ぶらくり丁商店街
ぶらくり丁商店街(ぶらくりちょうしょうてんがい)は、和歌山県和歌山市の中心的な商店街・歓楽街。
目次
1 概要
2 歴史
3 近代以降の繁栄
4 郊外や駅前との競合による衰退
5 活性化への取組み
6 和歌山市中心市街地活性化基本計画とぶらくり丁の関係
7 和歌山市中心市街地活性化基本計画の効果と課題
8 和歌山市中心市街地活性化基本計画終了後の動き
9 公営ギャンブル施設設置を巡る賛否両派の攻防
10 歓楽街としてのぶらくり丁
11 脚注
12 外部リンク
概要
単独の商店街としてのぶらくり丁商店街も存在するが、一般に本町(本町通り)[1]、ぶらくり丁、中ぶらくり丁[2]、東ぶらくり丁、ぶらくり丁大通り[3]、北ぶらくり丁[1]の6商店街の総称として用いられる[1]。ぶらくり、ぶらくり丁、本町、二丁目ともいわれる。この6商店街で総店舗数公称250店の和歌山市中央商店街連合会を形成している。
歴史
和歌山城丸の内と城下を結ぶ京橋から北に延びる大手通りに沿って町が形成され、南北に幅3間(約5.4m)、東西の横丁に幅2間(約3.6m)に延びる通りであったという[4]。1830年(天保元年)[3]に、この一帯が大火により焼失した後に、町大年寄和田九内正主が横丁で商売することを願い出たのを機に食料品や衣料品等を扱う商人が集まってきたのが商店街の始まりである。
間口の狭い店が多かったため[5]、その商人たちが商品をぶらくって(吊り下げての意)軒先を飾っていたのがぶらくり丁という名前の由来であると言われている[6]ほか、「ぶらぶら歩く」が由来との説もある[7]。
以来、和歌山城城下町の一部を形成し、紀州藩を代表する繁華街、歓楽街として栄華を極めていた。
近代以降の繁栄
明治以降も和歌山の繁栄は続いた。和歌山市は1889年(明治22年)4月1日、関西では神戸、姫路、堺と同時に市制施行した。同時に誕生した全国39市中、和歌山市は人口48,131人で13番目の多さを誇った[8]。この繁栄を背景に、ぶらくり丁は和歌山県を代表し大阪市以南でも最大の繁華街として繁栄した。1891年(明治24年)に開業した松尾呉服店が1932年(昭和7年)10月に丸正百貨店として百貨店化して[8]商店街の中核となり、昭和初期には大阪・ミナミと肩を並べるほどの繁華街・歓楽街となった[3]。
買い物客の前には人の頭しか見えないほど[9]でまっすぐ歩けないとまでいわれた位にぎわう繁華街[5]であり、全盛期には「シネマプラザ築映」や「和歌山東映シネマ」[10]「和歌山帝国座」[11]など映画館が5館以上あって[10]和歌山県内各地や大阪の泉南地域などからの客を集めており、1970年(昭和45年)にはジャスコ和歌山店[8][12]、1971年(昭和46年)には大丸和歌山店も進出するなど1970年代ごろまでは繁栄していた[13]。
郊外や駅前との競合による衰退
1987年(昭和62年)に和歌山大学がキャンパスを統合して和歌山市郊外の大阪府との府県境に近い栄谷に移転したことで[1]、学生など大学関係者の往来が減少して学生相手の廉価な衣料品店、食料品店、本屋などがなくなった[6]。また、大きな駐車場がないことが問題[10]となって、郊外の大型店[13]や大阪府南部に進出した大型店が台頭し客を奪われた[7]。全国の人通りの多い商店街には共通するような、鉄道のターミナルから伸びる幹線道路に平行した構造ではなく[14]、和歌山駅から西汀丁交差点まで約2キロ[15]と遠く、和歌山市駅からも離れていて路面電車(南海和歌山軌道線)廃止後は交通手段がバスしかなく、徒歩で移動するには遠いのが課題[16]となるような立地が災いし、1987年(昭和62年)4月24日には和歌山駅前に和歌山近鉄百貨店(和歌山ターミナルビル内、現・近鉄百貨店和歌山店)が移転[17]した。和歌山近鉄百貨店は利便性でぶらくり丁の核店舗である丸正百貨店の顧客を奪い、丸正百貨店も1990年(平成2年)10月に新店舗を建設して対抗した[18]ものの、追い討ちを掛けるように2000年(平成12年)春に和歌山近鉄百貨店が増床して[18]売場面積32,400m2[19]とし、品揃えでも優位に立った。丸正百貨店は百貨店同士での競合で追い詰められ、2001年(平成13年)2月26日に自己破産を申請して閉店に追い込まれた[18]。1998年(平成10年)12月には大丸も駐車場不足や売場の小ささから来る競争力の不足を理由に撤退[20]、2001年(平成13年)5月にはビブレも閉店して[20]集客力のある大規模小売店舗が全て閉店する事態となり、衰退傾向は一気に加速した[6]。
その後も2004年(平成16年)12月に郊外に10スクリーンと大型駐車場を備えたシネマコンプレックスが開業した影響で[10]2005年(平成17年)2月末に「和歌山東映シネマ」[10]、同年8月末に「シネマプラザ築映」が廃業して映画館すべてがなくなり[10]、2009年(平成21年)10月11日の家電販売店ジョーシンコバヤカワ閉店[21]や2010年(平成22年)4月30日の商店街の入り口のマクドナルド閉店[22]など集客力のある施設の閉鎖が相次いだ。ぶらくり丁7地点の休日平日の平均通行量は1992年(平成4年)の54,147人が2010年(平成22年)には17,461人にまで減少[23]、空き店舗率も2002年(平成14年)に11.51%(全278店舗中32店舗)[24]、2004年(平成16年)12月に23.23%[1]、2006年(平成18年)9月には27.27%[1]、2007年(平成19年)に22.71%(全273店舗中62店舗)[24]、2008年(平成20年)度調査で24.18%[25]、2010年(平成22年)4月には27.94%[26]と高い状態が続き、近年ではいわゆるシャッター通りと化した。昭和60年代以降は和歌山市全体の人口が減少に転じ[27]、18歳年齢人口約9,000人のうち7,000人が県外へ流出し[28]、和歌山県の人口も16年連続で減り続け2011年(平成23年)には100万人を切る[29]など、ぶらくり丁は後背地域全体の衰退の影響も受けて衰勢が止まらなくなっている[27]。
活性化への取組み
先述のような衰退から脱するため、当時の和歌山市長は破綻して閉鎖となっていた丸正百貨店跡への公立大学設立案を提案したが2002年(平成14年)に和歌山市議会で否決され[30]、2003年(平成15年)には丸正百貨店跡を所有する和島興産とは無関係な別の地元不動産事業者が再生計画を作ったが、本館の計画は実現せず、2004年(平成16年)に北別館のみをレストラン・音楽スタジオなどの複合施設として開業したものの、短期間で破綻に追い込まれてしまった[30]。このように地区を代表する大型店閉鎖への対応がなかなか進まず、その間の2005年(平成17年)に映画館が全てなくなる[10]など一段と集客力が衰えていった。
2007年(平成19年)8月27日に近畿第1号として国に認定された[16]合計53事業からなる和歌山市中心市街地活性化基本計画[27]で、当地区を中心とした地域の活性化策に和歌山市・和歌山県・国が取り組み始めた。
この中心市街地活性化基本計画の一環として、和歌山商工会議所の会頭を社長が努めていた関係で島精機製作所グループが丸正百貨店跡を買収して国公私立大学や公的団体の施設が入居する複合施設フォルテワジマを開業させている[30]。しかし、2008年(平成20年)6月1日に始まった新規店舗に対して1年を限度に賃貸料の2分の1以内(限度額月額5万円)を補助する制度等を盛り込んだ和歌山市の「中心市街地商店街出店チャレンジ支援事業」の応募は3カ月全くなかった[31]。2010年(平成22年)9月7日からは[26]和歌山市が国のふるさと雇用再生特別基金を活用して、[25]美園町に中心市街地にある空き店舗などの不動産を登録して紹介する不動産案内所を開いて有効活用や流動化を促す[26]など新たな店舗の招致にも力を入れ、その結果、八百屋も酒屋もなかった[7]当地区に2011年(平成23年)1月26日、産地直送の新鮮な野菜や和歌山産しょうゆや梅干し[32]、海南市の手作りこんにゃく、金屋町の金山寺みそ、地元でしか見られなかった高級品や珍品などを扱う八百屋「ぶらくり ふるさと館」がスポーツ用品店跡に開業[32]した。このようにして中心市街地活性化基本計画は2006年(平成18年)度から2010年(平成22年)度までに11店舗の開設を支援している[33]。
しかし、「学生が集まれば再生の大きな力になる」[1]として和歌山市中心市街地活性化基本計画の中心的な事業の一つとされていた和歌山大学観光学部を当地区に設置する計画[34]は、和歌山県、和歌山市、和歌山県商工会議所連合会、和歌山県観光連盟を含む25団体でつくった「和歌山大学観光学部設置促進期成同盟会」[1]などの後押しもあって学部設置は決定したものの、2007年(平成19年)10月に入居を予定していたビルの共益費などの問題がクリアできないとして交渉が決裂し[35]、2008年(平成20年)8月21日には中心市街地への観光学部キャンパス設置そのものを断念して郊外にある既存のキャンパスに設置するとしたため実現せず[36]、2008年(平成20年)6月2日に昼間は学生が利用し、 夕方以降は市民の講座や勉強会などを行う[37]広さ約260m2に40人収容の教室が2部屋と事務所という規模の和歌山大学サテライト本部をフォルテワジマ6階に開設[38]するに留まり、「学生を中心にした活性化の拠点」[21]の整備が宙に浮く形となった。それに変わる代替事業として[12]ジョーシンコバヤカワ跡には[21]、地下1階を図書コーナー、1階-2階をイベント等を開催するフリースペース[33]とする学生を中心にした活性化の拠点[21]「みんなの学校」[33]が、ぶらくり丁大通りには国庫交付金を得て[12]2009年(平成21年)11月に設立され12月から本格的に事業を開始した、サブカルチャーであふれるまちを復活させるための情報発信の拠点「ぶらくりエンターテイメント」[3]が、「和歌山東映シネマ」[10]跡には大衆演劇を1日2回程度公演する紀の国ぶらくり劇場[33]が、それぞれ設置された。また、2008年(平成20年)から毎年開催している[39]、路上やライブハウスなどでジャズ演奏を楽しめる[40]「ぶらくりスイング和歌山ジャズストリート」[6]、和歌山大学の学生らが運営する「オープンカフェ」の開催[41]、2010年(平成22年)8月21日から9月12日まで約80人が参加して「みんなの学校」で行われたゴスペル教室[42]などといったソフト事業を中心[27]とする活性化策も行われているが、観光学部設置に比べて小さな事業[12]に留まっている。(ぶらくりスイングが2017年より廃止)
この他にも2006年(平成18年)12月に発足した活性化委員会が中心となって[6]
- 各店自慢の品や新規開店を紹介する[5]フリーペーパー「ぶらくりタイムス」の発行[6]
- 年末・クリスマスなどを意識した[6]ディスプレーを競う[5]「ディスプレイコンテスト」[6]
- 中ぶらくり丁商店街が毎年1月7日に「七草粥」を振る舞うイベント[43]
2011年(平成23年)10月15日[44]には当地区を含む和歌山市の中心市街地全体で151の飲食店が参加して自由に食べ歩きが出来るイベント「わかやま城下町バル」[45]
2011年(平成23年)11月23日にはロータリークラブが行った地元の新鮮な野菜や果物などを販売する「ラブらくりちょう-愛そう あがらの町」[46]
などの各種イベントを開催している。2009年(平成21年)2月20日からは和歌山市中央商店街連合会として、和歌山バスグループなどと共同で買い物客に「バス補助券」を提供する「100円バス券サービス事業」を開始し、「バスを利用すれば郊外よりも中心市街地の方が行きやすい」と「高齢者など運転免許を持たない人」にアピールする[47]など、行政の手によらない手造りの活性化策も行われている。
和歌山市中心市街地活性化基本計画とぶらくり丁の関係
和歌山市中心市街地活性化基本計画は、ぶらくり丁の活性化を目指す計画であるとの見方がされることが多く、メディアでも『活性化の目玉となる肝心のぶらくり丁の人出』(わかやま新報)[48]、『「ぶらくり丁」周辺の活性化を目指す市中心市街地活性化基本計画』(毎日新聞)[13]などと報道されている。
しかし同計画は、実際にはJR和歌山駅から南海和歌山市駅までの長さ約3キロ[16]、ぶらくり丁周辺や和歌山城を含む合計186haの広範な市街地を対象としており[27]3キロは大阪の梅田‐心斎橋間、東京の東京駅‐御徒町間、名古屋の金山‐栄間におおむね相当する。
2012年(平成24年)3月末[16]に和歌山駅から徒歩約5分のけやき大通り沿いの倉庫跡に[49]フォルテワジマの6億円(国3億円、市2億円、県1億円)[30]を上回る約10億円の補助金(国6億円、和歌山県・和歌山市が各2億円)[50]を含む約36億円を投じたホテルとマンション、商業施設からなる[50]複合施設「けやきガーデン」[16]の建設- 和歌山駅前での毎月第3土曜日に「わぁーと!手づくり市場」の開催[33]
2010年(平成22年)9月7日に[26]開設された中心市街地にある空き店舗などの不動産を登録して紹介する不動産案内所[26]の和歌山駅前への設置[33]
などぶらくり丁と競合する和歌山駅前への投資も多く、ほかにも
- 「市民茶会」や「竹燈夜」、「食祭 WAKAYAMA2010」などの和歌山城を中心に実施された観光誘客事業[16]
- 和歌山市駅前広場で2009年(平成21年)10月14日から開かれている和歌山市駅前中央商栄会主催の「市駅前朝市」[16]
などぶらくり丁と関係のない事業も多く含まれている。
和歌山市中心市街地活性化基本計画の効果と課題
和歌山駅と和歌山市駅は距離が離れているため、回遊してもらうには「城まちハッピーロード」を貫く公共交通軸の抜本的改善策やレンタサイクル等の整備[51]が必要、との指摘に対して、2010年(平成22年)にレンタサイクルの整備[16]や中心市街地内各主要施設と連携したバスの1日乗車券「城まち1日周遊切符」の発行[27]はされたものの、公共交通網の改善は特に大きな対策は採られていない。また、和歌山市では日常の移動手段として車・バイク・自転車を利用することが多い現状を踏まえ、核となる集客施設から半径300m以内への無料の大型駐車場の設置により、駐車場に停めてその周辺を徒歩でのんびり歩き回れるような整備が必要[51]との指摘もあるが、計画に盛り込まれていないなど、中心市街地活性化基本計画ではハード面の整備はあまり行われず、ソフト面が中心の活性化策となっている。このため、イベント時は来街者が大幅に増加するものの、その効果は一時的なものに留まっている[6]。中核的な施設であるフォルテワジマも、和歌山商工会議所の調査でフォルテワジマ南側の通行量は2010年(平成22年)には休日は3550人と2003年(平成15年)に比べ1165人増、平日は3381人と2003年(平成15年)に比べ492人増[52]となるなど現在でも一定の集客効果が見られるものの、2004年(平成16年)12月に郊外に10スクリーンと大型駐車場を備えたシネマコンプレックスが開業した影響で2005年(平成17年)8月末映画館すべてがなくなり[10]、2009年(平成21年)10月11日には家電販売店も閉店[21]するなど「集客機能・パワーが10年前と比べて著しく低下している」ため、同調査でぶらくり丁周辺11カ所の通行量は2010年(平成22年)には平日が2000年(平成12年)の40.3%減の2万6879人、休日は66.1%減の2万4873人と大きく落ち込んでいて[52]、活性化計画の効果が実感できない[48]と指摘されている。和歌山市の平成23年度市政世論調査でも「中心市街地の活気」についての不満率が66.4%と最も不満度が高い項目となり[53]、自由記述の回答で「ぶらくり丁や近鉄周辺の商業地域がもっと活性化するために、何か魅力的な対策を考えてほしい」との意見が見られる[53]など「市に限らず、ぶらくり丁に良くなって欲しいとの声は全県的」[23]との意見もある。しかし、「中心市街地活性化策を市民は本当に望んでいるのか」について議論する場を持つことが先決とぶらくり丁活性化・再生研究会の調査報告書で指摘される[52]ほど「集客機能・パワーが10年前と比べて著しく低下している」[52]状況に陥っており、回遊性を示す休日の通行量は2.3倍に増やす目標に対して、実際は横ばい程度にとどまりそう[16]で集客効果は上がっていない[13]とされ、尼崎市や大津市などと同様に成功しているとは言えないとされている[16]。
こうした状況になっている要因として、事業改善の個別相談を希望する商店主が6人に留まり、60歳代が大半を占める商店主のうち5割近くが「後継者がいない」と答えるなど「事業者の商業再生の意欲不足と危機意識の低さ」が和歌山地域経済研究機構の「ぶらくり丁活性化・再生研究会報告書」で指摘され[23]、市民からも商店街の自助努力不足を指摘され[14]、ぶらくり丁活性化・再生研究会の調査報告書でも「地権者を含む商店経営者の自己再生の努力がまず先行しなければならない。」と地元商店主達の奮起が促されている[52]。一方で、商店街が衰退する根本原因は社会や都市の構造的なもので商店主のがんばりだけでは問題は解決しない[14]との意見もある。また、ぶらくり丁活性化・再生研究会の調査報告書で「不特定多数の人々が集まる公共的な大規模施設を誘致するなど都市機能の再拡充が必要だ」と指摘する[52]ように、郊外に対する投資を抑制してでも中心市街地に公共投資を行って中心市街地に誘導しようというコンパクトシティ建設へ政策転換をすべきという意見はあるものの、和歌山市は郊外から中心市街地に投資をシフトするという明確な表明は行っていない[14]。実際の和歌山市の施策には、これとは逆の郊外開発推進の動きも見られる。和歌山市中心市街地活性化基本計画の認定直前の2007年(平成19年)8月24日、黒潮市場やポルトヨーロッパに付随する観光商業施設として一体的に整備するためとして、市の南にある和歌山マリーナシティの商業施設に隣接する駐車場を第1種住居地域から商業地域に用途変更している[34]。郊外のふじと台に浮上しているイオンモール出店についても、2009年(平成21年)5月18日の大橋建一和歌山市長の定例記者会見で「イオンが出店をしても中心市街地の空洞化に繋がらない」としており[28]、その発言に反発した和歌山市中心市街地活性化協議会から8月10日付けで和歌山市長宛てに提出された意見書で「大型商業施設の進出が中心市街地の空洞化にはつながらないという市長の発言について、単なる希望的観測ではなく、波及効果のシミュレーション等、その具体的な根拠を明示されたい」と質問されたのに対して、同月25日に開かれた第11回の同協議会で市側が「出店規模、店舗形態等が分からない為、波及効果のシミュレーション等については行っておりません」が「他都市の傾向では大規模集客施設の出店による既存商店街等に及ぼす影響はプラス面よりもマイナス面の方が大きい」「中心市街地の商業面へのマイナス影響はあると予測できます」としながらも、「本市だけの大規模集客施設の立地制限だけで、隣接する自治体の同一歩調がなければ実質的に意味のある制限とはならず、消費の市外流出だけが大きくなり、商業機能の衰退に歯止めがかからないと予測されます」と回答し[28]、2009年(平成21年)9月14日の和歌山市議会で市長が「中心市街地としては独自の魅力や付加価値を高め、限られたパイを奪うのではなく、連携とすみわけに基づいた商業振興を図りたい。市全体の集客力が高まれば消費の市外流出に歯止めがかけられる」としてイオンモールについて前向きな発言をする[54]など、和歌山市中心市街地活性化基本計画の策定後に次々と郊外への大型商業施設開業容認の方向が打ち出されている[34]。「まちづくりの中で商業主体の適正配置は可能なのか」というついて議論する場を持つことが先決とぶらくり丁活性化・再生研究会の調査報告書で指摘される[52]など、和歌山市の政策で中心市街地優先策があやふやなものとなっていることや合意が形成されていないことも要因と見られている。長浜市の黒壁、長野県の小布施町、東京の代官山の様な美しい街並みによる界隈の形成を行うことが成功の鍵との意見もある[14]。
和歌山市中心市街地活性化基本計画終了後の動き
和歌山市中心市街地活性化基本計画は2007年(平成19年)8月から2012年(平成24年)3月までに和歌山市は24億4800万円(11年度は予算額)を投じて終了した[13]が、各種イベントを定期的、かつ継続的に実施することで徐々に定着させ、その結果自然と人々の足の向かう楽しい商店街として、来街者の増加を目指す[6]として中心街の将来構想を検討するなど、集客力の回復に向けた対策を継続している[16]。
その一環で2012年(平成24年)5月5日には北ぶらくり丁商店街で[55]手作りアクセサリーや陶器、革小物、洋服、洋菓子など約25のブースが約150mに渡って出店し販売やワークショップを行なうイベント「マルシェ・ド・プティパ」[56]が開かれ[55]、「工房の町」というような個性を持った街作りを目指そうとする[56]ような新たな動きも見られる。
公営ギャンブル施設設置を巡る賛否両派の攻防
2004年(平成16年)にビブレ跡に[57]場外舟券売り場が計画されたが、ビル解体撤去の決定をうけて[58]2007年(平成19年)3月に計画が頓挫し実現しなかった[59]。一方で、2007年(平成19年)8月に計画が明らかにされた[58]ドン・キホーテ北側[60]の元タクシー会社駐車場跡に場外舟券売り場を作るという計画があり、こちらは2009年(平成21年)4月9日に和歌山市長宛に設置に関する同意願と事業計画書の概要が提出されたが[58]、「町が活性化するために何かが必要だ」[58]、「町内に、にぎわいを取り戻すために必要だ」[61]との推進派の考えもあり、ぶらくり丁大通り商店街が設置に賛成した[57]。2008年(平成20年)には、計画に対して設置の前提条件である「設置場所が含まれる単位自治会」にあたる本町地区第11区が一旦は市長に推進の要望書を出したが[61]、本町36地区のうち27地区の自治会が市長に反対決議を提出し[61]、2008年(平成20年)6月に「要望書を取り下げ再度検討する方向」と発表[61]、逆に反対派が市議会に提出した設置反対の請願書が2009年(平成21年)7月9日に市議会で可決され、事実上計画は頓挫した[62]。
このほか、2011年(平成23年)には新たに場外馬券売り場設置計画が浮上したが、これに対して9月27日に市長宛てに反対の要望書、12月2日に市議会議長に設置反対に関する要望書が提出される[63]など、公営ギャンブル施設設置を巡る賛否両派の攻防が続いたものの、兵庫県競馬組合の[64]場外馬券売り場「DASH和歌山」が2014年(平成26年)10月22日に開設された[65]。
歓楽街としてのぶらくり丁
ぶらくり丁は歓楽街としても繁栄していた。「以前は歩けば互いの肩がぶつかるぐらいにごったがえし」[66]たという賑わいは古都清乃の「和歌山ブルース」[9]という歌にもとりあげられておりぶらくり丁近くには記念碑も設置されている。しかしぶらくり丁自体が衰退するにつれて、歓楽街もかつて程の活気はなくなっている[66]。
脚注
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外部リンク
- 和歌山ぶらくり商店街HP(和歌山市中央商店街連合会が運営する公式サイト。)
BURAKURI.COM(株式会社ぶらくり会社)