未確認飛行物体
未確認飛行物体(みかくにん ひこうぶったい、英: unidentified flying object、UFO)とは、その名の通り、何であるか確認されていない(正体不明の)飛行する物体のこと[1]。
その正体は航空機など既知の人工物体、遠方のサーチライトや自然物(天体・雲・鳥など)の誤認も含まれうるが、略称のUFOは「エイリアンクラフト」(宇宙人などの乗り物)という意味で使われることが多い[2]。
目次
1 概要
2 UFOという呼称
3 研究
4 UFOの分類
4.1 UFOの型
4.2 アレン・ハイネックによる分類
5 代表的な目撃例とされた事件
5.1 第一種接近遭遇(近距離からのUFO目撃例)
5.1.1 フー・ファイター
5.1.2 ケネス・アーノルド事件
5.1.3 イースタン航空事件
5.1.4 パンアメリカン航空事件
5.1.5 BOAC機事件
5.1.6 介良事件
5.1.7 ポルトガル空軍機による遭遇事件
5.1.8 日航ジャンボ機UFO遭遇事件
5.2 RV(レーダーと目視によるUFO目撃例)
5.2.1 フォートマンモスの目撃例
5.2.2 レイクンヒース事件
5.2.3 テヘランUFO交戦事件
5.2.4 調査船「開洋丸」の遭遇事件
5.2.5 中国空軍UFO追跡事件
5.2.6 エールフランス3532便事件
5.2.7 テキサス州事件
5.3 フラップ(多人数によるUFO目撃)
5.3.1 ロサンゼルス空襲事件
5.3.2 ワシントン事件
5.3.3 1954年ヨーロッパでのフラップ事件
5.3.4 1963年8月のUFOフラップ事件
5.3.5 エクセター事件
5.3.6 ミシガン州・ヒルズデイル大学事件
5.3.7 インゴルシュタット上空の星型物体
5.3.8 1979年 スペインでのUFOフラップ事件
5.3.9 ベルギーUFOウェーブ事件
5.4 第2種接近遭遇(UFOの物理的証拠が残る例)
5.4.1 ファルコン湖事件
5.4.2 キャッシュ-ランドラム事件
5.4.3 トラン=アン=プロヴァンス事件
5.4.4 ナンシー事件
5.5 第3種接近遭遇(UFO搭乗者の目撃例)
5.5.1 9世紀のUFO搭乗事件
5.5.2 ヘマー村事件
5.5.3 エンリケ・ボッタ事件
5.5.4 ラインホルト・シュミット事件
5.5.5 パプアニューギニアでの目撃事件
5.5.6 ソコロUFO事件
5.5.7 ニューハンプシャー事件
5.5.8 甲府事件
5.5.9 ランゲンアルゲン事件
5.6 未分類の事例
5.6.1 ロズウェル事件
5.6.2 フランセス・スワン事件
5.6.3 オハイオ州・軍用ヘリコプター遭遇事件
5.6.4 レンデルシャムの森事件
5.6.5 マンテル大尉事件
5.6.6 ゴーマン少尉事件
5.6.7 トリニダーデ島事件
5.6.8 ヴァルジーニャ事件
5.6.9 メキシコ空軍UFO事件
5.7 アブダクション(第4種接近遭遇)
5.7.1 虚偽記憶説・出生外傷説
5.7.2 ヒル夫妻のアブダクション事件
5.7.3 トラヴィス・ウォルトン&ムーディ軍曹事件
5.7.4 リンダ・ナポリターノ事件
6 UFOについて言及した著名な人物
6.1 元宇宙飛行士
6.2 政府関係者
6.3 軍関係者
6.4 その他
7 UFOの正体についての諸説
7.1 宇宙人の乗り物説
7.2 精神投影説
7.2.1 集合無意識による投影説
7.2.2 歪曲仮説(The Distortion Theory)
7.3 異次元からの飛行物体説
7.4 神秘体験説
7.4.1 臨死体験説
7.5 タイムマシン説
7.6 秘密兵器説
7.7 誤認説
7.8 組織的捏造説
7.9 イタズラ
8 日本においての認識
8.1 一般
8.2 日本国政府の対応と見解
8.3 報告と調査についての現状
9 歴史文献とUFO
9.1 聖書とUFO
10 UFOブーム
11 SFとUFO
12 UFOを題材にした作品
12.1 映画
12.2 ドラマ
12.3 漫画・アニメ
12.4 ゲーム
12.5 小説
12.6 楽曲
13 脚注
14 出典
15 参考文献
16 関連項目
16.1 人名
16.2 異星人関連
16.3 UFO研究団体
17 外部リンク
概要
「未確認飛行物体」は本来、航空・軍事用語であり、当局で把握できていない航空機や観測気球、他国からのミサイルなど様々なものを指す[1]。進路を見失った飛行機、他国の偵察機、さらには仮想敵国の爆撃機やミサイルによる先制攻撃の可能性があり、事故のみならず国家の安全を脅かす危険すらあるためにスクランブル(緊急発進)の対象となる。空軍などの航空交通管制においては、レーダーに捕捉された正体不明の飛行物体に対しては、それが何であるか確認できるまで、警戒態勢を取る緊急の必要がある(特に、レーダー電波を明確に反射する金属製の物は爆撃機やミサイルである可能性がある)。「何かがこちらに向かって飛んでくる」という注意を喚起するために「未確認飛行物体接近」と表現することもあるが、あきらかに航空機である場合は「国籍不明機」と表現することも多い。
逆に正体を確認済みのもの(飛行計画が配信された旅客機や民間貨物機、鳥の集団など)は確認済飛行物体[3]と総称する。必ずしも物体ではなく、自然現象を誤認する場合もあるため、未確認空中現象[4]が用いられることもある。実際に飛行しているところが目撃されなくても、飛行可能と思われるものが着陸していた場合などにも使われる。水中に目撃されたものは未確認潜水物体[5]ということもある。
航空・軍事用語としては上記のような用語ではあるが、一般雑誌やテレビ番組では異星人が乗る飛行物体という意味で使われる場合が多々ある[1]。とりわけ、超常現象を扱う一部のテレビ番組、書籍・雑誌、Webやサイエンスフィクション(SF)作品などでは概ね、地球外文明の宇宙人(エイリアン)が搭乗する宇宙船(エイリアンクラフト)の意味で「UFO」を用いている[6]。また、目撃される代表的な形状から円盤、空飛ぶ円盤がUFOの代名詞的に使われている。超常現象とみなす見解ではこのほか、未来から来た人間のタイムマシンなどとする仮説もある。
したがって、一口に「未確認飛行物体」といっても「航空・軍事用語として用いている」のか「超常現象用語として用いている」のかを区別する必要がある。未確認飛行物体を超常現象として捉える考えはフィクションの題材として用いられており、多数の映画・小説・テレビ番組などが製作・出版・放映されて、興行的成功を収めている(映画『未知との遭遇』など)。ユーフォロジー[7]とは未確認飛行物体を超常現象であるという解釈に基づいて行うUFO研究のことである。航空軍事用語としてのUFO(アメリカ空軍・海軍の公式用語)とは意味が異なるので、はっきりと区別し混同してはならない。
UFO目撃現象の分類として、高々度や宇宙空間での目撃、車が追跡された事件、電気的・機械的な影響を及ぼした事件、人間に心理的・物理的影響を与えた事件、着陸の痕跡を残した事件などがある。奇妙な泡を残して、海中に沈む様子が目撃された例[8]もあれば、その姿形は円盤型であったり三角形型であったりと描写は様々である。UFOと共に搭乗者が目撃されたり、目撃者がUFO搭乗者による誘拐被害(エイリアン・アブダクション)を訴えたりする例もあり、それらは「第3・4種接近遭遇」例とも呼ばれる。
UFOという呼称
「UFO」は「英語: unidentified flying object」の頭文字であり、英語では「ユー・フオー」と読まれている。
ただ、この言葉をアメリカ空軍の公式用語として採用したエドワード・J・ルッペルト大尉は、自著で「ユーフォー」としており(アクロニム)、古くはこの読みも行われていたことがわかる。米国で円盤形の飛行物体を指す場合、通常は「flying saucer」(フライング・ソーサー、空飛ぶ円盤)と表記される。この用語は主として超常現象として扱う文脈で用いられる。
一方、日本では1950年代から1960年代末期までは、未確認飛行物体の形状の違いにかかわらず「空飛ぶ円盤」と総括的に呼称されるのが一般的だった。古くは「ユー・エフ・オー」と読まれていた。例えば日本では1970年に放送されたテレビドラマ『謎の円盤UFO』の日本語版タイトルは「なぞのえんばん ユー・エフ・オー」となっていた。他方、世界の怪異現象やオカルトを興味本位に紹介する特別番組などでは早くから「ユーフォー」の読みで紹介されており、現在の日本では「ユーフォー」の読みが一般的となっている。
アメリカ空軍の公式用語では「UFO」はあくまでも「正体を確認できない飛行物体」を意味する。しかし、超常現象を扱うバラエティ番組や雑誌の影響で、「UFO=異星人の乗り物」というイメージ、「UFO」を宇宙人の乗り物の総称のように扱う用法が一般市民の間に定着した。ただし、もしも仮にあるUFOが異星人の乗り物だということが判明し確認されると、その時点で「未確認」ではなくなるため、その後はそれを「UFO」と呼び続けるのは誤用となる。が、正体不明の飛行体について語られる際には「(異星人による)未知の技術の乗り物であるか、あるいは地球上の既知現象であるか」といった争点が中心になることも多く、UFO研究においても「異星人の乗り物」を意味するために「UFO」という語が便宜的に用いられることも多い。
研究
アメリカ、イギリス、フランスのように「航空・軍事用語としてのUFO」の存在を認め、記録している国は多い。しかし、未確認飛行物体の記録が多数あるということは、その国の防空体制が不完全であることを示し、当該国の政府や軍にとっては不都合なことでもあるという考え方も可能であり、そうした発想が研究姿勢に反映されることもあるため、公式調査は民間研究者などからの批判を受けることも多い。
一方、語られる目撃例が大戦末期以降の戦場や軍事施設の近辺において多いことを理由に、公式から隠蔽された技術体系を基礎とした新機軸の航空技術を用いて製作された秘密の航空機(それも国家的安全保障の枠組みを超えて進められる秘密計画推進用の輸送機械)ではないかと見なす意見も近年増えている。
UFOの分類
UFOは正体のわからない飛行物体であるので、根拠をもって分類することは不可能である。その解釈は多岐に上っており、その中にはUFOそのものを未知の宇宙生命体と見なす意見さえあるほどで、その全てを網羅することは困難である。
ここに述べた分類におけるUFOは地球外文明の宇宙船=エイリアンクラフトであるという解釈に基づいており、本来の意味、すなわち航空軍事用語としてのUFOではない。
UFOの型
アダムスキー型、円盤型・皿型、球型・半球型、三角形型、光点型、葉巻型、十文字型、V字型、マウス型、クラゲ型、フライング・ヒューマノイド(人型)、スカイフィッシュ(ロッド型)、ドローン型など。
アレン・ハイネックによる分類
ジョセフ・アレン・ハイネックが考案した。UFO目撃者からの観測パターンによる分類。
- NL 夜間発光体(Nocturnal Lights):夜間に目撃されたUFO。
- DD 白昼円盤体(Daylight Discs):日中に目撃されたUFO。
- RV (Radar/Visual cases):レーダーと目視の2つの手段によって確認されたUFO。
- CE 接近遭遇(Close Encounter)
- CE1 第一種接近遭遇:近距離からの目撃[厳密には150m以内]。物理的証拠を残さないもの。(例-飛行物体の目撃、UFOの噂を聞くこと)
- CE2 第二種接近遭遇:UFOが周囲に影響を与えたりして何らかの物理的証拠を残したもの。(例-ミステリーサークル、UFO発着時にできたと考えられている地面の焼き焦げを目撃することなど)
- CE3 第三種接近遭遇:UFOの搭乗者、宇宙人の目撃。
- CE4 第四種接近遭遇:アブダクション(宇宙人による誘拐)。後に追加された分類。4つに細分化される。
- 誘拐体験をはっきりと記憶している。
- 夢と現実が混在し、不明瞭。
- 記憶が欠落している。
- 直接の接触はせず、テレパシーなどの方法によりコンタクトしたもの。
代表的な目撃例とされた事件
古代・中世から、超常現象としてのUFOと思われる物体は度々目撃が報告されており、古代文明の遺跡から出た壁画(アフリカ北部タッシリナジェールなど)や人形(日本の遮光器土偶など)の一部は「異星人」を思わせるとする解釈がある。浦島太郎など古来より伝わる幾つかの神話・おとぎ話は、宇宙人やUFOとの遭遇を元に作られたという説を唱えるUFO愛好家がいる。いわゆる宇宙人らしきものとともに目撃される例もある。これらは伝承や遺跡の解釈の問題でもあり、すぐには事実と認定できない。また地球人類以外の知的生命体が製造した飛行物体、生きた宇宙人やその遺体が確認された例はまだない。
近代において円盤型の目撃例が増える20世紀後半より以前にも、19世紀末のアメリカでは「謎の飛行船」、第二次世界大戦中の「フー・ファイター」、終戦直後の北欧では「幽霊ロケット」が目撃された。
飛行機からの目撃例が多い他、なぜか軍事施設や原子力発電所の近辺、戦争中に目撃される例(前述のフー・ファイターなど)が多い(アメリカ同時多発テロ事件の際にも、2機目が突っ込んだ前後2〜3秒ほどの間、UFOを付近で目撃したという発言が多発した。噂は存在するが情報の確認は行われていない(同項目を参照)。
以下ではUFO目撃史において代表的とされる事件を挙げる。(なお、以下の例では航空軍事用語とエイリアンクラフトとしてのUFOが混在している。)分類可能なものはハイネック博士による分類法などにより年代順に整理する。(→#アレン・ハイネックによる分類)
第一種接近遭遇(近距離からのUFO目撃例)
以下はパイロットなどが近距離から未確認飛行物体を目撃した代表的ケースである。
フー・ファイター
第二次世界大戦中、未確認飛行物体が戦闘が激しい地域を中心に度々目撃された。「フー・ファイター」とは連合国の兵士たちの間で使用された「未確認飛行物体」の総称である。夜でも眩いほど発光しながら正確な編隊を組んでいたり、信じられない程の高速で飛行したりしたと伝えられている。逆に、連合国側だけでなく日本軍やドイツ軍でも未確認飛行物体が目撃され、戦地で噂になっていた。
アメリカ本土付近で目撃された際は「ドイツの新型爆撃機だ」、「大日本帝国が秘密兵器を飛ばした」、「近海に日本の大艦隊がいる」、「ついにドイツの科学力と日本の航空技術が結ばされてしまった」など、アメリカ軍の間では様々な噂が飛び出した。
実際に1942年に日本海軍の艦船がカリフォルニア州サンタバーバラ近郊の石油施設を艦砲射撃したこともあり、この攻撃の翌日未明には、後に「ロサンゼルスの戦い」と呼ばれることになる未確認飛行物体(日本軍の航空機と誤認した)の目撃と、それに対する大規模な攻撃がアメリカ陸軍によって行われ、死傷者まで出す騒ぎになった。
また大戦後期のドイツは原爆(原爆は日本も開発していた)やV2ロケット開発に着手し、当時の水準では世界一ともいわれている科学力を持っていたため、戦後になっても「実はドイツは円盤型の超音速戦闘機を完成させていたのではないか」などの憶測を飛ばすことになった。そのためか、架空戦記ではドイツ軍の円盤型戦闘機などがよく登場したりする。
ケネス・アーノルド事件
1947年6月24日にアメリカ人のケネス・アーノルド (Kenneth Arnold) が、ワシントン州上空で9個の奇妙な物体を目撃した事件。この事件の影響により「空飛ぶ円盤(フライングソーサー)」という語が普及した。
イースタン航空事件
1948年7月24日、イースタン航空のDC-3で飛行中のクレランス・チルズ機長とジョン・ホイテッド操縦士と乗客は、巨大な光が途方もない速度で接近してくるのを目撃した。その発光物体が近づいてきたとき、パイロットは、それが葉巻型でその側面には2列に並んだ窓らしきものがあり、そこから光が漏れていて、後部から輝く赤色の炎が出ている姿を目撃した。その物体は急角度でターンし、時速約700マイルで上昇し上空に消えていった。周辺地域を航空中の他の機体のパイロットも同時刻に同様の物体を目撃した。明らかに判別能力がある複数の目撃者が存在することにより有名になった事例である[9]。
当時、周囲には航空機の類は飛んでいなかった。地上でも「異常に明るい隕石」を目撃したという複数の報告が寄せられた。そこでアメリカ空軍はこの事件で目撃されたものは隕石であると公式に発表した。当時は隕石が集中して見られる「隕石シャワー」の時期にあたり、事件当日は14個の隕石が目撃されている。隕石の尾は繊維状の構造をしているため、これが「窓」などに見間違えられた可能性はあるし、飛行物体の尾部の炎は、隕石の尾であるとも取れる。しかし飛行物体が衝突直前に方向転換をしたことは、この説では説明がつかない。またチルズ機長は、飛行物体にはレーダーのような棒の付いた明るい操縦席があり、後部からはノズルのようなものが突き出していた、とも証言している[10]。
パンアメリカン航空事件
1952年7月、パンアメリカン航空の大型旅客機DC-4が飛行中にUFOを目撃した。主な目撃者は同機を操縦中のナッシュ副操縦士とフォーデンベリー航空機関士、その他複数の乗務員たちであった。バージニア州上空近くのハンプトン水道上空を航空中であったDC-4は、突然現れた6つの円盤型の発光物体を目にした。円盤は次々に旅客機に接近してきたが、突然に「ピストルの弾丸が石の壁に当たって跳ね返ったように急激」に方向転換し、編隊を組んで西へ遠ざかっていった。その直後にさらに2つの発光体が出現し編隊に加わった。乗務員たちの証言によると、円盤の光は動力源と何か関係があるようで、減速すると光が暗くなり、加速すると輝きが増した。円盤は150度の急激な方向転換をしたにも関わらず、重力や慣性の影響を受けている様子はなかった。またナッシュとフォーデンベリーが円盤の速度を推定した結果、控えめに見積もって時速19200キロメートル、音速の16倍であるという数値が出された。円盤が出現した時間には気温逆転現象はなかった。また近くを空軍のジェット戦闘機が5機飛行していたが、調査の結果、目撃事件とは無関係の機体であったことが判明した[11]。
BOAC機事件
1954年6月、ニューヨークのアイドルワイルド空港を離陸し、ロンドンへ向かった英国海外航空(BOAC)のボーイング377“ストラトクルーザー”旅客機のハワード機長は、上空を飛ぶ巨大な葉巻型のUFOとその周囲を守るように飛ぶ小さな6機の小型UFOを目撃した。
同機とUFOはしばらく平行して進み、やがてカナダのニューファウンドランド上空でアメリカ空軍の戦闘機が接近すると、小型UFOが葉巻型の母船内に収容されるとともに母船が縮小し、やがて飛び去った。なお、この一連の動きは同機の他のパイロットや客室乗務員、乗客によっても目撃されたと伝えられた。
介良事件
1972年、高知県高知市東部にて、当時の中学生たちが両手に乗るほどのサイズの小型UFOを捕獲したとされる事件。
ポルトガル空軍機による遭遇事件
1982年11月にポルトガルの空軍パイロット3名が飛行中に、直径3mの円盤型で金属製のUFOと遭遇した。UFOは停止したと思えば空軍機の周囲を旋回して付き纏ったりと不規則な動きをした。後にもう1機の空軍機が応援に駆けつけUFOと対峙した。最後にUFOは非常な速度で飛び去った。後の民間研究では、否定派の科学者がUFOは気球だったと主張したが、目撃したパイロットたちはその意見を否定した[12]。
日航ジャンボ機UFO遭遇事件
1986年11月17日に日本航空の貨物機が、アメリカのアラスカ州上空でUFOに遭遇し追跡された事件。
RV(レーダーと目視によるUFO目撃例)
RVとはレーダー機器と目視で同時にUFOが観測された事例である。
フォートマンモスの目撃例
1951年、アメリカ空軍のT-33パイロットとそれに搭乗していた空軍中佐はニュージャージー州フォートマンモス上空で、直径35フィートの銀色の円形物体を目撃した。パイロットが物体を迎撃しようとすると、物体は120度ターンして南へ向かった。同時刻、フォートマンモスのレーダー操作員は時速400 - 700マイルの速度で走る物体を捕捉したが、すぐに物体を見失った。翌日も同様のパターンの物体が捕捉されたが、対象は出現と消失を繰り返し、非常に高速で不規則な動きをするため追尾は不可能だった。この事例は、未確認飛行物体そのものと、レーダー反射の両方を空軍が観測できた事例として当時センセーションを巻き起こした。
レイクンヒース事件
1956年8月13日、イギリスのレイクンヒースにある空軍基地のレーダーに突然に、推定時速3200キロメートルで動く未確認飛行物体が捕捉された。同時刻、航空管制タワーの職員が「超高速で飛行する明るく輝く光体」を目撃すると同時に、高度1200メートルを飛行中のパイロットからも同じ内容の目撃報告が入った。同時刻に4か所から目撃された飛行物体は空中に静止したと思うと、突然時速950キロメートルで直線的に移動し、90度の方向転換をし、また静止するなど、ほぼ40分間にわたって位置の変化を繰り返した。
イギリス空軍とアメリカ空軍の協力体制により、物体の正体を突き止めるため戦闘機が発進された。要撃機のパイロットが飛行物体に近づくと、飛行物体は突如消失し、戦闘機の後ろに追尾する形で出現した。パイロットは対象が背後にいると知らされると、すぐに振り切るための回避行動に移った。しかし、急激な上昇、下降、旋回を10分間繰り返しても飛行物体はパイロットが操る機体の後方にピタリとくっついていた。レーダー上には、全く同じ速度で飛行する2つの飛行物体が表示されていた。戦闘機のパイロットが燃料切れのため基地に帰還すると、飛行物体は動きを止めた。パイロットは飛行物体について「きっちり捕捉できたのだから、何か実体のあるものなのは確かだ」と無線で語った。さらにもう1機の戦闘機が飛行物体に接近を試みたが、まもなくエンジンにトラブルが起き追跡は不可能となった。飛行物体は時速950キロメートルでレーダーの捕捉範囲外に消えた。基地の地上要員もこの物体を目撃しており、物体は円型であり複数の飛行物体と編隊を組んだまま飛び続けた、と語った。
この事件は6時間に渡る出来事であり、6基の地上レーダーと1台の機上迎撃レーダーが関与した。事件当時の夜は晴れており視界は良好で、ペルセウス座流星群なども見られたが、その後、アラン・ハイネック等による調査により飛行物体は流星とは何の関係もないと結論された。後に懐疑派のフィリップ・クラスがレーダーの異常伝播や装置の故障、目撃者の誤認などで説明を試みたが、レーダーの専門家マーティン・ローレンス・シャフがクラスの主張を反証した。公式米空軍報告でも、この事件はレーダーの故障や異常な気象条件では説明できないと書かれている。後にコンドン委員会による調査では、「この事件はレーダー目視事例の中で最も不可解で異常なものである。UFOの挙動は明らかに理性的、知性的でありこの事件に最も妥当な説明をつけるならば未知の起源からやってきた機械装置ということになるだろう」と結論された[11][13]。
テヘランUFO交戦事件
1976年9月19日、イランのテヘラン上空で強烈な光を放っているUFOが目撃され、イラン王立空軍のF-4戦闘機2機が迎撃に向かった。レーダーの反応はUFOが非常に巨大であることを示していたが、UFOに近づくと機体の計器や通信機器は動作しなくなった。戦闘機が基地に引き返すと、その後を追うようにUFOは基地にも出現し、管制塔から目視確認された。やがて基地の管制塔の機器も動作不能に陥った。2機の戦闘機は再び飛行物体に接近し、それが巨大な葉巻型であり、赤やオレンジなど様々な色に変化する光を放っていたことを確認した。この飛行物体はスピードを調整し、戦闘機から安全な距離を随時保っており、そのことは地上のレーダーからも確認された。
やがてこの飛行物体からは小型の飛行体が分離して、猛スピードで戦闘機に接近を始めた。戦闘機は対空ミサイルで迎撃しようとしたが機器は操作不能に陥った。この小型物体は追跡を止め、「母機」に帰還した。最終的にこの「母機」 は周辺の砂漠地帯に着陸した。
イラン軍高官たちは、このテヘラン交戦事件において出現したUFOは地球産ではありえず、異星人の飛行装置である、という一致した見解を示した。この事件の詳細はホワイトハウスやアメリカ国防情報局、アメリカ国家安全保障局などに書類で正式に報告されていた。1977年にはアメリカの情報自由法により正式に資料が公開された。複数の信頼できる目撃者がおり、レーダーでも確認され、3人の異なる乗務員が電磁気により同じような身体的影響を受けたことなどから「UFO現象を研究するための、あらゆる条件を備えた模範的なケースだ」と資料付記の注に記されている[14][15][16]。なお、懐疑派のフィリップ・クラスは「木星を見たのだろう」とコメントしたが、イラン王立空軍やアメリカ当局への調査を行った上での発言ではない上に、戦闘機や基地機能の動作不良や戦闘機への追跡についての説明もなく、このクラスの発言の根拠はない。
調査船「開洋丸」の遭遇事件
1984年12月18日に、南アメリカ大陸南端付近のフォークランド諸島付近で、水産庁の漁業調査船「開洋丸」の航海士が東へ動く不審な光体を発見した。それは二等星ほどの明るさで、速度や方向が一定しないままフラフラと動き、途中から速度を上げて一直線に視界から消えた。二度目の遭遇は、1986年12月21日のウェーク島近辺の、北緯26度の日付変更線付近において、船の周囲でマッハ4の速度で音もなく飛行し180度ターンなどの不規則運動をする、巨大タンカーほどのレーダー映像を確認したが、肉眼では見えない不可解な現象に遭遇した。このレーダー上でのみ確認された大きさ300メートルほどの巨大物体は、開洋丸の周囲を数度回った後、突然直角に角度を変えて船に向かってきた。そして衝突するかと思われた瞬間、物体は鋭角にターンして去って行った。計算で得られた速度は時速4900キロメートルであった。飛行物体は「船の真上を通過したとき自動車ほどの音を出した後、最後に発光して消えた」との記録を残している。ただし、少なくとも1986年の「UFO」との遭遇の時には、アメリカ軍機とおぼしき飛行機が船の周囲を飛んでいたのが目撃されていることを、UFO信者は都合よく無視している。
軍用機からのジャミングを受けたという説や、日本テレビ系の番組『特命リサーチ200X』では、正体はアメリカで行われたEMPの実験に関連した現象だという説が紹介されていた。EMP実験説では、対象物が鋭角的な方向転換をした現象や飛行速度などについて説明できないが、欺瞞ジャミングを受けたならば、レーダーコンタクトのそのような動きについては、複数の欺瞞信号を同一の物体と誤認したことで十分に説明できる。そもそも欺瞞ジャミングは、レーダーの信号処理システムにそのような誤認を生じさせるためのものである。
この事件は、1988年の日本版『サイエンス』誌9月号に、観測・調査の複数の専門家が目撃証言した記録として掲載された。
中国空軍UFO追跡事件
1998年10月19日、河北省滄州市の空軍基地上空にUFOが出現した。地上からも「キノコのような形」をして地上に光を放射しながら飛んでいく物体が目撃された。この軍用機でも民間機でもない飛行物体が4つのレーダー基地でも観測されたため、基地司令のリー大佐は迎撃命令を出した。発進した戦闘機には2名が搭乗していた。
この乗員の証言によれば、UFOはSF映画に出てくる形をしており、麦わら帽子のようであった。また、戦闘機が接近しようとすると逃走し、遠くに逃げ去ったかと思うと戦闘機の真上に出現したりと、相手をからかうような挙動を示した。飛行物体の高度が20000メートルに達すると、戦闘機の燃料が乏しくなったため追跡は断念された。飛行物体はやがてレーダー反応からも消失した[17][18]。
エールフランス3532便事件
1994年1月28日、ニース―ロンドン間の上空にて、エールフランス3532便の操縦士3名が奇妙な飛行物体を目撃した。当初「ぺしゃんこになった鐘」に見えたその物体は、すぐに赤黒い円盤状に形を変えた。2分後にその物体は消失したが、ある時はレンズ豆、ある時は矢のように見えるなど、絶えず輪郭を変化させていた。
同時刻にフランス空軍のレーダー、そしてトゥール市にあるレーダー探知センターが、3532便と直角に交わる未確認の物体を捕捉した。レーダーの記録などから、飛行物体が航空機や観測用気球であるという説は退けられた。パイロット達の証言の詳細は一致しており、物体が消失した時間の証言も、レーダーの記録と一致した。飛行物体の大きさは推定500メートルから1キロメートルであった[14]。
テキサス州事件
2008年1月8日のアメリカ南部テキサス州にて、警察官を含む17名が、フットボール競技場ほどのサイズのUFOを目撃した。UFOはレーダーでも3機捕捉されたが、そのうちの1機は飛行禁止空域だったジョージ・W・ブッシュの自宅に真っ直ぐ向かっていたため、F-16戦闘機が発進する事態となった[19]。
フラップ(多人数によるUFO目撃)
フラップとは、同じ地域で短期間にUFOの目撃が多発する現象。「UFOウェーブ」とも呼ばれる。
ロサンゼルス空襲事件
大日本帝国海軍による真珠湾攻撃により対日戦が始まってから約3か月後の1942年2月24日の夕方、日本海軍の大型潜水艦がカリフォルニア州サンタバーバラ近郊の石油精製所を砲撃した(アメリカ本土砲撃)。米英戦争以来の本土攻撃を受けたアメリカ軍と政府は大混乱に陥り、アメリカ西海岸一帯に厳重な警戒態勢が敷かれた。
日本海軍による攻撃がその後なかったために、同日深夜には警戒態勢が解かれたものの、警戒態勢が解かれた直後の2月25日未明に、光を放ちながら数百キロメートルの低速で飛ぶ数十機の未確認飛行物体がロサンゼルス市上空に出現し、同時にレーダーにもとらえられたためにアメリカ西海岸一帯に再び警戒警報が出された。
その後飛行物体を目視で確認したアメリカ陸軍によって、飛行物体に向けて1430発もの対空砲火が撃ち込まれた。対空射撃は2時間続いたが、撃墜された飛行機はなかった。数千人の目撃者の中には、対空砲火の中を光を放つ飛行物体がサーチライトに照らされている写真を撮影したものや、「秒速8キロメートルでジグザグに移動する光体」がいたことを証言するものがいた他、ラジオでは対空砲火が行われている風景が実況中継された。
なおこの作戦中に落ちてきた対空砲火の破片を受けたり、驚きのあまり心臓発作を起こした6人が死亡した[20]。しかし戦後公開された日本海軍の資料では、当時アメリカ西海岸沿岸で活動していた潜水艦の艦上機を合わせても10機にも満たなかった上に、この日にアメリカ西海岸上空を日本海軍機が飛行した記録はなかった(日本海軍機による初のアメリカ本土空襲が行われたのは同年9月である)。
ワシントン事件
1952年7月19日から27日にわたって首都ワシントンD.C.上空に68機ものUFOが現れ大勢の市民の目の前で飛び回る事件が起きた。空軍は目撃されたUFOは気象現象であったと公式声明を発表したが、民間のUFO研究者からは批判された。後に、この目撃事件はワシントンに限らず全世界的に同時多発的に起きていたことが判明した。
1954年ヨーロッパでのフラップ事件
1954年8月よりヨーロッパ全土にて識別不能の飛行物体が目撃された。物体は主に球形、円盤型、葉巻型をしていた。目撃者の中にはパイロットや軍人、警察官なども含まれていた。特に10月3日には50以上の目撃報告がフランス全土の新聞にて報じられ、目撃の数は10月20日より減少し始めた。フランス国防省は多くの情報を調査する目的で、省内に幕僚委員会を設置した。[13]
1963年8月のUFOフラップ事件
1963年の8月上旬、英国のスタッフォードシャー州にて警察官を含む3名が「光線を放ちながら飛行する円形物体」を目撃した。物体は色を変えながら静止と飛行を繰り返した。その後BBCにUFOを目撃したという報告が数百件寄せられ。空軍はその物体の正体は不明であると公式発表した。その後、UFOの目撃例はイギリスやスコットランドを超え、米国やカナダ、メキシコ西南部、アラスカにまで及んだ。飛行物体の形状は目撃者により、機械であったり卵型であったり火球であったり十字架状であったりした。特に米国イリノイ州では二晩にわたって飛行物体が観測され、複数の目撃者は飛行物体に追いかけられたと証言した。「飛行物体が接近した途端(車のエンジンや電灯など)機械が停止した」という一致した証言もあった。ワシントン州上空を飛行中だった旅客機の乗客たちは謎の物体が40分間にわたって後をつけてきたと証言した。
米空軍と英国の空軍省は、目撃報告の「いくつか」については飛行機や飛行船などの誤認だったと発表した。なおマスコミがこの事件を報道し始めたころには既に多くの目撃報告が集まっており、報道と目撃報告の増加に関連性があるとはいえなかった。1963年の8月10日になると、ヨーロッパにおいても北米においても、UFO目撃は唐突に途絶えた[11]。
エクセター事件
1965年、米国ニューハンプシャー州のエクセターにて「巨大な金属製の物体」が音もなく上空に静止しているのを警察官2名と大学生が目撃した。物体は急降下して目撃者に接近してきたが、警官は銃を抜くことができなかった。民間人のコラムニストであるジョン・フラーがこの事件を調査したところ、75件を超える目撃情報があることが判明した。
この事件について空軍は自然現象の誤認説(→#気温逆転説)での説明を試みた。しかし、そうした公式見解は逆にジョン・フラーら民間研究者に「空軍によるUFO隠蔽説」の疑惑を抱かせることとなった。この事件により、1960年代のアメリカではUFO問題への多くの公開討論が各地で行われる事となった[9]。
ミシガン州・ヒルズデイル大学事件
1966年3月、アメリカのミシガン州で未確認飛行物体が目撃された。目撃者は「何百人」にのぼり、それぞれがほぼ同じ大きさと形状の物体を目撃した。目撃者の中にはパトロール中の警官も多数含まれており、そのうちの一人は「ちょっとした家ぐらいの大きさ」の飛行物体を目撃し「航空機やヘリコプターとは全く違う、見たこともない動きをしていた」と語った。
1966年3月22日には、ヒルズデイル大学内で87名の女学生と民間防衛隊の隊長が、女子寮から数百ヤード離れた沼地帯に静止滞空しているフットボール型の輝く物体を目撃した。物体は寮の方に近づいてきて突然静止し、元の場所に戻って行った。「物体は飛行場の灯台を巧みに回避」し、車が近づくと暗くなり車が去ると明るくなった。物体は4時間の間目撃され続けた。翌日、少し離れたミシガン州のデクスターで、2名の警察官を含む目撃者5人が、農場の沼地帯から光り輝く巨大な物体が上昇し、約1000フィート上空でしばらく静止し、その後飛び去るのを目撃した。目撃者の数は合計で100名を超えた。
多くのマスコミがこの事件を取り上げたが、研究の結果、空軍はこの現象は「沼地ガス」が発生したことが原因であると発表した。(沼地ガスとは、沼の植物が腐敗することで年に何度か発生するガスのことで、自然発火し不規則な動きをする。比較的珍しい現象で、目撃者は多くない。)この空軍による「沼地ガス説」はあくまで仮説として唱えられたが、マスコミや目撃者たちからの大きな批判を呼び、空軍の調査への疑念が生まれた。この事件は1960年代にアメリカで最も論議を呼んだ事件の1つとなった。後に大統領となるジェラルド・フォード議員は「米国市民は、空軍の説明とは呼べない代物よりも、もっとまともな説明を受ける権利がある」とコメントした。また空軍調査(プロジェクト・ブルーブック)の指揮者であったビル・コールマンは、このミシガン州で起きた事件を全て「沼地ガス説」では説明するのは無理があった、と後に語った。[11][9]
インゴルシュタット上空の星型物体
1979年9月16日、ドイツのインゴルシュタット郊外にて、3個の「星形の飛行物体」の目撃が報告された。目撃者の一人によると、飛行物体は白い光に包まれており、表面はアルミ箔のように金属的に見えた。物体の1つは分離し、設置されていた巨大な広告看板の上で静止すると、また元の2つの光と合流した。インゴルシュタット西の警察署には目撃報告が相次ぎ、出動した10名の警察官もそれを目撃した。
2日後の9月9日にはニュルンベルクでも同様の目撃があった。その1時間後にはインゴルシュタットにて赤い卵型の飛行物体が目撃された。当該空域の航空管制官は、インゴルシュタット上空を飛行しているセスナ機へ異常な光体を探すように依頼した。セスナ機の2名のパイロットは、4、5個の明るい光体がこちらに向かって飛来してくると応答した。物体は同じ速度、同じ行動を保ち右から左へと位置を変えた。パイロットは光体がセスナ機を「からかっている」印象を受けた。光体の一部が前に出てきて航空機の後方を飛行したり、周りを旋回したりした。飛行物体は30秒後に姿を消した。同日、バイエルン内務省はこの件について、当時のインゴルシュタット地域の異常な気象条件と、軍事訓練の対空射撃が蜃気楼となったものであるとの記者会見を行った。[13]
1979年 スペインでのUFOフラップ事件
1979年11月11日の夜、TEA社による109名の乗客を乗せた旅客機のパイロットが、驚くべき速度で飛来する2個の赤い光を目撃した。ジャンボジェットほどのサイズである2個の光の動きは完全に連動しており、航空機の周りを自由自在に飛び回り「挑発」とも取れる動きを示した。機長は空港に連絡を取りバレンシアに緊急着陸を行った。その後も赤い光は上空に見えており、地上要員や航空管制官、空港長が目撃した。その空域のレーダーにも捕捉された。スペイン防空司令部は戦闘機に迎撃を命じたが、飛行物体は逆に戦闘機への急接近を行った。
ちょうど1年後の1980年11月11日、同じ飛行物体がスペイン北東部に再び現れ、少なくとも6機のスペイン旅客機がそれを目撃した。飛行物体は非常に明るい緑色の球形で、空港の滑走路を「ウロついた」後に「飛び去って行った」と目撃者は述べている。[13]
ベルギーUFOウェーブ事件
ベルギーUFOウェーブ事件は1985年11月から1990年5月にかけて、ベルギーでUFOが頻繁に目撃された事件で、1万人以上の人がUFOを目撃したといわれている[21]。実際には赤、緑、黄色に色を変える、正三角形状の光などが報告された。ドイツ国境のユーペンの住人数百人は、スポットライトをつけた巨大な三角型のUFOが上空を通過するのを目撃した。実際にF-16が緊急発進をかけた例もあった。4つのUFOがレーダーに捕捉されたが、それぞれ別々の方向に姿を消したため追跡は断念されたといわれる。
特に1989年11月29日にはベルギーの農村地域にて145件もの目撃が報告され、ニュースメディアは大々的に報じた。下部にスポットライトのような光を放ち、無音で飛行する三角形型の物体が目撃された。日中で目撃されたのはこの例だけであり、残りの目撃は夜中のものである。1990年3月30日から3月31日にかけては、数百名の市民が空に光体を目撃した。これはレーダーでも捉えられ、NATO軍基地でも正体不明の目標が捕捉された。調査のために出撃した2基のF-16戦闘機もレーダーで物体を捕捉した。しかし物体は速度150から970ノットまで加速し、高度5000フィートから11000フィートの間を往復するなど瞬時に猛烈な動作を行った。
目撃報告の中には新型電子機器を使う試験飛行、性能の悪いレーダーによる誤認、ライトショーの光の反射、ヘリコプターの誤認といったケースも多数含まれており[要出典]、特に空軍がUFO騒動について説明せずに紛らわしい訓練飛行を行っていたことは問題視され、議会で追及されている。モーター付き飛行船を所有する男が悪戯で自分の飛行船に細工をし、ベルギーの空に放ったイタズラであるという証言も出た。またこのベルギーのUFOフラップ事件をとらえた写真の中で最も鮮明なものだといわれていた写真は、当時18歳だった者が発泡スチロールを使用して行なったイタズラであったことが、本人の発表により判明した[22]。1990年4月7日に約150mの距離から撮影された写真はブリュッセルの研究所で分析された。飛行物体の下部のライトは非常に小さいが強力な多数のライトで構成されており、飛行物体は弱い放射線を出していたことが示唆された。[13]
ウィリアム・ミラーは、飛行物体の正体は偵察用の飛行船であったという説を唱えた。目撃されるのを避けるために船体を黒にして、夜中に航行していという説である。しかし、この説では目撃された飛行物体の形状が、三角形型を中心に、円盤型、ダイヤモンド型、ブーメラン型など多岐にわたることや、飛行物体の周りの赤い光体の不可解な軌道を説明できない。稀にビルを振動させるほどの轟音を出していた物体も存在した。1983年にニューヨーク州ハドソンバレーに同様の飛行物体が出現したときは、主要道路の真上に滞在していた。[13]
第2種接近遭遇(UFOの物理的証拠が残る例)
ファルコン湖事件
1967年5月20日、スティーブン・マイカラクはカナダのファルコン湖の近くで、二機の卵型の円盤が赤く輝きながら降下してくるのを目撃した。1機は空中で静止し、色を変えながら雲の中に消えたが、もう1機は輝きながら着陸した。マイカラクが近づくとその物体からは硫酸のような臭いがしていた。物体の上部には開口部があり、中から二人の人物の話し声が聞こえたので、マイカラクが話しかけると開口部は閉じられた。マイカラクが円盤に手を触れると、手に付けていた手袋が焦げて溶けた。やがてマイカラクは正面に「排気口」のような穴があることに気付いたが、その穴から突然に熱風が吹き出し、円盤は上昇して消えた。マイカラクは熱風により第一級の火傷を負った。マイカラクは医者にかかったが、皮膚伝染病にかかっており、身体が変色したこともあった。マイカラクの胸の火傷は「熱気泡」であり、その火傷の形は唐草模様であったが、それはマイカラクが描いたイラストの排気口の形と一致していた。その他にもマイカラクの症状には吐き気や嘔吐、リンパ球の減少などが見られた。ある医師はマイカラクが放射線に晒されたことが原因だと述べたが、彼を診断した27名の医者のうち、完全な説明ができたものはいなかった。[20]
キャッシュ-ランドラム事件
1980年12月29日のアメリカ南部テキサス州にて、人里離れた森の中の道路を車で移動していたヴィッキー・ランドラム(Vickie Landrum)一家の3人は、炎を噴出しながら上空をホバリングする光を見た。その光は強烈に輝き、鈍い金属銀の色で、大きさは給水塔ほどもあり、直立した巨大なダイヤモンドの形をしていた。車を停めると、同乗者のベティー・キャッシュ(Betty Cash)が車外に出てその飛行物体を観察した。の中央には小さな複数の青い光が環状に取り巻いていた。飛行物体が上空高く移動を始めると、二十数機ものヘリコプターが現れ飛行物体を取り囲んだ。飛行物体とヘリコプターは上空に消えた。目撃者である3人は帰宅後に嘔吐感や下痢、脱毛、火膨れなどの症状を示し、放射線障害と診断され入院を余儀なくされた。キャッシュとランドラムはその後、政府を相手に訴訟を起こしたが訴えは却下された。
同地区の警察署に所属しているラマー・ウォーカー(Lamar Walker)刑事とその妻は、同時刻に12機のヘリコプターを目撃している。陸軍や民間のヘリコプターは1機も発進されていなかった。ウォーカーがこの事件を調べようとすると、ペンタゴンを含む軍の高官たちから幾度も捜査を妨害された。またUFOが目撃された地面には焼き焦げた跡が見つかっており、夜間に補修作業が大急ぎで行われていたことが目撃されている。
この事件で目撃されたダイアモンド型UFOの正体は、NASAにより開発中であった原子力エンジン搭載型ロケットのNERVAではないかとも推測されている[11][23]。
トラン=アン=プロヴァンス事件
1981年1月8日、フランスのプロヴァンス地方にて、自宅の庭で日曜大工をしていたレナート・ニコライが、爆音とともに急降下してくる鉛色の物体を目撃した。物体の大きさは2.5mで、スープ皿が上下に重なったような形をしており、光に包まれていた。1分をしないうちに物体は急速度で飛び去って行った。物体の下部にはドアが付いているようだった。地面には2mの円形の着陸痕が残っており、UFOという言葉を知らなかったニコライは憲兵に通報した。
憲兵による現場の調査結果はニコライの目撃証言とほぼ一致した。ニコライの証言によれば、飛行物体は驚くほど正確な操縦技術で操作されていた。ニコライ家の近隣には軍事基地があったが、時間帯や着陸場所から考えてもヘリコプターや飛行機ではなく物体は全く無音で飛行したため、エンジンで動く機体でもなかった。フランス国立宇宙研究センターのUFO調査部署であるGEPANは、現場から採取した土や植物のサンプルを解析した。その結果、着陸痕の地面は衝撃で摂氏600度まで上昇し、微量の鉄や亜鉛などが検出された。現場で採取されたウマゴヤシは、電磁気的な影響により損傷を受けていたため、飛行物体が電磁気で飛行していたという仮説が立てられた。物体の質量は推定500〜700kgであった[14]。
懐疑的な研究者はUFOの着陸痕が完全な円形ではなく、車のタイヤに似ていること、当時の発見場所には車の往来があったこと、GEPANが現場に到着し調査を行うまでには時間の空白があったので、人為的な影響を及ぼすことが可能であった事などを指摘している[24]。そこで1988年には調査が再開された。再度による土壌分析では植物に影響を及ぼしうる(粉末状のセメントなどの)物質は見つからなかった。「これらの分析から重大な物理現象が実際に起き、植物への説明できない影響、地面を擦った後、熱衝撃をもたらしたという結論が得られた」と分析者は述べている。[13]
ナンシー事件
1982年10月21日、フランス北西部の街ナンシーにて、細胞生物学の研究者アンリ(仮名)が、上空から降下してくる楕円形の発光体を目撃した。全くの無音のまま、高速で移動する飛行物体は、アンリ家の庭の地表近くで静止した後、垂直に上昇して消えた。アンリはこの直径1.5mの卵型の物体を20分間目撃した。その物体は明らかに「機械」のようであったが、加工された跡が全く見当たらず、美しくカーブを描く「船体」の上下の色が違っていた。
目撃者のアンリは科学調査には協力的だったが、氏名の公表などを拒み、自ら進んで証言はしなかった。その証言によれば、飛行物体が垂直に飛び去るときに、庭の芝生の草が一斉にピンと立ち上がった、とのことであった。この証言から、飛行物体から強い電磁気が発生し、その電界が周囲に影響を及ぼした、との仮説が立てられた。現場に落ちていたアマランサスを分析した結果、この仮説が支持された[14]。
第3種接近遭遇(UFO搭乗者の目撃例)
9世紀のUFO搭乗事件
815年(あるいは852年)、フランスのリヨンにて、空から球状の物体が連なりつつ降下をしてくる事件が起きた。球体は草原に着陸すると、やがて「ドア」が開き、中から3人の男性と1人の女性が現れた。球体はやがて上空に消え去った。周囲の目撃者は出現した4人を魔術師だと思い処刑しようとしたが、憔悴しきった様子の彼らの説明を聞き、介抱した。介抱された4人の説明によれば、自分たちは普通の村人であり、野原にいる時にあの「球状の物体」と出会ったということであった。球体からは自分たちとよく似た男たちが現れ、彼らは自分たちは邪悪な者ではないと述べたという。4人は球体に乗り込み飛行経験をすることとなり、丸い窓から眼下の地上を眺めたり、世界各地の町を訪れたりといった体験をした。
この説明は当時の人々に受け入れられず、4人は火炙りとなる所であったが、現場にいた司教が介入しこの混乱を鎮めた。事件の詳細はこの司教により記録された[25][26]。
ヘマー村事件
1948年ドイツのズンデルン (ザウアーラント)地方のヘマー村にて、全長30mの金属型の飛行物体が牧羊者の前に現れた。牧羊者は牧草地の中に着陸した物体の表面に触れると強いショックを受け気絶状態となった。彼が意識を取り戻すと、周りに体長1mほどのアーモンド形の目をした頭部の大きな生物たちがいた。彼らはおそらく酸素の容器と思われるチューブのついた箱を手にしており、気体を吸い出していた。彼らは理解できない言語で話し、土壌や草を調べサンプル採集を行っていた。やがて飛行物体に乗り戻ると、物体は高速で飛び去った。着陸痕として、丸く草が焼けた個所が複数並んでいた。目撃した牧羊者は、いつのまにか強い日焼けをしていた。
1952年マイニンゲン近くの森にて、48才の元陸軍少佐が、11才の娘を連れてバイク走行していた。娘が150m先に変な物体があると言ったので近寄ってみたところ、円盤状の物体と、体長1.5mほどの銀色のスーツを着た2人の小人がいた。小人は目撃されたことに気づくと円盤に乗り込み、円盤は加速して飛び去っていた。辺りには押しつぶされた草が残っていた。元陸軍少佐は米当局にその話をし、CIAに体験の証拠を提出した。
1954年10月10日、フランスでのUFO目撃がピークに達したころ、再びヘマー村の真北50kmの地点て、葉巻型の飛行物体が目撃された。あるミュンスターの映写技師は低空1.5mの高さで低空する葉巻型物体と、その下で作業する体長1m以下の小人たちを見た。彼らの頭部は大きく、ゴム製のような衣服を身に着けていた。小人たちは梯子を使い、物体の中に入っていった。その数時間前には、近くの田舎道を走行していた3名が、2体の小さな生き物がハイウェイを横切り円盤の中に入っていくのを目撃していた。
上記の目撃者は、誰も他の者の体験について知らなかった。目撃された飛行物体は同じ形状で、その搭乗者にしても当時流行していたハンサムで長髪のUFO搭乗者の記述とは一致していなかった。[13]
エンリケ・ボッタ事件
1950年にアルゼンチンで起こった事件。当時、建築技師であったエンリケ・ボッタ(Enrique Botta)は、高速道路を車で走行中に、そばの草地に円盤型で金属製の物体があることに気づいた。物体は静止していたため、ボッタは意を決し中に入ることにした。内部は(天井があることを除けば)空のように見え、壁際には4つの座席があった。座席には身長1.2mほどの灰色の小人が計器やパネルに向かって座っており、その身体は焼けただれていた。生物はすでに死んでいた。座席前の制御パネルの上には透明な球体が回転していた。
高速道路に戻ると、ボッタは大急ぎで友人2人を呼びに行った。既に日が暮れていたので、翌朝になり3人は「UFOの墜落現場」に戻った。既にそこに円盤はなく、代わりに灰の山があった。一人がそれを手で掬ってみると、手は緑色に変色し何日もそのままだった。その直後、1人が上空を見上げると、葉巻型と円盤形の3つの飛行物体が浮かんでいた。ボッタは5枚の写真を撮影したが、現像した結果はぼんやりとした形が2枚写っていただけだった。
ボッタはこの事件の後に、高熱に見舞われ皮膚が膨れ上がった。医者に診せても原因不明と診断され、この症状は数週間続いた。ボッタはこの事件を公表しなかったが、後に彼の二人の友人が公表した。ボッタは博士号をもつ人物であり、地元での評判も良く、無視できない目撃者であった[27][28]。
ラインホルト・シュミット事件
1957年11月5日に全米各地で数多くの未確認の飛行物体が目撃された。目撃された場所は多数であり各地の警察署の電話回線はパンク状態となり、報告を受けた米軍はジェット機の緊急発進を行った。メキシコ湾の航行中の警備隊やニューメキシコ州のミサイル試射場の憲兵隊員、テキサス州の米空軍気象観測官らも飛行物体を目撃した。特にカリフォルニア州の気象観測官3名と、そこからわずかに離れた上空を飛行していた空軍兵10名は「円盤型で磨き上げたアルミニウムのように輝く6機の飛行物体」をほぼ同時刻に目撃した。テキサス州の防空監視団は「赤い光を放つ巨大な飛行物体」からの通信を傍受することに成功したが、その内容は解読不能であった、と証言した。民間人からのいくつかの証言は「飛行物体が近づいた途端に自動車のエンジンやカーラジオが停止した」などの点では一致した。
同日、カリフォルニア州で穀物飼料問屋に勤めるラインホルト・シュミット(Reinhold Schmidt)という名の男性が、「金属でできた銀色の宇宙船」を目撃し、その内部から現れた「二人の男」と会話を交わしたと証言した。宇宙船内部には、地球人と似た6名の男女がおり、内部を見せてもらった後に宇宙船は垂直に飛び去ったと語った。シュミットは警察に届け出たが、正気ではないと判断され精神病院に送られた。シュミットはその後、自らの体験を自費出版した後に行方不明となった。宇宙船の着陸現場に出かけた警察署長は「確かに何らかの機械がここに着陸した」と判断した。シュミットが宇宙船を目撃した地域で、謎の飛行物体を目撃したという報告が複数人の目撃者により寄せられた。彼らはシュミット同様に、飛行物体が接近した際に車のエンジンが停止した、と語った。シュミットが宇宙船を目撃した翌日には、テネシー州に住む12歳の少年が宇宙船と宇宙人を目撃したと報告した。その描写はシュミットの描写とほぼ同様のものであり、少年がシュミットの事例を知っている可能性は皆無だった。フラップ(UFOの大量目撃)と第3種接近遭遇が同時に報告された稀なケースだ[11]。
パプアニューギニアでの目撃事件
1959年6月26日、パプアニューギニアにて、空中に浮かんでいる円盤型のUFOを38名の人間が目撃した。円盤の中には4名の人影が何らかの作業をしている様子が見えた。目撃者の一人が搭乗者に向かい手をふると 搭乗者達も同じ動作をした。目撃者が両手を上げて振ると、乗員たちも両手を上げて振って応えた。UFOは45分もの間観測され、最後には空中に飛び去って消えた。その後しばらくの間、カトリック教会の上空などに断続的にUFOは出現した。最終的な目撃者は約150人に及んでいた。目撃者であるWilliam Gillの父親が目撃内容を詳細に文書に記し、他の目撃者25名がその文書に署名した。
迷信深い者たちによる目撃事件にすぎない、と批判する者も出たが、目撃者の中には教育を受けた者や別国の宣教師や貿易商などが含まれていた。アメリカ空軍はこの事件について、土星や木星などの天体が光の屈折により目撃された自然現象であった、と発表した。だが目撃された乗務員についての言及はなかった。なお、この事件が発生する6日前から「コーヒー皿のような飛行物体」や「窓のあるラグビーボール」の光体などが目撃されている。さらにこの事件の後2か月にわたって、同地域にてUFOが目撃され続けた[19][29][30][10]。
ソコロUFO事件
1964年4月24日、保安官であったロニー・ザモラは未確認飛行物体とその搭乗者を目撃した。この事例はアメリカ空軍の判別不能の事例の中で唯一「着陸」「痕跡」「搭乗者」を残している。
ニューハンプシャー事件
1973年11月1日、米国ニューハンプシャー州マンチェスターでのルート114にて、車で帰宅中のリンダ・モレル夫人が、明るいオレンジ色に輝く六角形で構成された巨大な球体を目撃した。その物体は半分透けているような性質があり、上方には窓のようなものが見えた。モレル夫人は体中がヒリヒリする感じを受け、意識が薄れたが気が付くとUFOの近くまで進んでいた。物体の窓には人影があり、グレイ型の人相をしていた。搭乗者は彼女に「怖がらないように」何とか伝えようとしていると感じられた。女性はパニックになり車から抜け出し、近くの民家に助けを求めた。民家の住人が警察を呼び、警察官が駆けつけると、遠くに色を変えながら移動する光体が見えた。民家の住民を含めた合計4名がそれを目撃したが、嘲笑を恐れ、地元の新聞社には曖昧に報告した[9]。モレル夫人は調査を受けたが、催眠状態での質問の受け答えでも彼女の話に矛盾点などは見られなかった。
そして11月3日になると同地域にて再びUFOが出現した。レックス・スノーと妻のテレサは、小型望遠鏡で銀色の円盤を目撃した。そして同日の真夜中に、レックスは自宅回りが異様に発光していることに気付き、外に出たところ「銀色のスーツ」を着た異形の人物2人を目撃した。レックスは飼い犬に「飛びかかれ」と命じたが、銀色の生物に睨まれると飼い犬は沈黙した。銀色の人物2人はしばらく地面から何かを拾い上げる作業を続けた後に木立の中に消えた。テレサは「銀色の輝き」が木立の中を遠ざかっていくのを目撃した[31]。
甲府事件
1975年に山梨県甲府市で起きた、UFOと宇宙人を目撃したと報道された事件。
ランゲンアルゲン事件
1977年2月23日の夜、ボーデン湖(コンスタンス湖)北に位置するランゲンアルゲンの街にて、車内にいたドイツ連邦政府職員のロタール・シェフラーとバーの経営者ルディ・グルチェは高度約1000mの位置に2個の光体を発見した。それは急速に無音で接近してきて、「太陽の光より激しく」周辺を照らした。そして突然にその光は消えた。
グルチェが一度家に戻った後で外を見ると、再び2個の光体が現れた。突然に庭が昼のように明るくなったので、まだ外にいたシェフラーは慌てて家の反対側に逃げた。その際、グルチェはシェフラーの近くに正体不明の揺れる影を見た。シェフラーが隣人の家の裏口まで走ると、まるで魔法で現れたかのように2人の異様な生物がすぐ後ろに立っていたことに気付いた。その生物は人間に近い体つきだが、身長約1.2mで髪がなく、吊り上がった目をしており、鼻も耳も首もなかった。生物は危害を加えるそぶりは見せなかったが、パニックになったシェフラーは隣人の家のドアに体当たりをし、助けてくれと叫び、ガラスを割り中に倒れこんだ。隣人であるブルクハルト夫妻は異常にすぐに気づき、窓越しにグルチェの妻に警察を呼ぶように頼んだ。やがてブルクハルト夫妻は1階で顔中血らだけのシェフラーを発見した。
1977年3月2日にビルト・ツゥアイトゥング紙にてこの事件が報じられた。その報道では昼のように輝く、非常に明るい光体を8名が目撃したとされている。その物体は軍のレーダーにより捕捉されていたことが後に判明した。また国防省 (イタリア)は1977年2月23日の夜から24日にかけて、非常に明るいハローの光に囲まれた飛行物体が、23分間にわたってイタリア空軍戦闘機を追跡したことを公表した。その物体は追跡をやめると、270度ターンを行い消失した。
謎の光体は独立した複数の者に目撃されているが「搭乗者」を目撃したのはシェフラーのみである。シェフラーが目撃した「搭乗者」はいわゆる典型的なエイリアン像といえるが、1977年のドイツにはそのイメージは定着していなかった。シェフラーは事件の後、酷いトラウマで不眠と悪夢による体調不良に陥り、薬物に依存するようになった。しかし「本当のこと」を知りたかったため、研究者による事後調査に積極的に参加した。シェフラーはロールシャッハ・テストなど計3回の心理検査を受け、高い信頼度数を示した。次に、発光体を目撃した時間についてシェフラーの証言には矛盾があったため催眠療法を受ける事となった。シェフラーは物体の内部にいた事以外詳しい内容を思い出せなかった。シェフラーによれば、この事件の後に2度にわたってメン・イン・ブラックと思しき男に「事件のことを周りに話せば良くないことが起こるぞ」と脅迫されたという。その現場を目撃した者はいないが、シェフラーがその後も継続する精神的ダメージを受けるような体験をしたことは大規模な心理検査で明らかにされた。[13]
未分類の事例
ロズウェル事件
ケネス・アーノルド事件の直後に起きた、いわゆる「ロズウェル事件」は極めて有名であり、複数のフィクションにおいて何度も題材にされているほどである(ロズウェル - 星の恋人たちなど)。これは、アメリカ南部ニューメキシコ州のロズウェル近郊に「UFOが墜落し、その残骸が軍によって回収され秘匿されている」というものである。
1947年6月14日、ニューメキシコ州ロズウェル近郊にある牧場で、マック・ブレーゼルは牧場内に散乱した金属片を発見した。7月に入ってブレーゼルと彼の家族は金属片を集め、保安官のジョージ・ウィルコックスに通報。ウィルコックスはロズウェル空軍基地に連絡した。7月7日の午後、基地からやってきた2人とブレーゼルは残りの破片を捜してゴムや金属箔を見つけたのち、元の形を復元しようとした(が、上手くはいかなかった)。翌朝、破片は基地へ持ち帰られた。
7月8日、ロズウェル基地付け報道官のウオルター・ハウト陸軍中尉が「陸軍航空隊がロズウェル近郊の牧場に墜落した空飛ぶ円盤(Flying Disc)を回収した」と発表し、マスコミの注目を浴びた。しかし同日中にロジャー・M・レーミー空軍准将が「発見された空飛ぶ円盤は軍が使用している気象観測用の気球だった」と訂正を行った。後に行われた発表では残骸も公表されて、事件はすぐに忘れ去られた。それから30年以上、UFO研究家も含めて誰も関心を持つことはなかった。
しかし1978年になって、破片回収を行った軍人ジェシー・マーセルに対してUFO研究家がインタビューを行った際、マーセルはこの事件を軍による隠蔽とする意見を表明した。この話題はUFO愛好家の間で関心を持たれるようになり、1980年にはタブロイド紙「ナショナル・エンクワイアラー」がマーセルへのインタビューを載せたことで、広く世間で知られるようになった。
「ロズウェル事件」が有名になると、既に30年以上経過していたにもかかわらず、軍の圧力があったとする証言や「政府の秘密文書」などが多数表れるようになった。「ロズウェル事件の際に回収した異星人の解剖フィルム」なるものまでが現れた。1997年には、アメリカ政府より正式報告書「ロズウェル・リポート」が改めて発行された。この報告書では「当時墜落したのは実は秘密実験に使用されていた気球で、後に発見された異星人の死体といわれるものは高度での人体への影響を調べるための観測用ダミーである」としている。また解剖映像が捏造であったことが後に判明した(宇宙人解剖フィルムの項目を参照)。
2007年、ロズウェル基地の元報道官ウォルター・ホート大尉が、ロズウェル事件について「隠蔽があった」ことや、基地の格納庫で「異星人の死体を直接見たこと」を記述する宣誓供述書に署名していたことが判明した[32]。研究者であるドナルド・シュミットによれば、これは最も強力な証拠であり、他にも異星人の死体や墜落した円盤を目撃した関係者の証言が多数得られているという。空軍により尋常ではないほどの家宅捜索や脅迫をされたため、隠蔽工作があったことを疑う証言者も多い。
この事件に関する情報はきわめて多数あり混乱しているため、真相の解明は困難であるといえる。
フランセス・スワン事件
1959年、米国海軍情報部(ONI)が「宇宙人と交信している」というメイン州の女性フランセス・スワン(Frances Swan)を調査した。通常ならば、こうした事例は政府機関には無視されるが、カナダの政府機関が専門家を派遣し彼女を聴取したことが発端となった。海軍情報部の将校が調査に向かい、フランセスがトランス状態に入ると、将校たちは次から次に彼女に質問を行った。するとフランセスは、天王星の一日の長さや、太陽と木星の最大距離など「彼女の知識レベルではわかるはずのない宇宙飛行に関する技術的質問」に正確に答えた。ある海軍中佐は、フランセスにトランス状態に入るよう勧められその場で実行を試みたが失敗した。
この件がCIAの注意を引き、CIAのオフィス内にてこの件を調査することとなった。フランセスはオフィス内にいた6名の将校のうちの1人に「トランス状態に入り、宇宙人とコンタクトするよう」促した。トランス状態に入った将校の身体には、鼓動が速くなり、のどぼとけが速く上下するなどの異変が見られた。将校は「天王星のAFFA」と名乗る存在とコンタクトし、次々と質問に答え始めたが、やがてコンタクトの証拠をほしがった人々に対して「窓の外を見ればUFOが見える」といった。3人が窓の外に駆け寄り円盤形のUFOを目撃した。そのうち2名はCIA職員、1名は海軍情報部の人間だった[9]。慌てた職員がワシントン・センターに電話をかけレーダーがUFOを捕捉していないか質問を行ったところ、「その空域だけ、レーダー像が完全に空白だった」という答えが返ってきた。プロジェクト・ブルーブックの調査主任ロバート・フレンド空軍中佐が、この件を報告書にまとめ上官に提出した。UFO事件は空軍が全面的に担当するというのが当時の政府の方針であったが、「別の政府機関が調査を行っている」という理由でアメリカ空軍によるさらなる追跡調査の要請は拒否された[11]。
オハイオ州・軍用ヘリコプター遭遇事件
1973年、米国オハイオ州マンスフィールド上空のヘリコプター上にて、陸軍予備隊の四人の乗員が謎の「赤い光」を目撃した。赤い光は移動と停止を繰り返し、最終的には600ノット以上の速度でヘリに向かって接近した。ヘリコプターのパイロットは回避行動を取り、無線で進入管制に連絡したが、すぐに無線は使用不能となった。赤い光は衝突の間際で突然にヘリの前方で停止した。ヘリコプターは急激な方向転換により落下し始めようとしていたが、すぐに上昇し始めた。乗員は、どう見てもUFOがヘリコプターを光で引き上げているようにしか見えなかったと語っている。ヘリが吸い上げられ静止したその瞬間、ヘリの乗員は葉巻型で金属の外観をしたドーム状の物体を見た。目撃時間は少なくとも5分間だった。その物体は下方に緑色のビームを放っていたが、そのビームは方向を変えヘリの操縦席やコックピットを「緑色の光」で覆った。数秒後、物体はきっちりと45度の角度で右へと方向を変え、加速して西へと去っていった。
同時刻、マンスフィールドから南東にある自宅へ車で帰宅していたErma夫人は、ヘリコプターと赤い光が上空で交わる姿を目撃していた。赤い光は停止すると緑色に強く発光し、あたり一面が緑色に覆われた。また現場付近に住んでいたJeanne Elisは、家の中が緑色に染まる光景を目撃している。
ヘリコプター乗員の一人であったLawrence J. Coyneは、この事件のすぐ後に体外離脱を体験している。すると直後に陸軍から呼び出しを受け「事件後、体から離れるような夢を見たか?」と質問調査を受けたことを明かしている[33]。
この事件はベテランを含むヘリコプターの乗員4名と地上の複数人が事件の目撃者で信頼度が高い UFO 目撃事件とされている[11][34][35]。
レンデルシャムの森事件
1980年12月27日、 イギリスのレンデルシャムの森に正体不明の光体が降下していくのを、駐留米軍の警備兵が目撃した。森の中では、光り輝く金属製で直径3mの三角形の飛行物体が発見された。一連の出来事は、米空軍基地司令官のチャールズ・L・ホルト中佐を含む複数人により目撃され、報告書にまとめられた。
マンテル大尉事件
1948年1月8日(現地時間では1月7日の午後)にアメリカ合衆国ケンタッキー州にて発生したUFO(未確認飛行物体)目撃とそれに伴って起こったアメリカ空軍機の墜落事件。空軍はこの事件は、当時よくUFOに誤認されていたスカイフック気球の誤認によるものだと発表した。
ゴーマン少尉事件
1948年10月1日、アメリカのノースダコタ州の高度300mにて、空軍基地に帰還しようとしていたジョージ・ゴーマン(George F. Gorman)は、時速400キロメートルで浮遊しながら点滅を続ける光を発見した。光は管制官からも確認された。ゴーマンは追跡に移ったが、光体の速度が速すぎるため不可能と判断した。この時ゴーマンは一時失神したが回復した。ルートを先回りして光体を捕捉する作戦に変更したゴーマンは、光体と機体がすれ違う瞬間、直径20cmで白く輝く物体を目撃した。光体は20分もの空中戦の後に上昇して消えた。
この事件でのゴーマン少尉の証言は混乱していた。ちょうどその頃に基地上空には観測用気球が浮いていたため、これがUFOの正体であったと空軍は後に公式発表をした。さらに後には、「失神後にゴーマンが見たUFOはレンズ効果で拡大された木星である」という説が浮上した。つまり通説は以下のようなものとなる。夜間のコースを飛行中だったゴーマンは観測用気球をUFOと間違え追跡し、失神した。すぐに意識を回復をしたゴーマンは、次に木星をUFOと見誤ってドッグファイトを仕掛け、錯乱した[36][37]。
トリニダーデ島事件
1957年12月から翌年の1月にかけて、ブラジル海軍が国際地球観測年に向けての観測基地を南大西洋に浮かぶトリニダーデ島に設営する際に、数回にわたり観測隊員や島民が円盤型の飛行物体や光を目撃したとされる伝達情報。日本のUFO愛好家の間では昔からあった有名な話であり、たびたび出版されている。出版物などで同島を「トリニダーデ島」と呼ぶが、正しい名称は「トリンダージ島」(Trindade、ポルトガル語であり綴りが異なる)である。トリニダーデ島(Trinidad、元来はスペイン語)とは北半球のカリブ海にある別の島であるので、誤訳といえる。超常現象としてのUFOの話にはこのような誤訳が多い。
この話はブラジル国内ではほとんど知られていないが、他国では書籍の写真を通して有名である。同島はブラジル東南部のエスピリトサント州の沖にあり、本土から1200キロメートル以上離れている[:pt]。居住島民はおらず、海軍の駐在所と科学研究員の宿泊施設がある。
1958年1月1日にブラジル海軍長官と観測隊員が同島周辺を飛行する光体を目撃したとされた。同月15日と16日には海軍練習船アウミランチ・サウダーニャ号(Almirante Saldanha )が観測船として同島に接近したときに円盤型の飛行物体が出現したとされる。ただし、この目撃例は地球観測年だけのもので翌年以降はない。また、「公認のUFO写真」という有名な写真が海外の雑誌に出版されたが、ブラジル海軍は遭遇を認めていないので「公認」の写真ではない。
写真に写っている物体は湿った大気中を飛んで水蒸気に囲まれた飛行機という意見もあり、ツインボナンザという機種が似ていると研究されたが、特定されてはいない。写真は4枚の連続写真であり、一枚目は飛行機の側面から、二枚目以降は正面からとられたものと推測されている。一枚目はぼんやりと土星型に写っているが、二枚目以降はもっとはっきりとした円盤型に写っている。それが水蒸気に包まれた双発のプロペラ機を正面から見た形に似ていると指摘する研究者もいる。しかし最近のデジタル化した写真の分析により、二重露出で物体を写したものという意見が説得力をもっている。
写真を公表したのは海軍ではなく、同行したカメラマンであるアルミロ・バラウーナ(Barauna)であった。彼にはトリック写真を作る技術があり、この事件以前にも偽UFO写真を撮って「UFOに追いかけられた」というジョーク記事も書いたことがある。この件も面白そうな形に写った飛行機の写真を思わせぶりに見せただけだと考えられるが、結果として国外では大変有名になってしまった。ブラジル最大の新聞「O Globo」[:pt]は、バラウーナのいたずらと結論付けた。詳細はWikipediaポルトガル語の同項目を参照[:pt]。
ヴァルジーニャ事件
メキシコ空軍UFO事件
2004年3月5日に、麻薬密輸の監視にあたっていたメキシコ空軍機が十数機のUFOに遭遇し、追尾されたとする事件。赤外線探知機の画像には、よく見れば静止した物体であることがわかる11個の点が映っていた。しかし、メキシコ空軍が公式に発表したために世界各国で報道された。その後、地元のUFOに肯定的な団体の調査により、UFOの隊形と煙突の配置が同じであること、画像の「UFO」は移動していないことから、海上油田の煙突の炎の誤認だと結論されている。メキシコ政府は公式発表についてその内容を変更してはいないが、そもそもの「発表」が、報告を受けた将官が知人のUFOマニアに見せた以上の調査もせずに行われたものだ[要出典]。
アブダクション(第4種接近遭遇)
UFO現象の中には、「UFOに誘拐された」とする「アブダクション」の事例報告が存在する。体験者によると、UFOによりUFOの中に誘拐され、医学的な手術を受けたり、小さなトランスミッション(発信機)を埋め込まれたり、実験や研究の対象となったという証言、場合によっては性行為の対象となったという報告もある。多くの場合、体験者はトラウマを抱え込むことになる。宇宙人と好意的な関係を結んだとする「ポジティブなケース」も存在する。アブダクション時には体外離脱などの現象も起こるため、ある研究者は臨死体験との類似を指摘している。(→#臨死体験説)
アブダクションにはある特定の傾向がある。「アブダクトされたという時間と場所に、確かにいるはずの人がいない」「帰ってきたときに、身体に異常な痕跡が残っている」「複数人が同時にアブダクトされ、お互いの体験を検証できる」といった特徴である。またアブダクションを報告するものはUFOコンタクティーと混同されることが多いが、殆どのアブダクション体験者は、その体験で金銭を得ようとはしない傾向がある[9]。また多くの場合、自分の体験が異常なものであると感じるため、体験者は自分の存在を公にしたがらない傾向がある。アブダクションの対象となった人々は博士・医師・弁護士・教授などの職業層から非熟練労働者まで広い範囲にわたっている。
アブダクション体験は証言のみで物的証拠が伴わない場合が多く、調査の結果フィクションであることが判明したケースも増えている。物的証拠については、体内に埋め込まれたトランスミッションを後からMRIやCTで発見し、手術によって取り出した、とする事例もある(それは小規模な脳梗塞などの画像だとする説もある[38])。
数多い報告の1つに「鼻の奥に球状のインプラントを埋め込まれた」という例がある。この場合、医師により鼻孔の奥が調査された結果、証言通りに謎の金属球が発見されたり、鼻孔に説明不可能な穴が開いている事が確かめられたケースもある。宇宙人の子供を授かったというケースでは、妊娠が確認された体験者の体内から、いつのまにか胎児が消えていたことを医師が発見したケースがあるという[39]。アブダクション後には癌が治癒していたと語る者もいる[40]。2013年のシチズンズ・ヒアリング・ディスクロージャー公聴会には、エイリアンにアブダクションされたと主張する人々の身体を調査を行った医師が参加し、全く傷跡のない患者の体内に異物が混入していたケースが存在したことなどを証言している。
虚偽記憶説・出生外傷説
これらのアブダクション現象については虚偽記憶(False Memory)で説明できるという考え方がある。アブダクション体験談の多くは催眠状態の誘導により思い出されたもので、そこに虚偽記憶が介在する余地があるため、信頼性の高い情報とはいえないという側面がある。
研究者であるデイヴィッド・マイケル・ジェイコブズはこの虚偽記憶説を批判している。アブダクション体験者は互いに面識がなく、UFOについての知識がないにも関わらず一般に知られていない詳細なアブダクション現象の共通点を同じように報告してくるため、それらが作り話や虚偽記憶であるという可能性は極めて低いと述べている。もし催眠下にある人間がアブダクション体験を捏造しようとした場合、その報告はバラバラで全く共通点がなくなるという実験結果も出ている。(アルヴィン・ロースンの実験)[39]またUFOとの遭遇を直接思い出した者と、催眠により思い出した者とが語る証言には、実質的な違いは何もないと結論した研究もある[41]。アブダクション体験者の中には、催眠を用いずに体験を思い出した例もあり、そうした体験者がウソ発見器をパスしたケースもある(1973年のパスカグーラ事件など)。
アブダクション現象は幼児期の性的虐待の記憶が多くの人間に虚偽記憶として蘇っているのではないかとする「出生外傷説」がある。スタニスラフ・グロフがLSDを用いた研究では、出生外傷に基づくと思われる意識状態にて、第4種接近遭遇とよく似た現象を報告した者がいる[10]。しかし、この説では「アブダクション体験者が催眠により虐待そのものの記憶を取り戻さないこと」や「多くのアブダクション体験者が子供の頃の虐待体験を否定していること」などの事実の説明がつかない[39]。
ヒル夫妻のアブダクション事件
ベティ・ヒルとバーニー・ヒルの夫妻は、1961年9月19日から9月20日まで地球外生命体に誘拐されていたと主張した。催眠療法により両者が同じ記憶を思い起こしたことが話題となった。この事件はアブダクション事例の中でも最も有名なものとなり、様々な議論を呼んだ。
トラヴィス・ウォルトン&ムーディ軍曹事件
1975年11月、アメリカ合衆国アリゾナ州の国有林地帯で、発光する飛行物体を森林作業員である7名が目撃した。その内の1人であるトラヴィス・ウォルトンが飛行物体に駆け寄ったところ、青い閃光がトラヴィスを撃ち倒した。残りの6名はその場から逃げ、10分後に戻ってくるとトラヴィスの姿と飛行物体は消えていた。直ちに捜索が行われ、50人以上の人員が3日間の捜査を行ったが骨折りに終わった。事件から5日後、トラヴィス本人から公衆電話で連絡があり、生存が確認された。トラヴィスの証言によると、意識が回復した時にはUFO内のベッドに寝かされており、周りには肌白くて、体毛のない、異様に大きな目を持った人間の胎児そっくりの生物がいて、こちらを凝視していた。トラヴィスは再び気を失い、気が付けば森の中に倒れていた、とのことであった。
トラヴィスの右肘には原因不明の赤い斑点があった。トラヴィスは心理緊張度測定機やウソ発見器などの調査を受けたが、これらすべての調査をパスした。事件の調査にあたった専門家は、トラヴィスが第3種接近遭遇をしたことは間違いない、とした。UFOが出現した現場の樹木の年輪には明確な変化が生じており、高い放射能も計測された[42]。しかし、UFO否定論者のフィリップ・クラスが、トラヴィスや他の目撃者の受けた心理検査には欠陥があった、と批判すると、多くのマスコミは「捏造説」を報道し始め、激しい論争が起きた。
トラヴィス・ウォルトン事件の起こる3か月前には別の事件が起きていた。1975年8月、米空軍のチャールズ・ムーディ軍曹は、ニューメキシコ州のホロマン基地近くの砂漠で「小さな球状の物体が3つ突き出た円盤」が降下してくる姿を目撃した。ムーディ軍曹は車で逃げようとしたが何故かエンジンは動かなかった。円盤には窓が現れ「地表を滑空するように」2人の人物が近づいてきた。軍曹は2人に飛びかかったがそのまま意識を失った。気が付くとムーディ軍曹はベッドに寝かされており、周りには「頭でっかちで毛が一本もなく大目玉の」生物がいた。生物はムーディ軍曹の身体検査を済ませると流暢な英語で「具合はよくなったか」「また殴りかかったりしないと約束すれば自由にする」と語ったという。ムーディ軍曹が円盤の内部を見せてほしいと頼むと、生物はあっさりと承諾し、大きな水晶のある部屋に彼を連れて行った。生物は、本当は地球人もこうした事柄を理解できるのだが勉強しようとしないのだ、と語った。生物としばらく話していると、軍曹は再び気を失い、気が付けば車の中に座っていた。ムーディ軍曹はこの件についての報告書を提出し、心理緊張度測定機によって診断されたが、本当のことをいっていると診断された。軍曹の首筋には原因不明の赤い斑点があった。
この2件のアブダクションは3か月の間を置き、非常に近い現場で起きている。また互いに面識のない2人であるトラヴィスとムーディ軍曹が描いた「異星人」の姿のスケッチが余りにも酷似している、として注目されたアブダクション現象である[11][10]。
リンダ・ナポリターノ事件
1989年11月30日深夜、アメリカ東部ニューヨークのマンハッタンにて、マンションの窓をすり抜けて女性が空中に浮き上がり、上空の UFO に吸い込まれるという事件が起きた。この光景を、第5代国際連合事務総長であるハビエル・ペレス・デ・クエヤルと彼を護衛する二人のボディガードが目撃していたとされる。アブダクションされた女性リンダ・ナポリターノは後に退行催眠などにより事件の記憶を思い出した。またデ・クエヤルはこの目撃談の存在を否定した[29]。
後に研究者のバッド・ホプキンズがこの事件を調査している。ホプキンズが取材を行ったところ、国連事務総長であるデ・クエヤルは、アブダクションは事実であったと述べた上で「それを自ら公表することは混乱を招くのでできない」と発言した。また目撃者は他にも存在していた。郵便局員とジャーナリスト、電話交換手など複数の者が、リンダが空中に吸い込まれていく光景などを目撃していた[37][43][44]。
UFOについて言及した著名な人物
元宇宙飛行士
- エドガー・ミッチェル
- 2008年にイギリスのラジオで「UFO現象は事実であり地球には異星人が訪れている」「政府は60年以上そのことを隠してきたが情報が漏れつつある」と述べた。またミッチェルによると、彼のほかにも数人の宇宙飛行士が、宇宙に飛び立つに先立ち「異星人は地球に来ている」という事実だけを簡単に説明された、と語った[45]。また後のインタビューでは「アブダクション事件は、宇宙人ではなく地球産のUFOが起こしている」という趣旨の発言をしている[46]。
- エドウィン・オルドリン
- アポロ11号にてニール・アームストロングと共に初の月面着陸を成し遂げたバズ・オルドリンは2005年に、『サイエンス・チャンネル』という番組でUFOとの遭遇について報告した。オルドリンによると月面に降りた際に「円筒形の物体」が観察できるほど近くにあった。また飛行中もアポロ11号に覆いかぶさるほどのUFOを目撃していた。そしてNASAはその事実を隠したと番組中で語った。しかしオルドリンは2年後の2007年のインタビューで、「99.9パーセント、あれは宇宙船の分離パネルだった」と、前言を撤回した。その2年後の2009年にオルドリンは「火星の衛星フォボスには、人工構造物である巨大な石板が存在する」と語っている[45]。
- ジェームズ・マクデビッド
- ジェームズは1965年ジェミニ4号で飛行中に「ポールの突き出た円筒形の飛行物体」を目撃した。ジェームズは後にその物体は異常なものではなかったと述べた[47]。
- ドナルド・スレイトン
- マーキュリーの元飛行士スレイトンは、1951年に飛行機のテスト中、直径1mほどのUFOを目撃したと述べた。スレイトンによるとそれは明らかに観測用気球ではなく、時速480キロメートルで飛ぶ飛行機を軽く引き離し、突然急上昇して上空に消えた[47]。
- ゴードン・クーパー
- クーパーは1951年に未確認飛行物体が編隊を組んで飛んでいるのを目撃したと語っている。また後にクーパーは宇宙飛行士の名声を利用して嘘の情報を流し利益を上げようとする人間が多いため、殆どの宇宙飛行士はUFOについて論じるのを渋っている、と話した[47]。1955年にゴードン・クーパーのチームは、金属製で円盤型のUFOが3本の着陸ギアを下ろして着陸する現場を目撃した[48]。1963年にはオーストラリアのパース上空にて、クーパーは「赤い尾をひく、緑色の物体」を見た。
- 1976年のLos Angeles Herald Examinerのインタビューでは「他の惑星から知的生命体が、われわれ人類と接触しようとして、定期的に地球を訪れている。宇宙を航行している間にも、私は多くの宇宙船に遭遇した。」「NASAとアメリカ政府はこのことを知っており、膨大な証拠を持っている。にもかかわらず、一般大衆に知らせまいと沈黙している。」と語っている[45]。
政府関係者
- ポール・ヘリヤー
- 元カナダ防衛大臣のポール・ヘリヤーは2013年に「少なくとも4種類のエイリアンが何千年もの間、地球に来ている。」「今いるエイリアンのうち5種類の名前は「ゼータ・レティクル、プレアデス、オリオン、アンドロメダ、わし座(アルタイル)」「UFOの情報開示を阻む、既得権を持つ「陰の政府」がアメリカには存在する」と発言した。後にインタビューにて「1961年に50機のUFOが編隊を組み、ロシアから南下しヨーロッパを横切った」「ほとんどすべての(エイリアンの)種族は、人間に対して友好的で人間を助けたがっている」と述べた。
- キルサン・イリュムジーノフ
ロシア連邦カルムイク共和国の大統領であるキルサン・イリュムジーノフは、2010年4月26日にロシアの国営放送に出演した際、宇宙人に連れ去られた経験があることを明かした。宇宙船は半透明のチューブ型で、宇宙人は黄色い服を着ていた。彼の運転手と大臣、補佐官もこのことを目撃したと書いている。- ドミートリー・メドヴェージェフ
- ロシア首相(前大統領)であるドミートリー・メドヴェージェフは「地球外生物は地球を訪れているだけではなく、実際我々の中で既に生活している者もいる。」「大統領が引き継ぐ「宇宙人ファイル」が存在する」と発言した。この発言はジョークであるという見方もあり、物議をかもした。
- ジミー・カーター
大統領は、自ら未確認飛行物体を目撃したことがあると公に認め、大統領在任中には情報公開法に基づいて多くの政府による未確認飛行物体情報を開示した。ただしこの場合、未確認飛行物体(UFO)とは「自然現象か鳥か航空機か、あるいはそれ以外の物か判別できない物体」を指す、航空・軍事用語でのUFOを意味する。- ロナルド・レーガン
- カーターの後任であるロナルド・レーガン大統領も、公式の記者会見において未確認飛行物体の存在を認める発言を数回に渡り行っている。
- 鳩山幸
- 自身の著書でUFOに乗って金星に行ったと述べている。
軍関係者
UFOについて、実名で言及した軍関係者は数多い。
- ウラジーミル・チェルナヴィン
- 元ソビエト連邦海軍総司令官でありソ連邦英雄。2009年に行われたインタビューで、ソ連海軍には海面上で不可解な物体に遭遇した多数の事例があることや、専門の分析部門がそれらを分析していたことなどを明かした。チェルナヴィンが明かした情報の中には、元海軍のVladimir AzhazhaによるUFOの統計情報があり、それによればUFOとの遭遇事例の5%は海に、15%は湖に関連していた。また、ロシアの潜水艦を追跡した正体不明の6つの物体が、海中から飛び出し空中へ飛び去った事件が存在することなどを明かした[49]。
- フィリップ・J・コーソー
- 元アメリカ陸軍情報将校。著書『ペンタゴンの陰謀』(邦訳は1998年に二見書房刊行)において、アメリカ政府がロズウェル事件で墜落したエイリアンクラフトを回収しており、そのリバースエンジニアリングによりステルス技術など多くのハイテクを獲得・開発したと主張した。この主張は科学技術史的に辻褄が合わないものであり多くの研究者に捏造話であると批判されている[50][51]。
- ロバート(ボブ)・ディーン(Robert Dean)
- 元アメリカ陸軍下士官曹長。北大西洋条約機構(NATO)在籍中に異星人ファイル「アセスメント」を閲覧し、そこには4種の人間型の異星人情報が書かれていたと証言した。それらは多次元的な存在であり、太古から人類と親密な相互関係をもつ者たちだと述べた。2009年にスペインで開催されたヨーロピアン宇宙政治学サミットでは、マリナー9号やソ連の火星探査衛星フォボス2が火星を撮影した際に、写真に人工的な建造物や都市が写っていたことを証言した[52]。
- ロバート・ウォーカー(Robert Walker)
- 元アメリカ陸軍少尉。アメリカ航空諮問委員会の施設公開時に、ドイツから研究目的で接収した円盤形の航空機を目撃したと証言している。後に銀色の円盤形UFOを写真に収めもしたが、フィルムごと没収されたと述べている[53]。
- クリフォード・ストーン
- 元アメリカ陸軍軍曹。1960年代のベトナムでUFOを目撃したことや1989年に軍を退役した時に57種類の異星人がアメリカ陸軍の目録に載っていたことなどを記者会見で語っている[54]。
- ミルトン・ウィリアム・クーパー
- 元アメリカ海軍将校。アメリカ政府に2種類の宇宙人が接触したことや、アメリカ秘密政府がUFO技術を有していることなどを講演会を証言した。
その他
- 横尾忠則
- 芸術家。著書でUFOとのコンタクト経験があることや宇宙人との交信記録を明かしている。横尾によれば、美術作品を創る上でサポートがあったという[55]。
- 木村秋則
- 農業家。世界で初めて無農薬無施肥のリンゴの栽培することに成功したが、それはUFO・異星人との遭遇体験によるものだと語っている[56]。
- アーサー・C・クラーク
- SF作家。UFOを計6回目撃したと述べている[57]。
- 山口百恵
- 1975年8月、仕事先の千葉県九十九里海岸で2機のUFOを目撃した[58]。
- ジョン・レノン
1974年8月23日に、ニューヨークにある自宅アパートのバルコニーの窓の真上に空飛ぶ円盤が接近してホバリングしているのを、恋人のMay Pangとともに目撃したと発言している。物体のサイズはジェット機に近く、円錐型の胴体の周りに白い輪が点滅しながら取り囲んでいた。通り過ぎていくUFOを見て、慌てて何枚かの写真を撮ったが露出オーバーで映らなかった。レノンの曲「Nobody told me」には「ニューヨークの上空にUFO がいたが、私はそんなには驚かなかった」と歌う個所があり、「Out of the blue」には「UFO のように君は私のところにやって来た。そして人生の不幸を吹き飛ばしてくれた」とある。元々UFOに関心を抱いていたレノンは、この事件を機にUFO現象にますます熱を上げていった[59]。
UFOの正体についての諸説
これら諸説は、いわゆる「超常現象としてのUFO」の存在を肯定して、その正体について言及するもの(宇宙人の乗り物説など)と、「超常現象としてのUFO」の存在を否定して、現在の人類が知り得る科学的知見の範囲内で説明するもの(誤認説など)と、2通りに大別できる。
宇宙人の乗り物説
エイリアンクラフト説ともいう。現在ではUFOという語から想像される一般的なイメージとなっている。この説の派生として、UFOは異星人が地球探索をするために送り込んだ探査機ではないかとする「惑星探査機説」などがある。
アメリカ軍人のダグラス・マッカーサーや研究家のジョン・A・キールは、ヨーロッパ戦線や日本上空で目撃された飛行物体(→#フー・ファイター)を検討した結果、この説に傾いていた[10]。
ドイツのロケット工学者であるヘルマン・オーベルトは、1952年にアメリカで起きたUFO大量目撃現象の調査グループの機関長に任命されていた。1954年の記者会見で彼はこう述べている。「これらの物体はある種の惑星間航空機だ。私の確認するところでは、それらは太陽系に起源するものではないが、途中のステーションとして火星などの天体を利用しているかもしれない。」そうしたUFOの「発進星」を飛行経路から推測した結果、オーベルトはくじら座τ星やエリダヌス座ε星を候補に挙げている。オーベルトはその後、心霊説に転向した。ドイツのヴァルター・リーデルや日本の糸川英夫など、ロケット工学者がこのエイリアンクラフト説を支持することがしばしばある[10]。
地球外起源説が一般に普及する際に大きな影響力を与えたものは、米国の「ライフ」誌に1952年に「我々は宇宙からの訪問を受けているのか?」と題して掲載された記事である。著者はロバート・ジナとH.B.ダラッチの2名であり、この記事のために未公表の10のUFO目撃の事例が機密解除されたと言われる。当記事では「UFOの挙動は地球上の材質によるものでは考えられない」とUFOの気球説、他国の秘密兵器説が批判された[9]。また、民間研究者であるドナルド・キーホーの著作やSF雑誌編集者であるレイモンド・A・パーマーの影響も大きい。「トゥルー誌」にキーホーが寄せた「空飛ぶ円盤は実在する」という記事は1950年代のアメリカのUFO観に大きな影響を与えた[29]。
UFOの地球外仮説を強く指示した研究者の1人にアリゾナ大学の上級気象物理学者ジェームズ・E・マクドナルドが挙げられる。彼は全米中のUFO目撃例を詳細に研究し、「現在得られている事実をもっともうまく説明できているのは地球外仮説だけである」と結論した。1966年当時、膨大なデータに裏打ちされたマクドナルドの研究のレベルは他の研究者を大きく上回っており強い説得力があった。[9]。
UFOの搭乗者が目撃されたケースでは、搭乗者は正体不明であるが、地球上の生物の特徴を有していないことから異星人であると解釈する目撃者もいる。またUFOを目撃したパイロットや技術者たちが「地球上の技術ではない」と感想をもらす例も多い[60]。アメリカ航空宇宙局の研究所で指導的立場に就いていたPaul.R.Hillは長年に渡って、UFOの飛行原理を解明すべく研究をしていたが、その技術はいまだ全く未解明であるという[61]。一方で、UFO搭乗者が自ら異星人であると名乗ったと証言されたケースも極稀に存在する。
エイリアンクラフト説の問題点は、UFOが彼らの星から地球までの大きな距離をどうやって大挙してやってくるのか説明できない点である。光速よりも遅い速度であれば時間がかかりすぎるし、何らかの方法でUFOが光速に近づけば船体が溶けるほどの高温になるという問題が発生する。星間ガスとの摩擦も減速要因になる。カール・セーガンは、UFOが遥か彼方の異星から来ていると想定すると、あまりにも頻繁に出現しすぎている、と指摘している[10]。
精神投影説
UFO現象のうちいくつかは、それが起こる直前から無名のSF作家たちにより人知れず予想されていたケースがある。また超現実的で夢のような性質をもつUFO遭遇事例も多く、UFOの搭乗者が無意味な行動を取ったり、地球上の衣服を身に付けていたり、当時流行していたサイエンス・フィクションの影響を受けている事例もある。これらから、UFOは人間の無意識が投影されたものであるとする見方がある。
ただし、UFOや異星人という概念自体が深層意識においてさえ存在しない時代の目撃例は、この説では説明がつかない。(→#9世紀のUFO搭乗事件)
集合無意識による投影説
UFO現象には元型的な体験が含まれている。そのため「普遍的無意識のエネルギーの投影により起きている」と分析心理学的に解釈することが可能である。1959年、分析心理学者のカール・グスタフ・ユングは、UFOは人間の集合無意識の産物であり、形成過程にある現代の神話の一種ではないかという説を唱えた。
研究家のジャック・ヴァレーは、UFOの搭乗者の奇妙な行動は、ヨーロッパにおける妖精や天使の伝説、アメリカ先住民族のトリックスターの伝説と共通点が多いため、UFO現象は近年になって発生したものではなく、太古から起きていた現象なのではないかと推測した[62]。
また、UFO目撃事件は各月の24日前後によく起きている事実がある[63]。こうした傾向は、比較的に信頼性が高いとされる目撃事件にも、創作の疑いが強いとされるストーリーにも同様に見られた[10]。
一方で精神投影がUFOなどの物質化を起こすのであれば、何故それはUFOに限られるのか。なぜ車やテレビなど見知った概念は物質化されないのか、と言った疑問も出ている。[13]
歪曲仮説(The Distortion Theory)
未知の異次元存在が、UFO目撃者の深層心理から材料を抽出し、物理痕跡を含めた劇を目撃者と共同創作した、とする説。
UFO現象においては、目撃者の心象がUFOや異星人の形となって現れるという奇妙な側面もあるが、一方で複数の目撃者がいたり物質的痕跡を残すケースもある。理解不能であり人間の集合無意識にも属さない「未知の知性体」が、複雑な構造の無意識を持つUFO目撃者の心とコンタクトを取ろうとしたとすると、その結びつきは歪曲作用を生み出すことが予想される。この歪みがUFO現象における気まぐれな側面となり認知されるという解釈である[64][65]。
異次元からの飛行物体説
UFOは隠れた現実である「異次元」から来ているとする説。「精神投影説」のように、UFOを「心理現象」であると解釈してしまうと、UFOの着陸跡(焦げ跡など)やレーダー上の航跡、アブダクションされた人々の手術跡などの物理的痕跡の説明がつかない。そこで人間の意識が投影された異次元が存在することを想定し、そこからUFOが現れると推測する説が成り立つ。「UFOが地球外の物であることを示す証拠は何もないが、時空を超越した異次元からきている証拠は山ほどある」と研究家であるジャック・バレーは指摘しており、アラン・ハイネックは、UFOが突然出現し、忽然と消え去る現象が多数目撃されているため、それらは他の惑星からやって来たものではなく、異次元からやってきたものではないか、とコメントしている。
ノンフィクション作家のマイケル・タルボットは、現実とは決して客観的なものではなく人間の精神が生み出す間主観的なホログラムである、と述べたうえで、ホログラフィックな別次元からUFOが現れるのではないかと推測している[62]。
神秘体験説
変性意識状態に入った人間がUFOとの遭遇を異次元にて起こした、と解釈する説。UFOとの遭遇時には体外離脱を経験する者も多く、そうした例では何らかの変性意識下の状態にあったと推測される[41][62]。(→#アブダクション(第4種接近遭遇))
臨死体験研究者であるケネス・リングやハーバード大学の宗教学教授であるキャロル・ザレスキーによれば、UFOとの遭遇はシャーマンが隠された次元に旅する時に遭遇する神話的な現実と似ているという。研究家のダニエル・ピッチベックは我々の世界に別次元から干渉している妖精や異星人などの存在が太古から存在し、シャーマンのような特殊な資質をもった人間だけが彼らを知っていたのではないか、と述べている[66]。
臨死体験説
立花隆によれば、臨死体験を経験した後に、UFOと遭遇する者は少なくない[67]。臨死体験の研究者であるケネス・リングが収集した事例では、その体験が臨死体験なのかUFO遭遇体験なのか区別できない事例が複数あったという。
一例として、ニューヨークに住むある女性が腫瘍で倒れ、体外離脱を経験した後に、気が付けば宇宙の施設内の手術台の上にいたという事例がある。女性が窓から宇宙を眺めていると「7人位の背の高い痩せた何か」に囲まれ「それ(腫瘍)はもうなくなった」と告げられた。女性の意識が地球に落下していき、肉体の中に戻ると、腫瘍が消失していることに気付いた。[41]
タイムマシン説
「UFOは未来の人々が開発した、時間移動を行うために使用する乗り物(タイムマシン)である」とする説。UFOが消えたり現れたりすることを空間移動ではなく時間移動と解釈する。
フランスのUFO調査機関であるGEPANの設立者ルネ・フーエルは、UFO搭乗者が一般的に人類との接触を避けているのは、彼らが未来人でありタイム・パラドックスを避けている可能性があると述べている。
歴史上の重要な時点でUFOが目撃されることがしばしばあるが、これは未来人が過去の重要な場面を選んでいるからだという推測もある[10]。例えば20世紀直前の時期には飛行船が将来に実用化されると考えられていたが、当時のUFOは飛行船の形態と似ていた。第二次世界大戦中には爆撃機のマーカーとして輝くキャンドルが使用されたが、当時のUFOは発光する球体の形をしていた。第二次大戦後の1946年にはロケットの形をした「ゴースト・ロケット」が世界を騒がせた。1990年代には米国のステルス戦闘機を真似た三角形型のUFOが目撃された。これらの物真似はその時代にどういった種類の飛行物体が製造されるのか前もって知っていなければ不可能である。[13]
UFOと遭遇し20分間行方不明になっていた男性が、発見された時は5日分の髭が伸びていたというケースがある。UFO搭乗者が、地球の言語を話したり、地球製の衣服を着ていたり、地球の食物を食べていたという事例も見られる。また極稀に搭乗者が目撃者に対して「今は何年か?」と尋ねたり、未来の地球からやってきた、と証言するケースもある[13]。UFO搭乗者の姿は、背が低く頭の大きな子供のような姿で描写されることが多いが、これはネオテニーが進んだ未来の人類の姿であるという推測もある。
「宇宙人が地球に来訪するのは物理的に困難であることから、宇宙人説よりは可能性がある」とする人もいる。宇宙空間は極めて広く、通常の光速以下で飛行する方法で宇宙空間を移動し地球に向かう場合には、移動には極めて長い年月を必要とする。そのためワープのような技術が想定されているが、比較的自由なワープが可能ならばその技術を利用してタイムマシンも可能になってしまう(ワープを参照)。つまり、この点でもUFOが宇宙人の乗り物であるよりは、タイムマシンである可能性が高いという者もいる。この説の提唱者にはジョン・タイター(2036年から来たと自称する男性)などがいる。なお、現在の物理学的知見では時間移動は未来に向かってしか行えず、タイムマシンは実現が不可能である。過去への移動についてはタイムパラドックスのために不可能であり、同様にワープも現実には不可能とされている。
秘密兵器説
自国を含めて、地球上のどこかの国の軍部によって秘密裏に開発されている戦闘機や兵器ではないかと言う説。冒頭で述べた通り、UFOの正体についての諸説は、いわゆる「超常現象としてのUFO」の存在を肯定するか否定するかで2通りに大別できるが、本説はその両者を含む。つまり従来の科学的知見を超えた秘密兵器を極秘裏に開発しているのではないかという主張と、単に見慣れない格好の航空機を誤認したに過ぎないという主張である。
新兵器を誤認したという観点では、例えばアメリカ軍であれば、XF5Uフライングパンケーキ、YB-49、F7Uカットラス、F-117ナイトホークなどの航空機が候補にあげられる。一般人からすると、形状が奇妙だったり開発・運用が秘密だったりするこれらの機体は「UFO」(正体を明かされていない飛行物体)である。それらの新型機はいずれも民間空港で見慣れた形態ではなく、全翼機などの近未来風のSF戦闘機を彷彿させる形状をしており、常識を超えた速度(目視による速度の見積もりは問題が多い)で飛行できるなど、超常現象としてのUFOの目撃例と類似した点が見られる。実際、アメリカのネヴァダ砂漠にある空軍基地エリア51は、新型飛行機を含めた新兵器が開発・訓練するための基地である。当然のことながらこれらは軍事機密である。マンテル大尉事件においては、海軍が開発していたスカイフック気球を誤認したというのが、有力な説かつ空軍による公式見解であるが、当時のスカイフック気球は海軍の機密事項であったため、その存在を知らない大尉にとっては本来の意味においての「未確認飛行物体」であった。また実際に電波をすべての方向に均等に反射する目的で、円盤型の実験機が1950年代に製作されたこともあったが、空力的安定性があまりにも悪いために実用化には失敗した。
だが、この説明には次の指摘もある。多くのUFOは相対した軍用機や基地の設備に明確な電磁効果を及ぼしていた事実が報告されており、仮に地球製のUFOがあるならばそれはジェットのような気流を利用したものではなく、未知の電磁効果による機体重量の制御による飛行体ではないかと言う意見である。
それを説明するかのように近年、次のような説が流布され始めている。
大戦中のナチス・ドイツは様々な形態の航空技術を研究しており、戦前から未知の電磁効果を利用した円盤型の乗り物を研究し、それが一定の成果を挙げたことからその兵器化を計画し、原爆よりも高い機密レベルに位置づけて、電磁気関係の科学者や専門家達の投入を決定した。開発計画担当組織はSSのE-4/E-5セクション。
第二次世界大戦に入って間もない頃には、技術的な実験機としてブリル型のシリーズを、そこからの技術的な集大成としてハウニブと呼ばれる機体が併行して製作・実験飛行が繰り返され、最終的に最も先進的かつ信頼性の高い機体として設計された大型機のブリル8がドイツ陥落直前に脱出機として活用され、完成した端から大勢の科学者達を乗せて国外へ避難させた後、特殊な技術的な実験機として研究されていた鐘(Bell)型の航空機を含めた全ての円盤機研究基地はSSの手によって次々と閉鎖・破壊されていった。
その頃ようやくドイツ国内へ進撃したアメリカ軍は、逃げ遅れた数名の開発関係者を捕らえたり、かろうじて残されていた残骸や崩落した土砂の中に埋もれていた一部の機体や技術資料を接収するなどして、基礎的な手がかりを得る事で本国での研究を開始した。
だが数年後に、策源地のドイツ本国を喪失した状態での先行きに不安を感じたナチス残党軍が(アメリカ国内のスパイ網を通じて)アメリカ政府に接触を計り、アメリカ側は彼らとの取引を通じて、手に入れた数々の技術情報によって実用的な円盤機の開発を成功させ、地球製UFOとして極秘宇宙開発に運用したという説である。
他に東西冷戦期には「ソ連の新型機」ではないかという説も盛んに主張された。確かに冷戦時代のソ連にはTu-95、Tu-160などの爆撃機をベースに改造された超長距離偵察機なども配備させていた。現在もロシアにそれらの機種は存在し稼動中である。これらは、しばしばアメリカ本土付近に現れ防空識別圏(時には領空内にも)に侵入し、挑発的偵察活動を行った。日本付近にも現れた記録がある。2013年3月には、ロシアのSu-27戦闘機二機が北海道北部にある利尻島の日本領空に出現した。これらの偵察機は、米軍機や航空自衛隊など西側諸国の空軍機によって確認された場合もあったが、目視確認される前に飛び去った場合も多々あった。戦闘機が超音速で飛行できる時間はごく限られているので、亜音速偵察機でも時間に余裕があれば邀撃機に捕捉確認されずに十分遠方に逃亡できる。確認できなかったものはUFOとしてアメリカ空軍の公式記録に残った。UFO記録の一部は逃亡に成功した偵察機である可能性が高い。軍事行動の多くは機密に属するため情報隠蔽が多々発生し、それらが陰謀論を助長する。このような挑発的偵察活動は、現在においても日本とロシアや中国との国境海域で多々発生している。すなわち、日本付近に未確認飛行物体が多数飛来している。2010年以前にはロシア方面から飛来した未確認飛行物体が多かったが、以後は中国方面から飛来した未確認飛行物体が多い。これらのうちいくつかはスクランブルで確認されているので、その時点で未確認飛行物体ではなくなった。
従来の科学的知見を超えた秘密兵器を極秘裏に開発しているという観点における秘密兵器説については、イギリスのUFO研究家でありリチャード・グリーンウェルは、ある問題点を指摘した。UFOが(世界各地の民間人の目にも触れるほど)頻繁に目撃され始めたのは、軍用ジェット機がようやく実用化され始めた第2次世界大戦直後であり、仮にアメリカやソ連がUFOを有していたならば、その後に効率の悪い軍事システムの開発に巨額を投じる必要はなかった、という点だ[10]。
これに対しては異論もある。仮に電磁気的な手段で機体の重量を軽減できる航空技術が存在した場合、それは途方もないレベルの省エネ技術や利便性の高い兵器の開発と普及に繋がる可能性があり、世界規模の産業界で最も巨大な影響力を持つ石油産業の利益と政治的影響力の急落は必至の情勢となり、それに深く連携する立場にある自動車産業や国際的な銀行家や兵器産業(いわゆる軍産複合体)に与えるビジネス上の悪影響も無視できないものとなり、彼らが”必要”とする巨額の軍需の多くが損なわれてしまう為、社会的に強大な彼らの敵意を買ってまで、そのような技術が存在することを公表することは当時のいかなる国家でも容易な事ではない。
それゆえ、地球製UFOに関わる科学情報と技術は世界的な裏の合意で非公開とする一方、公式の軍備や産業基盤を支える機材の規格や設計にはわざと原理的に不自由で不都合の多い古い科学原理を基礎とした技術に拘るように特許制度を含む法制度を整備・運用し、その枠組みの中で開発された兵器システムには法外な値段をつける事で多くの人々の目を欺いているのではないか?、という意見である。(又、念のために、既存の技術を先進的な研究で推し進めた上で、高度な兵器を極秘裏に開発させ、さも地球製UFOのように運用することで研究者の目を二重に狂わせて、追及の手を避ける工作も行われたとの指摘もある。)
誤認説
- 幻覚
- UFOやその搭乗者などの目撃は、幻覚の類のものであるという主張がある。この説の問題点は、多くの者が同時にUFOを目撃したケースや物的痕を残したケースを説明できないことである。
- 例えば報道などにより集団幻覚が誘発できるとしても、その目撃場所にはあまり偏りが生じないと思われる。実際は物体の直線の飛行経路数十km以上にわたって目撃を追跡できる事例がある。幻覚であれば直線に沿って起きることはない[13]。
- 人工物
- 遠くの車のヘッドライト、夜間に飛行する飛行機やヘリコプターなどを誤認したと言う説。不規則に明滅する人工衛星も誤認されやすい。これらが偶然に平行して移動していればより「本物」らしく見える。車のヘッドライトなら目撃者との間に木などの障害物があれば、不規則に明滅したり、瞬間的に消えたり現れたりしているように見える。複数台の車が通れば急速に左右に動いているようにも見える。また起伏のある道を走行している車のヘッドライトを遠くから見た場合も、不自然に明滅、移動しているように見えることがあるため、これらを誤認したという説もある。
- 観測用気球もよくUFOと誤認される。逆に気球を観測中にUFOが目撃された例もある[68]。
- 自然現象
- 珍しい自然現象を見た際に、そのショックと恐怖によりUFOと誤認したという説。誤認されやすい自然現象の例として球電現象、火球、流星、プラズマなどがある。金星や火星、木星も誤認されやすい物体としてあげられる。また空飛ぶ円盤が写ったと言われる写真が、実は鳥、コウモリ、ハエなどの昆虫、麦の穂、道路標識だったと判明したこともある。もし目撃した物が火球や流星であれば、気象台で確認することができる。必ずしもすべての火球や流れ星を気象台が把握しているわけではないが、寄せられた同様の目撃談の特徴から正体が判明することもある。また、月や木星、金星のようにほぼ静止している光源でも、動き回りながら見る人間にとってはUFOに見えることがある。これらの光点をピンボケ撮影するとUFOめいた写真が撮れる。ただし、こうした自然現象説では「金属型」のUFOの至近距離での目撃例などは説明が困難である。
- 気温逆転説
- 1952年に天文学者ドナルド・メンゼルはルック誌とタイム誌上でUFO現象は蜃気楼であり、低温の大気層が温かい大気層に挟まれたことにより起こるという「気温逆転説」を発表し話題を呼んだ。UFO目撃時の環境やUFOが砂漠で多く目撃されていること、そして最後には必ず消えてしまうことなどから、UFOの正体は空気であると唱えた。
- 構造の歪み理論(TST)
心理学者のマイケル・パーシンジャーによれば、地震や竜巻が起こる前後数か月から数年間にかけて、主に震央から数百km以内で異常な発光現象(ALP)が起こりやすいという。地質構造の歪みを誘起する電場が原因で深い岩石層から発光現象が起こる。それを目撃した距離が遠いとただの発光現象に見えるが、目撃者の距離が近いとその電磁的性質が人間の脳の側頭葉に影響を及ぼし、幻覚的なビジョンを見せるのではないか、と主張している。
- この説の疑問点は何故震央直近でUFOが目撃されないのか、と言った点である。また地下深くで電場が生じてもその効果は地表に及ばず待機中に紛れてしまう。電場自体は長い期間にわたって存在しており人間はそれに適応しているため嵐の時に我々の脳に幻覚は起こったりしない。自動車は電場を遮断するが、UFO目撃者の多くは自動車に乗っていることが多い。電場は地表への着陸痕やレーダーへの捕捉といった現象を残さない、と言った指摘もされている。[13]
- 地球光説
- 上記のパーシンジャーの説と違い、空中の発光球のみを対象とした説である。イギリスなど幾つかの地域では古来より光体が目撃されており、それは主に鉱床や旧鉱で見られ、多くは白色で50cm程のサイズである。この光体はすぐに消えるか、短時間だけ滞在する傾向がある。稀にかなりの高度まで上昇するものがあり、地表に触れると消失する。多くは水上や送電線付近、洞窟の入り口で目撃されている。地球光には電磁的な性質があるため、UFO遭遇者が電磁的な性質を帯びる傾向もこれで説明できる。[41][13]
組織的捏造説
一部の軍事評論家は、UFOの目撃談は軍事組織や情報機関によって捏造された物であると主張している[69]。これらは、上記のような実験機目撃談や実験の失敗などにより重大な機密が世間やスパイに漏れるのを防ぐため、敢えて超常現象としてマスメディアを通じて喧伝したり噂話を増長させることで肝心な部分から目を眩ます欺瞞工作であるというのだ。捏造自体はそれと証明された物が多いが、これらに軍や情報機関が関与している証言や物証は乏しく陰謀論から抜け出すものではない。ただし、エリア51のように、秘密兵器の研究基地であることがわかっている場合もある。テレビ局が超常現象を扱う人気番組を作るために故意に物語を捏造したり、偶発的に起こった騒ぎを利用したり誇張したりする場合もある。(→#ヴァルジーニャ事件)
イタズラ
「UFOを写した」とされる写真の中には、人工物や自然現象の誤認の他に、CGや特撮による作り物が多いことも知られている。近年はCGによってかなりリアルな画像を捏造するケースが多い。安価なカメラを用いても、トリックをうまく計画すれば、超常現象雑誌に掲載されるレベルの完成度の高い画像を作ることは可能である。「本物」とされ繰り返し出版された写真の中にも、後年になってトリックを見破られた例は多い。
なお、UFOのトリック写真には以下のものが多い。
- 吊るし型
ピアノ線など極細い糸を使ってUFOの模型を吊るし、それを撮影する。きわめて初歩的な技術であり容易さのために多用されるが、簡単に見破ることができる。スペインの「ウンモ星人」の円盤の例が有名(画像処理により、吊るしていた糸が見えた[2])。- 投擲型
- 金属製の灰皿、タイヤのホイール、CDなど円板状のものを投げ、それを撮影する。うまく撮影するためには熟練を要するが、雑誌に掲載するのには十分よい写真が取れる。
- 合成型
- 別々の写真を合成するもの。コンピュータが普及したことで合成が容易になるケースが増えた。しかし、熟練技術がないとよい合成写真はなかなか作れない。
- 投影型
- 強力な映写機や投光器を使って夜間、雲に光を当てる。UFO自体に人造物を使ったトリックではないために技法や造形の不自然さを見抜かれる危険は少ないが、強力な光源を用意しなくてはならないため、費用がかかる。自動車のライトが反射したものや、投光器などの投影光が誤認される例も多い。
- その他
- その他に窓ガラスにUFOのシルエットを模したシールや紙の切り抜きを貼り、ガラス越しに外の風景を撮影する、という方法がある。安易な手法であるが、よほどうまく作らないとよい写真は取れない。
この他に気球や凧を上げるなどの方法もある。これらは故意によらず誤認されることがある。マンテル大尉事件がその一例。
クロップサークル(ミステリーサークル)がUFOのような光によって作成されていたり、クロップサークルの近くをUFOが飛んでいたりする目撃談があることから、クロップサークルとの関連も考えられることが多かったが、クロップサークルの多くはイタズラであったと後に判明している。その典型がイギリスのダグ・バウアー(Doug Bower)とデイブ・チョーリー(Dave Chorley)である。この二人はミステリー・サークルの最初の製作者として名乗りを上げ、簡単な道具と人力によって立派なミステリー・サークルが比較的短時間で作れることを実演してみせた。この実証により、現在ではミステリー・サークルは人間によるイタズラと見なされるようになった。1990年9月17日、福岡県糟屋郡篠栗町の稲田で直径20メートルと5メートルのサークルが出現し、全国ネットのニュース番組で取り上げられた。篠栗町ではミステリー・サークルのテレホンカードを売り出すなど、町おこしに活用している。それをきっかけに2か月間に福岡県と佐賀県で5箇所で10個のサークルが出現するなど日本各地でミステリー・サークルが発見され、マスコミでも大きく取り上げられた。しかし、1991年10月、福岡県内で窃盗の常習犯として警察に検挙された高校生12人のグループが、篠栗町ミステリー・サークルを作ったのが自分たちだと自白し、いたずらと判明。この報道以降、日本におけるミステリー・サークル発生報告はほとんどなくなりブームは鎮静化した。
日本においての認識
ここに書かれた情報の多くは、航空・軍事用語での未確認飛行物体、UFOではなく、超常現象、エイリアンクラフトとしてのUFO学(UFOLOGY)的な意味での情報認識である。
一般
世界的に広がっているUFO目撃を発表しあう会では、元アメリカ軍関連者やNASA関連者、その他パイロットと称する人々がそれまで軍や政府、しかしこれらの会合は一般的に英語で行われていることが多く、また目撃の多いラテンアメリカではスペイン語、もしくはポルトガル語圏であることもあり、日本へはUFO関連のイベントや会誌など情報の認知に時間がかかってしまうためか欧米諸国のブームを後追いする形になっている。
ポルトガル語を話すブラジルで発生したとされる「ヴァルジーニャ事件」を、日本ではしばしば「ヴァージーナ事件」とするカタカナ綴りで呼ばれる。これはポルトガル語つづりを強引に英語読みにした誤読であり、情報伝達上に問題があった。また、ポルトガル語の「JARDIM」を公園と訳しているが、この場合はヴァルージーニャ市の区の名前であった。これらの誤読、誤訳、誤解釈は、ポルトガル語から英語に訳されたときに起こったと考えられる。詳細はヴァルジーニャ事件の項目を参照。
インターネットやデジタルカメラの普及により最近では現象を収めたという映像など、アマチュア発の情報が増えていることもあり近年では会の世界的な活動も易しくなってきている。youtube.comでの投稿数の多さは興味の高さを知る一つの手がかりとなる。しかし、投稿数が多いからといって、超常現象の信頼性が高いとは限らない。日本ではメディアで度々とりあげられるなどしているが、オカルト雑誌、オカルト番組などでしか取り上げられない。ヴァラエティー番組やワイドショーには登場してもニュース番組では取り扱われない。超常現象の意味でのUFOの情報には客観的かつ決定的な証拠が提示されていない、という現状がある。
日本国政府の対応と見解
日本領空周辺には防空識別圏が設定されており、未確認飛行物体の領空侵犯に対し、自衛隊は対領空侵犯措置をとる。航空自衛隊は戦闘機を緊急発進させ、海上自衛隊のイージス艦は対空戦闘用意が下令される。
日本国政府は、2007年12月18日に閣議決定された答弁書において、「地球外から飛来してきたと思われる」[70]飛行物体について「存在を確認していない」、「研究も飛来した場合の対策も行なっていない」[71]としている。なお、この答弁書については、町村信孝が、同日行われた定例記者会見において「政府答弁は政府答弁であり、私は個人的には、こういうものは絶対いると思っております」[72]と笑顔で答えたため、多くのマスコミで報道された[73](当時内閣官房長官)。また石破茂は、同年9月27日に放送の日本テレビ『モクスペ』「UFO vs 世界の科学者100人」のインタビューで「UFOが領空侵犯したらどうすべきか役人と議論した」と語っており[74]、核兵器の使用を在日米軍に要請するかの議論が必要としている。同年12月20日に行われた会見において、「防衛省の見解ではなくあくまで個人的見解である」と前置きをした上で「未確認飛行物体、それを操る生命体(当然人類もそれに含まれる)が存在しないと断定しうる根拠はない。(中略)少なくともないと断定するだけの根拠を私は持っていない。そういうものはあり得るだろうということだと私は思う」と述べた上で、未確認飛行物体、UFOが日本国の領空に飛来した場合の対処と法整備などを考えておくべきと述べた[75](当時防衛大臣)。この場合も、未確認飛行物体の用語定義を明らかにしないと、発言者の意思とはかけ離れたと解釈が生まれる。
報告と調査についての現状
専門家の意見として(どの分野の専門家?)、下記の水産庁調査船「開洋丸」の遭遇記録のように、現場レベルにおいては報告事例が存在するが、統括調査する部署がないため、記録が散在している可能性が高い、と言う人がいる[要出典][誰?]。1970年代の在日アメリカ軍の遭遇事案では、アメリカ軍上層部に板付基地周辺で目撃例を報告し、その中で、航空自衛隊や漁船からもUFOの目撃、報告があったとする報告書が存在する[要出典]と指摘されている[誰?]。このことは一部で報道された[要出典]。これが事実であったとしても、超常現象説の信頼性を高めることにはならない。UFOとは正体が確認されていない飛行物体のことであり、地球外文明の宇宙船を指すわけではない。飛行物体の実体が飛行機であれ、ヘリコプターであれ、気球であれ、正体がわかるまでは未確認飛行物体である。最終的に確認できなかったものは、未確認飛行物体のまま公式記録に残る。したがってUFOは存在するし、存在して当然である。
歴史文献とUFO
聖書とUFO
聖書の文章をUFOに関すると解釈する主張はしばしば見られる。真っ先に挙げられているのは、イエス・キリスト誕生の際に現れたという「動く星」である。キリスト誕生のとき東方の三博士は動く星に導かれ、星は厩(うまや)の上にとどまった、というものである(新約聖書・マタイ福音書第2章)。
また、旧約聖書・エゼキエル書第1章には、輝く人の姿をした生き物の横に輪があり、輪はその生き物の動きに従って移動し、屋根のようなものの上には椅子があり、人の姿をした者がいた、と記述されている。これもUFOとその搭乗者として解釈されることがある。
キリスト教の絵画にはUFOらしきもの(以下、円盤と記す)が描かれていることがある。「受胎告知」「雪の奇跡」「聖母と聖ジョヴァンニーノ」「キリストの洗礼」「三位一体」「キリストの磔刑」など枚挙に暇がない。描かれている内容も「円盤が光線を発射している」「円盤を見上げる人がいる」「円盤が火を噴いて飛行している」「2つの円盤が飛行しており、それぞれに表情の異なる人物が搭乗している」など、意図的に描いたことは明らかだ。
さらにこれらの説を発展させた物が「キリスト=宇宙人」説であり、古代宇宙飛行士説と関連づけて解釈されることもある。また、聖書とUFOを関連つけた解釈として有名なものにゼカリア・シッチンの説などがある。
UFOブーム
1970年代後半に日本でUFOブームと呼ばれる現象が起きた。ピンク・レディーの楽曲「UFO」をはじめUFOを題材にした多くの派生作品が作られ、社会現象としてUFOが流行になった。また、日本ではUFOを呼ぶときに「ベントラベントラ」と呪文を唱える方法があるとされる[76][77][78][79]が、この「ベントラ」はレイ・スタンフォードのUFOの呼び方が元となっている[76]。
1978年に映画『未知との遭遇』が日本公開されると、そのブームは頂点に達した。フィクションのテーマとしては大変面白いので、多数の作品が製作されヒットした。後述の作品リストの年代を参照。同時代に日清食品は「日清焼そばU.F.O.」と命名した即席焼きそばを発売し、現在まで販売し続けている超ロングセラーとなった。容器の形を空飛ぶ円盤に見たてるとともに、「UFO」を「うまい(U)、太い(F)、大きい(O)」のイニシャルにかけている。
SFとUFO
SFには無数のバリエーションにわたる異星人が登場する。その乗り物も構造から材質、推進法まで綿密に設定された作品もあり、世間に流布しているUFOのイメージ形成にも大きく寄与している(ただし円盤型ではない宇宙船が登場する作品も多い)。地球人類との接触は侵略目的だったり、友好的交流や啓蒙、指導、庇護のためだったり、不時着・遭難だったりする。
UFOを題材にした作品
映画
地球の静止する日(1951年、アメリカ) 2008年に『地球が静止する日』としてリメイク。
遊星よりの物体X(1951年、アメリカ) 1982年版リメイク『遊星からの物体X』では冒頭に円盤が南極に墜落するが、原作『影が行く』と再リメイク作品『遊星からの物体X ファーストコンタクト』に登場する宇宙船は円盤ではない。
謎の空飛ぶ円盤 (1953年、アメリカ)
宇宙戦争(1953年、アメリカ) 原作および2005年のリメイク作品にはUFOは登場しない。
宇宙水爆戦(1955年、アメリカ)
世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す (1956年、アメリカ)
空飛ぶ円盤恐怖の襲撃(1956年、日本)
地球防衛軍 (1957年、日本)
スーパージャイアンツ(1957年 - 1959年、日本)
プラン9・フロム・アウタースペース(1959年、アメリカ)
宇宙大戦争(1959年、日本)
頭上の脅威 (1964年、フランス・イタリア合作)
怪獣大戦争(1965年、日本)
宇宙大怪獣ギララ(1967年、日本)
火星人大来襲(1967年、アメリカ)
怪獣総進撃(1968年、日本)
吸血鬼ゴケミドロ(1968年、日本)
ザ・タイガース 世界はボクらを待っている (1968年、日本)
ガメラ対大悪獣ギロン(1969年、日本)
UFOとの遭遇 (1975年、アメリカ) 「ヒル夫妻誘拐事件」を基にしたテレビ映画
未知との遭遇 (1977年、アメリカ)
惑星大戦争(1977年、日本)
ブルークリスマス (1978年、日本)
E.T.(1982年、アメリカ)
コミュニオン 遭遇(1989年、アメリカ)
インデペンデンス・デイ(1996年、アメリカ)
マーズ・アタック!(1996年、アメリカ)
メン・イン・ブラックシリーズ(1997年 - 、アメリカ)
ゴジラ2000 ミレニアム(1999年、日本)
こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE2 UFO襲来! トルネード大作戦!!(2003年、日本)
第9地区(2009年、ニュージーランド)
THE 4TH KIND フォース・カインド (2009年、アメリカ)
世界侵略: ロサンゼルス決戦(2011年、アメリカ)「ロサンゼルスの戦い」が前日談として用いられている。
アイアン・スカイ(2012年、フィンランド・ドイツ・オーストラリア合作)ナチスの円盤機の噂を基にしたストーリー。
ドラマ
ウルトラシリーズ(1966年 - 、日本)
インベーダー(1967年 - 1968年、アメリカ)
キャプテン・スカーレット(1967年、イギリス)第25話
謎の円盤UFO (1970年、イギリス)「UFO」という言葉を一般に紹介する先駆的役割を果たした。
スペクトルマン (1971年 - 1972年、日本)
円盤戦争バンキッド (1976年、日本)
UFO大戦争 戦え! レッドタイガー (1978年、日本)
プロジェクトUFO(1978年 - 1979年、アメリカ)「プロジェクト・ブルーブック」を基にしたストーリー。
V(1983年 - 1984年、アメリカ)2009年から2011年にかけてリメイク。
Xファイル(1993年 - 2002年、アメリカ)
ダークスカイ(1996年 - 1997年、アメリカ)
TAKEN(2002年、アメリカ)
漫画・アニメ
少年ロケット部隊(横山光輝、1960年 - 1963年、日本)
シドニー行き714便(エルジェ、1968年、ベルギー)『タンタンの冒険』シリーズの一編。
恐怖新聞(つのだじろう、1973年 - 1975年、日本)
チャージマン研!(1974年、日本)
これがUFOだ!空飛ぶ円盤(1975年、日本)
UFOロボ グレンダイザー(1975年、日本)
UFO戦士ダイアポロン(1976年、日本)
侵略円盤キノコンガ(白川まり奈、1976年、日本)- どんずる円盤(白川まり奈、1978年、日本)
円盤同乗記(水木しげる、1987年、日本)
MMR マガジンミステリー調査班(石垣ゆうき、1990年 - 、日本)1996年に『MMR未確認飛行物体』としてドラマ化。
岸和田博士の科学的愛情(トニーたけざき、1992年 - 1998年、日本)
空想科学大戦!(柳田理科雄・筆吉純一郎、1998年 - 2006年、日本)
20世紀少年(浦沢直樹、1999年 - 2007年、日本)2008年から2009年にかけて映画化。- 戦いの末裔(松本零士、2005年、日本)『ザ・コクピット』シリーズの一編。
天体のメソッド(2014年、日本)
ゲーム
UFOキャッチャー (セガ・インタラクティブ、1985年登場、日本)
UFO仮面ヤキソバン (DEN'Z、1994年、日本)
矢追純一極秘プロジェクト UFOを追え!! (日本クラリービジネス、1996年、日本)
スペースボンバー(彩京、1998年、日本)
UFO -A day in the life- (アスキー、1999年、日本)
サイレントヒルシリーズ(コナミ、1999年 - 、日本)
THE 地球防衛軍シリーズ(ディースリー・パブリッシャー、2003年 - 、日本)
デストロイオールヒューマンズ!(THQ、2005年、アメリカ)
東方星蓮船 〜 Undefined Fantastic Object. (上海アリス幻樂団、2009年、日本)
小説
地球SOS(小松崎茂、1948年 - 1952年、日本) 2006年に『Project BLUE 地球SOS』としてリメイク。
幼年期の終り(アーサー・C・クラーク、1953年、イギリス)
宇宙怪人(江戸川乱歩、1953年、日本)
美しい星(三島由紀夫、1962年、日本)
- 当時の三島は「日本空飛ぶ円盤研究会」に入会し、空飛ぶ円盤観測会にも参加していた。
果しなき流れの果に(小松左京、1965年、日本)
見知らぬ明日(小松左京、1968年、日本)
OH! WHEN THE MARTHIANS GO MARCHIN'IN(野田昌宏、1969年、日本)
地球軍独立戦闘隊(山田正紀、1976年、日本)
妖精作戦(笹本祐一、1984年 - 1985年、日本)- ズッコケ宇宙大旅行(那須正幹、1985年、日本)『ズッコケ三人組』シリーズの一編。
アミ 小さな宇宙人(エンリケ・バリオス、1986年 - 1997年、チリ)
トミーノッカーズ(スティーヴン・キング、1987年、アメリカ)
機神兵団(山田正紀、1990年 - 1994年、日本)
鏖殺の凶鳥(佐藤大輔、2000年、日本)
ほしからきたもの。(笹本祐一、2001年 - 2002年、日本)
イリヤの空、UFOの夏(秋山瑞人、2001年 - 2003年、日本) 派生作品にOVA・ラジオドラマ・ゲーム・漫画。
神は沈黙せず(山本弘、2003年、日本)
ここはボツコニアン(宮部みゆき、2010年 - 2015年、日本)
UFOはもう来ない(山本弘、2012年、日本) 「と学会」会長でもある著者によるSF。- 燃える空飛ぶ円盤 [北村小松UFO小説集](北村 小松、2012年、日本)
宇宙にいちばん近い人(浜口倫太郎、2013年、日本)
楽曲
- U.F.O(沢田研二、1975年) アルバム『いくつかの場面』
- 作詞:及川恒平 作曲:ミッキー吉野 編曲:ミッキー吉野
- MADE IN U.F.O. (山口百恵、1977年)
- 作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童 編曲:加藤ヒロシ
UFO(ピンク・レディー、1977年)
- 作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一
- 作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一
- UFO音頭(大泉滉、1978年)
- 作詞:山本正之 作曲:山本直純 編曲:高島明彦
- 作詞:山本正之 作曲:山本直純 編曲:高島明彦
- UFO(遠藤賢司、1979年) アルバム『東京ワッショイ』
- 作詞:遠藤賢司 作曲:遠藤賢司 編曲:遠藤賢司、佐久間正英
- 作詞:遠藤賢司 作曲:遠藤賢司 編曲:遠藤賢司、佐久間正英
キャベツUFO(1984年、NHK『みんなのうた』)
- 作詞・作曲:工藤順子 編曲:MAKI
- 打楽器協奏曲「UFO」(1999年、ワシントン・ナショナル交響楽団初演)
- 作曲:マイケル・ドアティ
- 作曲:マイケル・ドアティ
- UFO(Mr.Children、2002年) アルバム『IT'S A WONDERFUL WORLD』
- 作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿 編曲:小林武史、Mr.ChildrenUFOロマンティクス(ギターウルフ、2002年) アルバム『UFO ロマンティクス』
- UFO神社(LOVE JETS 2004年)
- 恋人はUFO(西田エリ、2010年) アルバム『Eri's Collection』
- UFO (きくお、2014年)
アルバム名
UFO(電気グルーヴ 1991年)- UFOと恋人(筋肉少女帯 1993年)
- 衝撃のUFO 衝撃のREMIX(VA 2002年)
- U.F.O. LOUNGE Mixed by YABE "UNITED FUTURE ORGANIZATION" (YABE(MIX)2005年)
脚注
出典
- ^ abcデジタル大辞泉
^ 一例として、石川県羽咋市観光情報サイト内「UFOのまち研究室」(2018年2月24日閲覧)。
^ 英: identified flying object
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参考文献
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カーティス・ピーブルズ 『人類はなぜUFOと遭遇するのか』 皆神龍太郎訳( ISBN 4478850151 ISBN 4167651254
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志水一夫 『UFOの嘘』データハウス1990年11月 ISBN 4924442976
- 高倉克祐『世界はこうして騙された さらばUFO神話』(悠飛社・1994年)
- 高倉克祐『世界はこうして騙された2 UFO神話の破滅』(悠飛社・1995年)ISBN 4946448330
- 木原善彦 『UFOとポストモダン』 平凡社新書 平凡社 ISBN 4582853099
エドワード・J・ルッペルト 『未確認飛行物体に関する報告』(開成出版・2002年)- アメリカ下院科学および宇宙航行学委員会編 『米下院UFOシンポジウム』(本の風景社・2003年)
- スーザン・A. クランシー 林雅代 訳 『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』早川書房 ISBN 4150503133
- 高橋克雄作SF『時を飛ぶUFO』シリーズ (金の星社発行中 1 3巻2006/12 )
イロブラント・フォン・ルトビガー 『ヨーロッパのUFO』 ブイツーソリューション 2007年12月 ISBN 9784434113611
- ビル・コールマン『米空軍「UFO機密ファイル」の全貌』グリーアンアロー出版社
関連項目
- UFO研究
- 未確認潜水物体
- フー・ファイター
- フライング・ヒューマノイド
- ドローンズ
- スカイフィッシュ
エリア51 - アメリカ空軍の基地- プロジェクト・ブルーブック
- UFOディスクロージャー・プロジェクト
- シチズンズ・ヒアリング・ディスクロージャー公聴会
- バミューダトライアングル
- ラエリアン・ムーブメント
飯野町 - 「UFOの里」と銘打っていた福島県の町。2008年7月、福島市に編入合併。
- 福島市飯野UFOふれあい館
木曜スペシャル - テレビのバラエティー番組- 日清焼そばU.F.O.
- ホームセンターユーホー
空中特異現象調査局(ペルー)- ワシントンUFO乱舞事件
- ケネス・アーノルド事件
- ソコロUFO事件
- 臨死体験
- 体外離脱
- 世界征服#フィクションにおける世界征服
人名
- ジョージ・アダムスキー
- ドナルド・キーホー
- ジョン・A・キール
- ビリー・マイヤー
スティーブン・グリア - UFOディスクロージャー・プロジェクトおよびCSETIを組織。- 折田至
矢追純一 - 「UFO」に関するテレビ番組を多くてがけた元ディレクター。- 南山宏
- 韮澤潤一郎
- 荒井欣一
- 三島由紀夫
石破茂 - UFOや異星人が地球に侵略ついての防衛網と対策について熱く考えて防衛大臣の時記者会見で語っていた。- 石原慎太郎
- 並木伸一郎
山根隆治 - 国会でUFOに関する質問を行った。
異星人関連
- 宇宙人
- 地球外生命体
フラットウッズ・モンスター - 通称、3メートルの宇宙人。
ウンモ星人 ウンモ星人のUFOの写真はボタンを紐でつるしたものであったことが、1970年代から始まったデジタル画像解析によりすでに解明されている(紐が見えた)。- チャゴ少年のエンバウーラ事件
- ロズウェル事件
- 「開星論」のUFO党
UFO研究団体
- APRO
- NICAP
- CUFOS
- MUFON
日本空飛ぶ円盤研究会 (JFSA) - 徳川夢声、三島由紀夫、星新一、石原慎太郎などが会員であった。
宇宙友好協会 (CBA)- 日本宇宙現象研究会
外部リンク
Center on anomalous phenomena[リンク切れ]
UFOレポート(日本語)- UFOリンク
- UFO研究コミュニティ UFO110番