下益城郡
下益城郡(しもましきぐん)は、熊本県(肥後国)の郡。
人口9,578人、面積144km²、人口密度66.5人/km²。(2018年10月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
美里町(みさとまち)
目次
1 郡域
2 歴史
2.1 近世以降の沿革
2.2 町村制以降の沿革
2.3 変遷表
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1村のほか、下記の区域にあたる。
熊本市
南区の一部(城南町各町および富合町小岩瀬を除く富合町各町)
宇城市の一部(松橋町各町・小川町各町・豊野町各町)
歴史
江戸時代に益城郡が上益城郡・下益城郡に分割されて成立。
近世以降の沿革
明治初年時点では全域が肥後熊本藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り。(1町185村)
- 大町村、釈迦堂村、高村、蓍町村、坂本村、築地村、出水村、吉野村、今村(現・熊本市)、赤見村[1]、丹生宮村、永村[2]、千原村、平野村、碇村[3]、廻江村、清藤村、志々水村、古閑村(現・熊本市)、西田尻村、北田尻村、三拾町村[4]、三十町中野村[5]、南田尻村、新村、平原村、本札村、阿高村、東阿高村、尾窪村、西塚原村、塚原村、藤山村、鰐瀬村、土鹿野村、陳内村、沈目村、上宮地村、中宮地村、下宮地村、隈庄村、六田村、島田村、西木村、木原村、西木原村、榎津村、東小川村、北小川村、小川町[6]、西小川村、江頭村、河江村、上小野村、中小野村、北小野村、竹崎村、内田村、浦川内村、南萩尾村、北萩尾村、南古保山村、北古保山村、曲野村、松橋村、大野村、久具村、下郷村、下中間村、中間村(現・宇城市松橋町)、豊福村、東海東村、南海東村、北海東村、西海東村、南小川村、南新田村、上江頭村、北新田村、南部田村、北部田村、南小野村、堅志田村、大沢水村、池田村、高木村、上神園村、下神園村、岩下村、萱野村、馬場村、出目村、中小路村、糸石村、巣林村、下江村、中間村(現・宇城市豊野町)、上江村、下上江村、原田村、津留村、白石野村、小市野村、木早河内村、野中村、中村、松野原村、椿村、下草野村、石原村、小岩野村、長尾野村、大岩野村、小莚村、佐俣村、今村(現・美里町)、坂貫村、小田尾村、九尾村、払川村、坂本村、下安見村、上安見村、山崎村、長野村、常海原村、北村、栗崎村、柑子野村、古閑村(現・美里町)、名越谷村、下田村、田中村、岩尾野村、小長野村、小夏村、原町村、土喰村、早楠村、安懸村、越早津村、一谷村、津留村、御前浜村、河原畠村、舞鹿野村、大窪村、目磨村、九折原村、口原村、久立村、内山村、桑木野村、石野村、柏川村、藤木村、夏水村、山出村、戸屋村、下福良村、天ヶ瀬村、桑津留村、福良村、甲佐平村、貫平村、小崎村、用来村、峙原村、庵室村、竹迫村、内園村、迫村、水上村、金木村、岩上村、興正寺村、権正村、北野村、勢井村、大辻村、越早村、硴江村、杉島村[7]、国町村、菰江村、莎崎村[8]
- 明治初年 - 干拓地に豊崎村・南豊崎村・東松崎村・御船村・砂川村・浅川村・川尻村・住吉村・新田村・新田出村が起立。(1町195村)
- 明治4年
7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により熊本県(第1次)の管轄となる。
11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により八代県の管轄となる。
- 明治6年(1873年)1月15日 - 白川県の管轄となる。
- 明治7年(1874年)(1町183村)
- 西田尻村・北田尻村が合併して田尻村となる。
- 下安見村・上安見村が合併して安見村となる。
- 三十町中野村が三拾町村に、清藤村が廻江村に、本札村が榎津村に、西塚原村が塚原村に、西木村が島田村に、西木原村が木原村に、上小野村が中小野村に、下中間村が中間村(現・宇城市松橋町)に、上江頭村が江頭村に、古閑村(現・熊本市)が志々水村にそれぞれ合併。
- 明治8年(1875年)
12月10日 - 熊本県(第2次)の管轄となる。- 尾窪村が藤山村に、土鹿野村が鰐瀬村にそれぞれ合併。(1町181村)
- 明治9年(1876年) - 以下の各村の統合が行われる。(1町131村)
- 千町村 ← 蓍町村、千原村
- 今吉野村 ← 吉野村、今村(現・熊本市)
- 坂野村 ← 平野村、坂本村
- 宮地村 ← 上宮地村、中宮地村
- 萩尾村 ← 南萩尾村、北萩尾村
- 古保山村 ← 南古保山村、北古保山村
- 中郡村 ← 池田村、高木村、上神園村、下神園村
- 岩野村 ← 石原村、小岩野村、大岩野村、九尾村
- 三和村 ← 長野村、常海原村、北村
- 三加村 ← 下田村、田中村、岩尾野村
- 二和田村 ← 小長野村、小夏村
- 安部村 ← 安懸村、口原村、久立村
- 永富村 ← 越早津村、一谷村、津留村、御前浜村、河原畠村、舞鹿野村
- 境村 ← 目磨村、九折原村
- 清水村 ← 内山村、桑木野村
- 洞岳村 ← 藤木村、夏水村、山出村、戸屋村、下福良村、天ヶ瀬村
- 豊富村 ← 桑津留村、福良村
- 川越村 ← 貫平村、小崎村、用来村
- 涌井村 ← 峙原村、庵室村、竹迫村
- 畝野村 ← 内園村、迫村、水上村、金木村
- 遠野村 ← 岩上村、興正寺村、権正村、北野村
- 大井早村 ← 勢井村、大辻村、越早村
- 西小川村が北小川村に、出目村が馬場村に、下上江村が上江村に、野中村が木早河内村に、小田尾村が坂貫村に、柑子野村が栗崎村にそれぞれ合併。
- 明治10年(1887年)
- 中間村(現・宇城市松橋町)が改称して両仲間村となる。
- 下郷村が下江村との区別のために改称して西下郷村となる。
- 明治12年(1889年)(1町127村)
1月20日 - 郡区町村編制法の熊本県での施行により、行政区画としての下益城郡が発足。「宇土下益城郡役所」が宇土郡宇土町に設置され、同郡とともに管轄。- 川尻村・住吉村・新田村・新田出村が南新田村に合併。
- 北小川村が改称して西北小川村となる。
- 明治14年(1881年) - 飽田郡小岩瀬村の所属郡が本郡に変更。(1町128村)
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(3町15村)
松橋町(松橋村が単独町制。現・宇城市)
海東村 ← 西海東村、北海東村、南海東村、東海東村(現・宇城市)
中山村 ← 馬場村、大沢水村、小市野村、萱野村、津留村、中小路村、松野原村、原田村、中郡村、白石野村、堅志田村、木早河内村、岩下村(現・美里町)
豊野村 ← 糸石村、上江村、安見村、中間村、巣林村、下江村、山崎村(現・宇城市)
年祢村 ← 岩野村、中村、下草野村、佐俣村、椿村、長尾野村、今村、払川村、小莚村、坂貫村、坂本村(現・美里町)
守富村 ← 榎津村、志々水村、平原村、田尻村、廻江村、南田尻村、新村、三拾町村、木原村(現・熊本市)
東砥用村 ← 遠野村、川越村、洞岳村、大井早村、畝野村、豊富村、甲佐平村、涌井村(現・美里町)
西砥用村 ← 永富村、古閑村、名越谷村、三加村、境村、大窪村、原町村、早楠村、二和田村、清水村、安部村、土喰村、栗崎村、三和村、石野村、柏川村(現・美里町)
小川町 ← 小川町、西北小川村、南小川村、東小川村(現・宇城市)
河江村 ← 河江村、南新田村、北新田村、江頭村(現・宇城市)
小野部田村 ← 南小野村、北小野村、北部田村、南部田村、中小野村(現・宇城市)
隈庄町 ← 隈庄村、宮地村、下宮地村、島田村、六田村(現・熊本市)
当尾村 ← 古保山村、曲野村、久具村、大野村、萩尾村、浦川内村(現・宇城市)
豊福村 ← 豊福村、内田村、両仲間村、竹崎村、西下郷村(現・宇城市)
豊川村 ← 豊崎村、南豊崎村、東松崎村、御舟村、砂川村、浅川村(現・宇城市)
杉上村 ← 千町村、今吉野村、碇村、坂野村、永村、高村、出水村、丹生宮村、赤見村、築地村(現・熊本市)
杉合村 ← 杉島村、大町村、莎崎村、釈迦堂村、硴江村、菰江村、小岩瀬村、国町村(現・熊本市)
豊田村 ← 塚原村、鰐瀬村、沈目村、東阿高村、陳内村、藤山村、阿高村(現・熊本市)
- 明治29年(1896年)6月1日 - 郡制を施行。郡役所が松橋町に設置。
大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。- 大正13年(1924年)4月1日 - 西砥用村が町制施行して砥用町となる。(4町14村)
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
昭和29年(1954年)12月1日 - 豊福村・豊川村・当尾村が松橋町に編入。(4町11村)- 昭和30年(1955年)
1月1日 - 中山村・年禰村が合併して中央村が発足。(4町10村)
3月1日 - 杉上村・隈庄町・豊田村が合併して城南町が発足。(4町8村)- 4月1日(4町5村)
- 河江村・小野部田村が合併して益南村が発足。
- 守富村・杉合村が合併して富合村が発足。
- 砥用町・東砥用村が合併し、改めて砥用町が発足。
7月10日 - 中央村の一部(今・坂貫・下草野および岩野の一部[9])が砥用町に編入。
- 昭和33年(1958年)3月31日 - 小川町・益南村・海東村が合併し、改めて小川町が発足。(4町3村)
- 昭和46年(1971年)8月1日 - 富合村が町制施行して富合町となる。(5町2村)
- 昭和50年(1975年)1月1日 - 中央村が町制施行して中央町となる。(6町1村)
平成2年(1990年)3月1日 - 松橋町と豊野村が境界変更。- 平成12年(2000年)7月1日 - 豊野村が町制施行して豊野町となる。(7町)
- 平成16年(2004年)11月1日 - 中央町・砥用町が合併して美里町が発足。(6町)
- 平成17年(2005年)1月15日 - 松橋町・小川町・豊野町が宇土郡三角町・不知火町と合併して宇城市が発足し、郡より離脱。(3町)
- 平成20年(2008年)10月6日 - 富合町が熊本市に編入。(2町)
- 平成22年(2010年)3月23日 - 城南町が熊本市に編入。(1町)
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和63年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
松橋町 | 松橋町 | 昭和29年12月1日 松橋町 | 松橋町 | 松橋町 | 平成17年1月15日 宇城市の一部 | 宇城市 | ||
当尾村 | 当尾村 | |||||||
豊福村 | 豊福村 | |||||||
豊川村 | 豊川村 | |||||||
小川町 | 小川町 | 小川町 | 小川町 | 昭和33年3月31日 小川町 | 小川町 | |||
海東村 | 海東村 | 海東村 | 海東村 | |||||
河江村 | 河江村 | 河江村 | 昭和30年4月1日 益南村 | |||||
小野部田村 | 小野部田村 | 小野部田村 | ||||||
豊野村 | 豊野村 | 豊野村 | 豊野村 | 平成12年7月1日 町制 | ||||
守富村 | 守富村 | 守富村 | 昭和30年4月1日 富合村 | 昭和46年8月1日 町制 | 富合町 | 平成20年10月6日 熊本市に編入 | 熊本市 | |
杉合村 | 杉合村 | 杉合村 | ||||||
隈庄町 | 隈庄町 | 隈庄町 | 昭和30年3月1日 城南町 | 城南町 | 平成22年3月23日 熊本市に編入 | |||
杉上村 | 杉上村 | 杉上村 | ||||||
豊田村 | 豊田村 | 豊田村 | ||||||
西砥用村 | 大正13年4月1日 町制改称 砥用町 | 砥用町 | 昭和30年4月1日 砥用町 | 平成16年11月1日 美里町 | 美里町 | |||
東砥用村 | 東砥用村 | 東砥用村 | ||||||
中山村 | 中山村 | 中山村 | 昭和30年1月1日 中央村 | 昭和50年9月1日 町制 | ||||
年禰村 | 年禰村 | 年禰村 |
脚注
^ 上赤見村・下赤見村に分かれて記載。
^ 北長村・南長村に分かれて記載。
^ 上碇村・下碇村に分かれて記載。
^ 記載は卅町村。
^ 記載は卅町中野村。
^ 記載は小川村。
^ 杉島村・上杉島村に分かれて記載。
^ 莎崎村・下莎崎村に分かれて記載。
^ 字長田・大谷・加倉・前畑・前平・津加峰・野中・竹の谷。
参考文献
角川日本地名大辞典 43 熊本県- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
- 益城郡
- 上益城郡
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