メソポタミア
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メソポタミア(ギリシャ語: Μεσοποταμία、ラテン文字転写: Mesopotamia、ギリシャ語で「複数の河の間」)は、チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野である。現在のイラクの一部にあたる。
古代メソポタミア文明は、メソポタミアに生まれた複数の文明を総称する呼び名で、世界最古の文明であるとされてきた。文明初期の中心となったのは民族系統が不明のシュメール人である。
地域的に、北部がアッシリア、南部がバビロニアで、バビロニアのうち北部バビロニアがアッカド、下流地域の南部バビロニアがシュメールとさらに分けられる。南部の下流域であるシュメールから、上流の北部に向かって文明が広がっていった。土地が非常に肥沃で、数々の勢力の基盤となったが、森林伐採の過多などで、上流の塩気の強い土が流れてくるようになり、農地として使えない砂漠化が起きた。
古代メソポタミアは、多くの民族の興亡の歴史である。 例えば、シュメール、バビロニア(首都バビロン)、アッシリア、アッカド(ムロデ王国の四つの都市のひとつ)、ヒッタイト、ミタンニ、エラム、古代ペルシャ人の国々があった。古代メソポタミア文明は、紀元前4世紀、アレクサンドロス3世(大王)の遠征によってその終息をむかえヘレニズムの世界の一部となる。
目次
1 特徴
1.1 暦
1.2 言語
1.3 経済
2 メソポタミアの歴史
2.1 先史時代
2.2 シュメール文明
2.3 バビロニア
2.4 ヒッタイト
2.5 アッシリア
2.6 4帝国時代
2.7 ペルシャ
2.8 ローマ属州時期
2.9 パルティア
2.10 サーサーン朝
2.11 イスラーム帝国
2.12 モンゴル帝国
2.13 オスマン帝国
2.14 イギリス委任統治領
3 メソポタミアの神々
4 その他
4.1 アルコール飲料
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
特徴
チグリス・ユーフラテス両河は水源地帯の雪解けにより定期的に増水するため、運河を整備することで豊かな農業収穫が得られた。初期の開拓地や文化から始まり、エジプトなどよりも早く農業が行われた地域として知られている。紀元前3500年前ごろにメソポタミア文明がつくられた。
ジッグラトと呼ばれる階段型ピラミッド(聖塔といわれているが詳細は不明)を中心に、巨大な都市国家を展開した。また、農耕の面でも肥沃な大地・整備された灌漑施設・高度な農耕器具により単位面積当たりの収穫量は現代と比較しても見劣りしなかったという。さらに、旧約聖書との関連も指摘されており、始祖アブラハムはメソポタミアの都市ウルの出自とされている。エデンの園はメソポタミアの都市を、バベルの塔はジッグラトを、ノアの洪水は当地で突発的に起こる洪水を元にした逸話との説がある。
暦
暦は太陰太陽暦を用い、暦と共に占星術(天文学の雛形)も発達し、「カルデア人の智恵」と呼ばれた(カルデアはメソポタミア地域の別名)。六十進法もメソポタミアで生まれたものであり、現在の時間の単位に用いられている。また、金属の鍛錬も知っていたとされている。一週間を七日(七曜)にしたのも彼らといわれるが、六十分法は十までの数の中で素数の七だけが一を割り切れないので、これは六十進法にそぐわない。
言語
文字は象形文字を発展させた楔形文字を創始し、後世の西アジア諸国のさまざまな言語を表すのに利用され、記録媒体は粘土板が用いられた。楔形文字によって書かれたものとしてはハンムラビ法典がよく知られている。ミタンニのアッカド語は外交用語として用いられ、エジプト第18王朝の外交文書(アマルナ文書)に、その言葉で書き記されたものが残っている。各都市には学校が設立され、文書を扱うための書記が養成されたが、識字能力は彼らの特殊技能であり、一般市民のほとんどは文字の読み書きができなかった。これは王侯貴族においても同様であり、稀に識字能力を持った王が現れた場合、その王の記録にはそのことが高らかにうたわれることがあった[1]。
経済
メソポタミアは土地は肥沃であったものの資源が非常に少なく、金属資源や木材・石材といった基本的な資源さえ不足していたため、周辺地域との交易によって資源を確保することは不可欠であった。貿易の交易範囲は広大で、エジプト文明やインダス文明と交易があったことも推測される。シュメールやバビロニアでは食物をはじめとする必需品を貯蔵して宮殿や都市の門において分配し、バザールで手工業品の販売を行なった[2]。タムカルムと呼ばれる身分型の交易者が存在し、仲買人、代理人、競売人、保管人、銀行家、仲裁人、旅商人、奴隷取締官、徴税吏などを担当した。バビロニアにおいては対外市場は存在しなかったため、キュロス2世は、ギリシア人の市場制度を理解せず、非難した。また、ハンムラビ法典には、損害賠償、負債取り消し、報酬、等価概念についての記述がある。
メソポタミアの歴史
先史時代
新石器時代の開拓地。例:ジャルモ
テル・アブ・フレイラは、シリア北東部のハサカ県にある新石器時代の考古遺跡。トルコとの国境付近にあり、国境の反対側はシャンルウルファ県にあたる。この遺跡からは、幾何学模様や動物模様の描かれた、釉薬の塗られた陶器が見つかっており、こうした特徴のある新石器文化はテル・ハラフの名をとってハラフ文化(Halafian culture、ハラフィアン文化)と呼ばれるようになった。
イェリコは、死海の北西部にある町。古代オリエントの中でも古い町で、紀元前8000年紀には周囲を壁で囲った集落が出現した。世界最古の町と評されることもある。また世界で最も標高の低い町でもある。- ハッスーナ期
ハラフ期(またはハラフィナ期)は、紀元前6000年から紀元前5500年頃に北メソポタミア・シリア・アナトリアなど「肥沃な三日月地帯」で始まった有土器新石器時代(Pottery Neolithic)の文化で、テル・ハラフ遺跡も概ねこの時期(紀元前6000年から紀元前5300年頃、「ハラフ期」)に栄えており、この間に大きな中断の時期はない。メソポタミア北部のハラフ文化は、紀元前5000年頃にメソポタミア南部から広がったウバイド文化に継承された。
サーマッラー期(またはサマラン期)
シュメール文明
紀元前6500年頃にはいくつかの集落が発達していた。
紀元前5300年頃にウバイド期、例:エリドゥ
紀元前4000年頃にウルク期、都市ウルクにより名前がつけられた。
紀元前3200年頃にウルク古拙文字が発明された[3]。
紀元前3100年頃に南部でシュメール人の都市国家が発達しはじめる。
紀元前2700年頃までにウル、ウルク、ラガシュなどの多数の都市国家を形成した。- そのほか彩文土器や青銅器などを作った。暦は月の満ち欠けに基づく日付が使用された。
- 都市国家間の戦争が絶えることなく、シュメール人の都市国家は衰退していった。
紀元前2350年頃、アッカド王サルゴンがメソポタミアを最初に統一して中央集権国家のアッカド帝国を作ったが、後に衰退した。
紀元前2100年頃、ウル第三王朝がウル・ナンムによって建てられメソポタミアを支配した。
これらの時代の頃の都市や、開拓の場所:
ラガシュ:現代のイラク南部に存在する。現代名はテル・アル・ヒバ。
ウル:現在のイラク領ジーカール県ナーシリーヤ近郊にあり、人が居住を始めたのは紀元前5千年紀半ばである。
ニップル:遺跡はバグダードの南東約160キロの位置にあり、紀元前6千年紀頃から居住が始まった。
バビロニア
イシン・ラルサ時代(紀元前2004年-紀元前1750年)
紀元前1900年頃にはセム人系のアムル人が巨大都市バビロンを都として古バビロニア王国(バビロン第1王朝)を始めた。
紀元前1700年頃、古バビロニア王国、第6代のハンムラビ王(紀元前1729年-紀元前1686年)が30年間にわたる戦争の後にメソポタミアを征服した。ハンムラビ法典(ハムラビ法典。「目には目を、歯には歯を」の復讐法が有名)は彼によって作られた。
ヒッタイト
紀元前1595年頃、現在のトルコにあったヒッタイト帝国により古バビロニア帝国は滅ばされる。
紀元前14世紀中頃、アッシリア帝国が独立する。アッシリアは、メソポタミアのバビロニアより上流の地方で、バビロニアとは異なった民族で、セム人系の民族である。
紀元前1200年頃、突然ヒッタイト帝国は滅亡。ヒッタイトの滅亡の原因については、「海の民」によって滅ぼされたとする説と、国内の内紛が深刻な食糧難などを招き滅亡に繋がったとする説があるが、記録が乏しいため決定的な原因は明かされていない。
アッシリア
紀元前13世紀、アッシリア帝国がバビロンを占領。
紀元前11世紀、ヒッタイトの衰退に伴いアッシリア帝国が勢力を広げる。馬や戦車、鉄器を使用した。軍隊の維持は現地での掠奪によるため、残虐行為によって恐れられた。
紀元前745年即位したティグラト・ピレセル3世の時代にアッシリア帝国はメソポタミア全域とシリア、パレスチナを支配した。
紀元前722年、アッシリア帝国によりイスラエル王国(分裂後の北王国)が滅ぼされた。
紀元前671年、アッシリア帝国によりエジプトが支配され、アッシリア帝国はオリエント地域全体を支配する大帝国になった。
紀元前612年、新バビロニアとメディアの反撃により、アッシリア帝国の首都ニネヴェが陥落して破壊される。
紀元前609年、アッシリア帝国の滅亡。4帝国時代を迎える(70年間)。イラン高原のメディア、メソポタミアの新バビロニア、小アジアのリディア、エジプト第26王朝。
4帝国時代
紀元前593年、ユダヤ人のユダ王国(南王国)の侵略に対し新バビロニアは反撃する。王族は捕えられてバビロンに送られる。
紀元前586年、ユダ王国が再び反乱を起こしたがバビロニアに鎮圧され、捕囚の身となって新バビロニアのニップール付近に強制移住させられた「バビロン捕囚」(紀元前538年まで)。
ペルシャ
紀元前539年、ペルシャ帝国(アケメネス朝)がオリエント全域を支配。
紀元前5世紀初め、太陰太陽暦は天文学の発達によりメトン周期に到達。
ローマ属州時期
116年、トライアヌスが率いるローマ帝国軍は、メソポタミアを支配していたパルティアへ侵入し占領するが、翌年トライアヌスが死去(117年)すると、後継皇帝ハドリアヌスは翌118年にメソポタミアから撤退した。
パルティア
118年以後、再びパルティアの支配下に戻る。
サーサーン朝
224年、アルダシール1世がエリマイス王国を破る。
226年、ホルミズダガンの戦いでアルダシール1世がパルティア王アルタバヌス4世を破り、サーサーン朝が成立した。
558年、突厥の室点蜜と同盟してエフタルを滅亡させた。
569年、ビザンチン帝国と西突厥が同盟し、ビザンチン・サーサーン戦争 (572年-591年)と第一次ペルソ・テュルク戦争の二正面戦争を仕掛けられ敗退した。
イスラーム帝国
モンゴル帝国
オスマン帝国
イギリス委任統治領
メソポタミアの神々
多神教であったが、時代の支配民族によって、最高神は変わっていった。
アンシャル - 天国の父
アヌ - 最も高い天国の神
アプスー - 神々と地下世界の海の支配者
アシュル - アッシリアの国神
ダムキナ - 地球の母なる女神
エア - 知恵の神
エンリル - 天候と嵐の神
エヌルタ - 戦争の神
ハダド - 天候の神
イシュタル - 愛の女神
キングー - ティアマトの夫
キシャル - 地を司る女神(アンシャルの妻にして妹)
マルドゥク - バビロニア人の国神
ムンム - 霧の神
ナブー - 書記の守護神
ニンツ - 全ての神々の母
シャマシュ - 太陽と正義の神
スィン - 月の神
ティアマト - 原初の女神
ラフム アプスーとティアマトの子。ラハムの夫。アンシャルとキシャルの父。
ラハム アプスーとティアマトの娘。ラフムの妻。アンシャルとキシャルの母。
その他
- 車輪は最古の最重要な発明とされているが、その起源は古代メソポタミアで紀元前5千年紀(ウバイド期)にさかのぼる
星占術、暦法の研究。アッシリアの暦はユダヤ暦の基礎。
アルコール飲料
ワインやビールはメソポタミアでシュメール人により作られ、後にシリアや周辺地域へ広まった。シュメール文明の遺跡から発掘された粘土板では「ワイン」や「ビール」を指す単語がシュメール楔形文字ではなく、違う系統の文字が使われていた例が存在する。
- ワインは高級な部類で、一般市民はビールを飲んでいた。
- ワインやビールのサービスや商売をするのは女性だった。
- ハンムラビ法典では、酒の量をごまかしたら死刑になる。
脚注
^ 小林登志子 『シュメル 人類最古の文明』p200-203 中央公論新社〈中公新書〉、2005年10月25日発行
^ ポランニー 『人間の経済2』第10章
^ 楔形文字は紀元前2500年頃に成立した。
参考文献
カール・ポランニー 『人間の経済1』 玉野井芳郎・栗本慎一郎訳 / 『人間の経済2』 玉野井芳郎・中野忠訳、岩波書店〈岩波モダンクラシックス〉、2005年。
関連項目
- 中東
イラク、イラクの歴史
- レバント
- ギルガメシュ叙事詩
メソポタミア地方 - アルゼンチンの地方名- 古代イスラエル
- トルコ
- カフカス
ペルシア、イラン
アラビア、アラブ
- エジプト
外部リンク
古代近東の歴史(英文)
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