
- みちよと歌おう / 梓みちよの抒情歌集(1965年)
- おかあさんへプレゼント(1966年)オムニバス盤
- 渚のセニョリーナ(1967年)ベスト盤
- 梓みちよ デラックス(1968年)ベスト盤
- 退職願い―ナツコの結婚―(1970年)
- 梓みちよ オン・ステージ(1972年)1972/9/6 渋谷公会堂でのライブ盤
- 二人でお酒を(1974年)ベスト盤
- グラスにうつる愛の詩(1975年4月) ⇒CD(1994年2月・キング)
- 梓みちよ・リサイタル(1975年)1975/2/17 大阪フェスティバル・ホールでのライブ盤
- メランコリー(ゴールデン・スター・ベスト・アルバム)(1976年)ベスト盤
- オリジナル・コレクション(1977年12月)ベスト盤
- 女が男を語るとき(1979年)CBSソニー移籍
- リラックス(1980年)
- いま、親友(1981年)
夜会服で…(1982年)
耳飾り(1984年)- 黄昏のモンテカルロ(1987年6月)
- モスクワの仔猫(1997年4月)
- 梓みちよCD-BOX(2002年7月)キング・レコード時代(1963-1978)のCD5枚組BOX
- ゴールデン☆ベスト 梓みちよ ニュー・シャンソン(2005年3月)CBSソニー時代のシングル、アルバムからの2枚組編集盤
映像作品
- 梓みちよ パフォーマンス(1983年)
- 夢であいましょう(1991年)全5巻VHS
- 歌の妖精(2001年)全7巻VHS
出演
映画
夢で逢いましょ(1962年、東宝)星野洋子 役
若い仲間たち うちら祇園の舞妓はん(1963年、東宝)牧ミチル 役
こんにちは赤ちゃん(1964年、東宝)主演・会田道代 役(主題歌も担当)- 虹をつかむ恋人たち(1965年、東映)
てなもんや東海道(1966年、東宝)お染 役
ドリフターズですよ!全員突撃(1969年、東宝)人魚の風子 役
アッと驚く為五郎(1970年、松竹)
テレビドラマ
ぼうや(1963年4月15日 - 9月30日、日本テレビ)
松本清張シリーズ 万葉翡翠(1966年3月、関西テレビ)主演- お嫁さん(1)(1966年6月 - 12月、フジテレビ)主演・山縣まち子 役(主題歌も担当)
夏に恋する女たち(1983年8月5日 - 9月30日、TBS)青山早苗 役
銀河テレビ小説 男の子育て日記(1987年6月8日 - 7月3日、NHK総合)
透明人間 第5話(1996年5月11日、日本テレビ)
ビューティ7 第10話(2001年9月5日、日本テレビ)田浦せつ 役
水戸黄門 第39部 第11話(2008年12月22日、TBS)お勢 役
バラエティ
新婚さんいらっしゃい!(1971年7月 - 1978年2月、朝日放送)アシスタント
11PM(1982年6月 - 1983年5月、日本テレビ)金曜アシスタント
吹き替え
知りすぎていた男(ドリス・デイ)
CM
- キングコモディティ証券
ラジオ
- 梓みちよ 美の秘訣(2014年10月4日 - 、TBSラジオ)
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備考 |
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1963年(昭和38年)/第14回 | 初 | こんにちは赤ちゃん | 20/25 | 坂本九 | 初出場 |
1964年(昭和39年)/第15回 | 2 | リンデンバウムの歌 | 09/25 | ボニー・ジャックス | |
1965年(昭和40年)/第16回 | 3 | 忘れたはずなのに | 06/25 | ダーク・ダックス | |
1966年(昭和41年)/第17回 | 4 | ポカンポカン | 22/25 | マイク眞木 | |
1967年(昭和42年)/第18回 | 5 | 渚のセニョリーナ | 06/23 | 三田明 | |
1968年(昭和43年)/第19回 | 6 | 月夜と舟と恋 | 18/23 | デューク・エイセス | |
1969年(昭和44年)/第20回 | 7 | こんにちは赤ちゃん(2回目) | 16/23 | 水原弘 | |
1974年(昭和49年)/第25回 | 8 | 二人でお酒を | 07/25 | 殿さまキングス | 5年ぶりに復帰出場 |
1975年(昭和50年)/第26回 | 9 | リリー・マルレーン | 19/24 | 沢田研二 | |
1976年(昭和51年)/第27回 | 10 | メランコリー | 10/24 | 菅原洋一 | |
1992年(平成4年)/第43回 | 11 | こんにちは赤ちゃん(3回目) | 08/28 | デューク・エイセス | 16年ぶりに復帰出場 |
- 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。
- 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
脚注
- ^ abcde梓みちよ Tower Records Online
- ^ abcdefghi>梓 みちよ (あずさ みちよ) アラベスク
- ^ abcさんまにシャンパンかけた 梓みちよ 2012年10月23日 日刊ゲンダイ
^ 『音楽CD検定公式ガイドブック(下)』CDジャーナル(編)289p
^ 和田浩治 結婚1年7カ月で梓みちよと泥沼離婚 2013年7月17日 日刊ゲンダイ
^ 「永さんなしで梓みちよは誕生しなかった」悼む 2016年7月12日 日刊スポーツ
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